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彼女は次の日もやってきた。何時もの様に、暗闇を切り取ったような服装で。
「今日は百合を頂けますか」
「はい、ただいま。今日は色んな色のが入ってますよ」
「では……この黄色のを」
私は鋏を茎に入れようとして、ふと手を止めた。胸をざわつかせるような芳香が鼻を擽る。
「あ、でも百合って香りが強いですけど、大丈夫ですか」
「どうしてですか?」
「私なりに一晩考えたんですけど、毎日人に花を贈るって、お見舞いぐらいしか思いつかなくて」
「なるほど、それで」
「香りの強い花は病院に持って行ったら止められることがあるらしいから」
「お気遣いどうも。でもあの人は五体満足、健康ですよ」
彼女は言いながら、自分の体の動きを確認するように伸びをした。五体満足という言葉を噛み締めるような、しなやかなその動きは黒猫のようだった。
「そうですか、それは何よりです」
そう言って、いま彼女が言ったことが嘘かもしれないことに気づいた。そういえば答え合わせまでにいくつ嘘を吐くのか聞いていない。このままではいちいちすべての発言を疑わなくてはいけない。
私はとりあえず彼女が嘘を吐いていないという前提で会話を進めて、後で矛盾点を考えることにした。
「あともう一つ、ペットは飼っていませんか?」
「あの人の家には何もいませんけど、どうしてですか」
「ペット、特に猫は百合の花粉で死ぬことがあるそうです。だから百合の生花を買う方には一声かけるようにしているんです」
「そうなんですか、生き物に何かあってからでは遅いですものね」
二つ確認して、安心して私は百合を切る。代金と花を交換し、彼女は一歩下がった。
「でも人間の視点として、この花の香りの中で眠れるのなら悪くないような気がしませんか?」
彼女は溶かしたバターのような輝きを放つ花に顔を寄せて、そんなことを言った。その視線に諸に突き刺され、私は痺れたように立ち尽くす。何と答えれば良いのか分からなかった。
当惑する私を他所に、彼女はそのまま、百合の香りを目いっぱい吸い込んだ。適度な百合の芳香は安眠効果があると聞く。彼女、或いは彼女が花を贈る相手は今夜、この香りに包まれて眠るのだろうか。
彼女はやがて満足したように顔を上げ、町の方へと踵を返す。
「では、少しでも新鮮な内に届けたいので、今日はこれで」
「あ、待ってください、最後に……」
私は手を伸ばすことなく、彼女を声だけで引き留めた。
「ここまでで、いくつ嘘を吐いたんですか」
薄闇に溶けかけていた彼女が振り向く。白いその顔に、首から上だけが浮いているようだと思った。そういえば百合が萎れることを首が落ちると表現するのだった、と何となく思い出す。
「まだ一つも嘘、吐いていませんよ」
彼女は造花のような笑みを浮かべた。荒い繊維のようなざらつきが胸中に過る。では、と頭を下げて遠ざかっていく彼女を眺めながら、今のは嘘なんじゃないだろうか、と私はこの遊びを始めてから、初めて確信した。
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