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嬉しいことが、たくさんありました
「うわ~、食材がいっぱいだ!!」
「おい、田舎者丸出し発言はやめろ。一緒にいる俺が恥ずかしいだろう」
ビリーに注意され、慌てて口を閉じる。
食料の買い出しと薬草を購入するため、私はビリーのお供で月に一度開かれるという市場に来ていた。
普段の買い出しは村の商店でしているのだが、この市場には多くの店が出店し王都からの珍しい商品が売られていることもあり、朝から多くの人々が詰めかけている。
私は知らなかったが、ビリーは他の地域でしか採取できない薬草はこの市場で購入しているのだとか。
故郷にいたときも市場には何度か仕入れに行っていたが、『所変われば品変わる』で、見たこともない魚や野菜、果物が並んでいる様に興奮が抑えきれない。
「ビリーさん、あれは何と言う野菜ですか?」
「知らん」
「あの果物は、甘いんでしょうか?」
「食ったことない」
「この魚は……」
「店主に聞け」
いつもならまだ寝ている時間なので、私のとなりでフワァ~と何度も欠伸を繰り返しているビリーは眠いのか興味がないのか(それとも両方?)、ずっと素っ気ない返しばかり。
彼は食べ物に関しては好き嫌いがないようで、私の作った物はすべて美味しいと完食してくれる。
それ自体は嬉しいことなのだが、もう少し彼の好みを知りたいと思っている私は会話でその糸口がつかめず困っていた。
(母の味とか、家庭の味とか、家族の思い出の料理とか、そういう物はないんだろうか?)
思い出の料理と言って私が真っ先に思い浮かぶのは、寒い日に父がよく作ってくれたシチューだ。
村の森で取れる茸がたくさん入ったそれは、食堂でも晩秋の人気メニューだった。
寒い季節になったら絶対に作ろうと心のメモに書き留めたところで、隣に視線を向ける。
「あの、ビリーさんには家……」
「ん? 『か』ってなんだ?」
「いえ、なんでもないです!」
ビリーは、自分のことをほとんど話さない。
私が彼について知っていることといえば、年齢・一年前に店を開店させたこと・薬草の知識は豊富……くらいだろうか。
以前はどこに住んでいて(たぶん、王都っぽいけど)、家族は何人いて、など私は知らないことばかりなのだ(私のことは、ビリーはよく知っているのに)。
でも、雇われの身で雇い主についてあれこれ聞くのは失礼だし、本人も話したくないようなので、つい問いかけては口を閉じるを繰り返していた。
「ここだ」
あれこれ考え事をしているうちに、目的地に着いたようだ。
ここは、市場の奥の奥。人通りの少ない一角に薬草の束がいくつか置いてあり、一人の男性が待っていた。
「よっ! ビリー、今朝は珍しく早いお着きじゃねえか? いつもは時間ギリギリなのによ」
「うるさい。俺だって、たまには早く来ることもある」
「へえ……こりゃあ、明日は大雨確定だな。急いで今日のうちに帰らねえとな」
年の頃は、ビリーより少し年上だろうか。よく日焼けした顔に商売人らしい愛想笑いを浮かべているが、雰囲気から二人は気の置けない間柄のように見える。
「ところで……そちらの見目麗しい少年は、どちらさまで?」
「うちの新入りだ。これから、よろしく頼む」
「初めまして、アンリと申します。よろしくお願いします」
「こいつは、ご丁寧にどうも。俺は、王都で商会を営んでいるシルクと言いやす。ビリーとは、王都時代からの長い付き合……」
「おい、余計なお喋りはそのくらいにして、早く見せてくれ」
「へいへい」
薬草の品質を確認しているビリーとシルクのやり取りは、『遠慮』という言葉が存在しないほど乱暴だ。それでも二人ともどこか楽しげなのは、やはり長い付き合いがなせる業なのだろう。
やはり彼は王都に住んでいたようだが、そこでも薬屋をやっていたのだろうか。
「おい、もう行くぞ」
気付いたら、確認作業が終わっていた。
私に手を振るシルクに会釈をし、背負っていた籠に薬草を入れると来た道を戻る。
「あの……ビリーさんて、王都に住んでいたんですか?」
「ああ、二十歳まで王都にいた。シルクとは王都の市場で知り合ったんだが、俺がこっちに店を開業したから彼に無理を言って月に一度だけ薬草を運んでもらっている……代わりに、法外な手数料を取られているがな」
