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連れてこられたのは、町外れの一軒家だった。彼女はごく自然に鍵を取り出して、鍵穴に挿した。
あの人の所に案内する、と言われたので行先は相手の家か公共の待ち合わせ場所だと思っていたが、どうやらここは彼女の自宅らしい。今日は向こうがこちらに来る予定なのだろうか。
玄関を潜る直前、微かに腐臭がした気がした。以前言っていた傷ませてしまったものを捨て損ねているのだろうか。家に入ると、奥から漏れる花の香りにかき消されてか、腐臭は感じなくなり、少しだけ安心した。
靴を脱ぎ、備え付けられたスリッパを履いた。裸足にざらりとした冷たい布が当たり、何だか居心地が悪い。
ふと、玄関に並べられた靴に目が行く。何時も彼女が履いているような、艶やかな黒い靴に交じって、清楚な白いオペラシューズが居心地悪そうに端に寄せられていた。彼女も花屋に来る時と違う服装の時ぐらいあるのだろう、と思っても、妙な違和感が拭えなかった。
「座りますか」
リビングの円卓に、椅子が二つ備え付けられている。来客用というにはどちらも使用感がある。貰いものを食べきれなかったという会話の内容から一人暮らしだと思っていたが、あれは嘘だったのか。
出された紅茶を飲みながら、時間が過ぎるのを待つ。彼女の思い人はいつ来るのだろう。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
彼女がごく自然に立ち上がる。今から何処へ行くというのだろう。もしかして、これから思い人の所に行くのだろうか。
一度彼女の家を挟んだ意味はあったのだろうか、と思いつつ、私は彼女に続いてリビングを出る。
玄関に向かうかと思った彼女は、廊下の反対側、家の奥へと向かっていく。
彼女は、恐らく書斎として使うことを想定されているであろう部屋の扉に手をかけた。
扉が重い音を立てる。
部屋の壁の側面には、彼女が今まで買っていった花が、一つ一つ、一輪挿しに入れられている。その多くは購入されてからかなりの日数が経っているはずなのに、今日切られたばかりのように瑞々しさを保っていた。
花瓶の水面から、茎がもう一本ずつ、いや、チューブのようなものが伸びていた。
花瓶の水を吸い上げているのか、逆に何かを花瓶に供給しているのかは分からないが、無数の花瓶から伸びたチューブは皆、部屋の奥の一点に向かって伸びている。彼女はそのうちの一つだけ、花の入っていない花瓶に菖蒲を挿した。半透明のチューブを通る液体が、その花弁の色に染まったように見えた。
私の視線は、ごく自然にチューブの向かう先を追う。
花弁のように滑らかな、青褪めた肌。葉の様に瑞々しく伸びる、長い髪。
茎の様に真っ直ぐな、細く短い首。根に当たる部分は、見当たらない。
最奥、大量の花々に囲まれた部屋の主。それは、チューブにつながれた少女の生首だった。
銀盆に乗せられ、新鮮な切り口をチューブにつながれたそれは、虚ろな瞳にこちらを映している。
「ただいま」
彼女は何でもなさげにそう言って、生首を極めて優しい手つきで撫でた。銀盆に垂れた血が、生首が揺らされるたびに歪な模様を描く。滑らかな髪を、細い指が梳いていく。まるで恋人か幼い子供か、この世で一番大切な存在にするような仕草だった。
少女の生首は彼女からの接触に反応することは無く、一輪挿しと互いの体液を交換し続けている。無数のチューブの中を、様々な色の液体が行き来していた。
生首はこちらを見ていない。彼女の手にも応えない。でも、生きている。私は何故かそう確信していた。
普通なら悲鳴を上げて逃げ出すであろう光景を前に、私はただただ冷静に立ち尽くしていた。
「どこまでが、本当だったんですか?」
「どうやら私は心からあの人を愛していたようです。でもそれ以外は多分、最初から嘘でした」
花瓶の一つが倒れた。床に水か体液か判別できない物が染みを作った。
向日葵の向く方向を教えてもらったことも。彼女の思い人が自由で健康な身であることも。どんな色でも喜んでいたことも。花を受け取る手に愛おしさを感じていたことも。私の切る花を気に入ってくれていたことも。彼女の語った全てが嘘であるというのなら。
私は彼女の肩を掴もうとした手を引っこめた。彼女に触れられる形が有ったら、今日の出来事が本当だと認めてしまう。だったら、形を掴まないまま、すべては嘘のままで良い。
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