新しい職場は、まさかの〇〇?

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新しい職場は、まさかの〇〇?

「ビリーさん、本気ですか?」 「ああ、俺は大真面目だ」 「もしかして……私に同情してくれました?」 「ハハッ、馬鹿馬鹿しい。同情で無能者を雇うほど、俺は甘い人間じゃないぞ。これは店主としての判断だ」  私はビリーの顔をじっと見つめる。  眼鏡の奥の瞳に映る感情を読み取ろうとするが、彼は不敵な笑みを浮かべているだけで何もわからなかった。 「おまえが俺の考えを読み取ろうなんて、百年早いな。それで、どうするんだ? 嫌なら、別に無理にとは言わんぞ」 「…………」  一度冷静になれと、自分に言い聞かせる。  ビリーからの申し出は、正直なところ非常に有り難いものだ。  費用を切り詰めながら長旅を続けてきたが残金は心もとなく、いずれは一日に一食とか、野宿することまで検討していた。  これまで話をしてきて、私なりにビリーの人となりも理解していると自負しているので、彼の下で働くことは嫌ではない。むしろ、こちらからお願いしたいくらいだ。  しかし、旨い話には裏があると、今日散々学んできたことも事実。 (どうしよう……)  悩んでいたら、ふと頭の中に父のある言葉が思い出された。  ◇ 『良い顔をして飯を食う奴に、悪人はいない』  それは、寒い冬の日の出来事だった。  うちの食堂で食事をした旅人が、いざ支払いになったときに財布を無くしたと言い出したことがあった。  平謝りする彼は、持っていた外套を差し出しこれを代金の代わりにと言ったが、父は頑として受け取らず、「また、今度立ち寄ったときに払ってくれればいい」と送り出したのだ。  頭を下げながら旅人が行ってしまったあと父へ理由を尋ねると、こんな答えが返ってきた。 「あれを受け取ってしまったら、この寒さのなか彼はどうやって家まで帰るんだ? 途中で、凍死してしまうかもしれないだろ?」 「でも、あの人がまた来てくれる保証なんてないよね?」  私も彼が死ぬことは望んでいないし、父は良いことをしたと思っている。  だからこそ、裏切られたときの父のことが心配だったのだ。   「俺の心配をしてくれるアンヌは、やはり自慢の娘だ。でも、大丈夫。良い顔をして飯を食う奴に、悪人はいないからな」  その父の言葉通り、春になり雪解けが進んだころ、あのときの旅人はまた来てくれた。  約束通り代金を持ち、さらに、大勢の商売仲間を連れて……  ◇  美味しそうにオムレツを食べていたビリーの顔が思い浮かぶ。  私も父のように、彼を信じたいと思った。 「こんな私ですのでご迷惑を多々おかけすると思いますが、ご指導のほどよろしくお願いします」 「ああ、しっかり鍛えてやるからな、覚悟しておけ」 「お手柔らかにお願いします。あと、使えなくても人買いに売り飛ばすことだけは、勘弁してくださいね」 「たしかに、おまえなら高く売れそうだな……」 「!?」  品定めとも取れる視線で上から下まで睨めつけるように見られ、背筋が寒くなる。 (神よ、父の言葉を信じて大丈夫……ですよね?)  胸にかけている形見のペンダントを服の上から握りしめた私は、必死に祈りを捧げたのだった。  ◇  ビリーの店で働き始めてから、一週間が過ぎた。  私の仕事は、朝が本番といっても過言ではないほど(せわ)しない。  「ビリーさん、朝食ができましたから早く起きてくださ~い!」  階段下から何回も叫ぶが、今朝は物音一つしない。  こういうとき、私は遠慮なく二階へ駆けあがり、躊躇なく彼の寝室のドアを開ける。 「ビリーさん、起きてください!」  三日ぶりに入った部屋の中は、先日整理したばかりなのにまた物が雑然としていて、足の踏み場もなくなっていた。  脱ぎっぱなしの服や、書きかけのメモ用紙、開いたままになっている本を避けながらベッドへ近付くと、死んだように身じろぎ一つしない彼がいた。  昨夜はまた徹夜だったのか、眼鏡をかけたまま眠っている。これで過去に眼鏡を何度も壊しているのに、性懲りもなくまた同じことをしているようだ。  私が真っ先にすることは、まず眼鏡を外すこと。これをしないと、次の行動に移れないのである。  床と同じように乱雑した机の上に大事な眼鏡を避難させながら、今日の攻撃作戦を頭の中で考えていた。 (一昨日は脇。昨日は足の裏だから、今日はここかな……)  ポケットから鳥の羽根を取り出すと、これでビリーの顔をひらひらと撫でる。くすぐったい箇所を自分の顔で確かめながら、ピンポイントで攻撃していくこと約三分。  彼の顔が苦悶の表情を浮かべてきたが、まだ眠気が勝っているようで、なかなか目を開けない。  そろそろ起こさないと、せっかくの朝食が冷めてしまうので、ここで私は一気に攻勢に出ることにした。 (本当は、この攻撃は別日にとっておきたかったんだけどな……)  羽根の先を耳の穴に入れ回すと、ビクッとしたあと、ようやくビリーが目を覚ましたのだった。  ◇ 「毎日毎日、手を変え品を変え俺を確実に起こす手腕は、ホント尊敬に値するぞ」  お気に入りの朝食メニューであるオムレツ(今日は、薬草和えトマト入り)を食べながらビリーは満足そうに頷いているが、私は毎日朝から体力を削られヘトヘトだ。 「私の父も寝起きは悪いほうでしたが、ビリーさんには到底敵いません。よくこれで商売が成り立ってきたなと感心しますよ。よほど、お客様が寛容な方々なんですね」 「さすがに一人のときは、徹夜は休業日前にしかやっていなかったぞ。じゃないと、俺は何があっても絶対に起きないからな」 「それは、威張って言うことじゃありません!」 「……ツッコミも切れ味が良くなってきたな」 「そんなところを感心されても、全然嬉しくないです!!」  自分がこんなに順応性が高いなんて、思ってもいなかった。  最初、ビリーから住み込みでと言われたときは、あんなに動揺したのに……  ◇ 「えっ、私もここに住むんですか?」 「当たり前だろう。おまえはどこに住むつもりだったんだ?」 「えっと……どこかに部屋か家を借りて、とか?」  見た目は男だけど中身は完全な女の私にとって、家族以外の異性と一つ屋根の下で暮らすなんて想像もできない。 「あのな、おまえはその一人暮らしをするための金をいま持っているのか? 家賃に、生活用品の購入費、食費、その他諸々……」 「ありません……」 「だよな。じゃあ、おとなしく俺の言うことを聞け。おまえの部屋は一階で、俺はこれまで通り二階だ」  ビシッと指をさされながら言われたが、ここで「はい、わかりました」と首肯することはできない。  ビリーのことは信用しているが、それとこれとは別問題なのだ。 「で、でも、男の人と一緒に住むなんて……結婚もしていないのに」 「そうか、わかったぞ! おまえは、一丁前に俺を警戒しているんだな?」 「違います! 姿はこんなですけど、私は『女』なんです!! ビリーさんだって、嫌じゃないんですか? 中身が女の私と同居なんて……」 「中身が、女か……」  ビリーが呟きながら、私の顔を見つめている。  眼鏡の奥の緋色の瞳は、やっぱり何を考えているのか私にはわからなくて、言いようのない不安にかられる。    面倒くさいやつだと思われただろうか?  それとも、怒らせてしまった?  やっぱり雇うのは止めた!と言われたら、私はこれからどうすればいいのだろう……    ぐるぐると、取り留めのない考えが頭に浮かんでは消える。 「なあ、ちょっと……いいか?」 「あっ……はい」  ビリーから問われ、何を言われるのかと身構えた私のほうに彼の手が伸びてくる。  えっ?と思ったときには、私はポン、ポンと体を触られていた。 「…………えっ、え~!?」 「うん、『上は無くて、下は有る』。おまえがどんなに自分を女だと言い張っても俺は元の姿を知らんし、今のおまえはどこからどう見ても男だから安心しろ。俺は男を襲う趣味はない!!」  真顔できっぱりと言い切ったあと店の奥へ去っていく後ろ姿を、私は呆然と見送る。  彼の姿が見えなくなったところで、自然と力が抜け膝から崩れ落ちたのだった。  ◇  あの出来事のおかげ(?)で、一人だけ男だの女だのと意識している自分が馬鹿馬鹿しくなり、ある意味私は吹っ切れた。  ビリーを、父のように同居家族だと思えばいいのだと気付いたのだ。    年は四歳しか違わないから父ではなく兄と、自分は妹(弟)だと『異性→家族』へ気持ちが切り替わると、次第に遠慮のない大胆な行動になっていく。  ビリーの寝室だってもう平気で入れるし、彼の下着だって洗濯できる。    ……ただし、目の前で着替えをされるのだけはいまだ慣れず、後ろを向いてしまうけど。
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