「ははは、ビリーさんと違って、シルクさんは商売が上手そうですね」
「アイツ、ついでだからと王都の珍しい商品を持ち込んでこの地域でも手広く商売を始めたくせに、手数料の値下げに一切応じない。本当にあくどい商売をしてやがる」
「それでも、仕入れる商品は信用できるから、お願いしているんですよね?」
「アレでも、かなりの目利きだからな……」
『アレ』呼ばわりとかひどい言い草でもビリーの瞳は穏やかで、シルクとの付き合いを心から楽しんでいるのが見て取れる。
素直じゃないんだから……とついニヤニヤした顔で見ていると、目が合った彼から「今、おまえが何を考えているか、俺にはわかっているぞ」と言われ、慌てて顔を取り繕う。
「そ、そういえば……ここの市場でもすごいと思うのに、王都の市場ならもっとたくさんの食材が並んでいるんでしょうね! 一度でいいから、行ってみたいな~」
王都だから、国中から様々な物が集まってくるだろう。
豊富な食材を使った、見たことも食べたこともない料理がたくさん並ぶ様子を思い描いただけで、涎が垂れてしまいそうだ。
「……いつか、俺が連れて行ってやる」
「本当ですか?」
「ああ、おまえがうちの売り上げに貢献できたらな。今日はその為に連れてきたんだから、気合を入れて商品開発をしろよ」
「はい、頑張ります!!」
私の仕事はビリー専属のお世話係というわけではなく、彼が薬草採取で留守のときは一人で店番も任されている。
客はほぼ常連さんばかりなので、薬草の知識をただいま猛勉強中の私でもどうにか対応ができているのだ。
常連客はお年を召した方が多いからと、店の倉庫で埃を被っていた椅子と、ついでにカウンター周辺を綺麗にし休憩コーナーを作ってみた。せっかくだから憩いの場にしてもらおうと、使い切れない食用の薬草を使用したお茶とクッキーを出したらこれが意外にも評判で、希望者には小売りも始めた。
それを見ていたビリーの「他にも、売れる商品を開発しろ!」の一声で、私は薬以外の商品開発を任されることになったのだ。
「それで、おまえは何を作るつもりなんだ?」
「肉・魚・卵料理などに合う、薬草の万能調味料を作ろうかと。ビリーさんも気に入ってくださってますし」
一番最初にビリーへ作ったオムレツはその辺にあった薬草を適当に入れたものだったが、それでもそこそこ美味しいものができ、彼も喜んでくれた。
ならば、きちんと素材を吟味し、それぞれの個性と相性を踏まえた上で配合したものは、さぞかし美味しいだろう……というわけで、試作するための肉・魚・卵を購入し店へと戻った。
◇
薬草には、食欲増進・消化促進、疲労回復、鎮痛・鎮静、滋養強壮、精神安定などなど様々な効能がある。これは、勉強用にビリーから借りた本で得た知識だが、各家庭はこのような知識はなくともこれまでの経験則や昔から伝わる調理法を駆使し、近所で採取した野草を入れて料理を作ってきた。
我が家の食堂でも、父が近所に生えている香りの強い野草を摘んできては、肉の臭い消しに使用していたことを覚えている。
「薬効は知らなくても、爽やかな香り・甘い香り、ほろ苦い風味・爽やかな風味、強い苦み・強い香りなどを理解した上で、ただ何となく料理に薬草を使用している人が多いと思います。そういう方たちへ『これを使えば、普段の料理がもっと美味しくなりますよ!』と宣伝するんです」
店の台所に立つ私は、評価と商品化の可否を決める店主へ力説する。
「一番手っ取り早いのは、俺みたいに食べてもらうことだが……」
「そうですね。だから、まずは薬を購入してくれたお客さんに少量配るのはどうですか? 家庭の味はそれぞれですから、家の料理で試してもらうのが良いと思います」
これなら料理を試食してもらうより手軽だし、料理の好き嫌いも関係ない。
「たとえば……臭み消し用に肉へまぶしたり、風味付けのために魚を焼く油に入れたりするかもしれません。いつもと見た目を変えるために、私みたいに卵へ直接混ぜこんだりする人がいるかも。もしかしたら、パンに付けるバターへ入れるご家庭があるかもしれませんね」
「聞いているだけで、腹が減ってくるな」
思わずお腹を押さえたビリーにクスっと笑いつつ、私は今日仕入れたものを含めたすべての薬草を少しずつ取り分け、一つずつ刻んでいく。
「いま気付いたんですが、細かく刻むのではなく粉薬みたいに粉末状にしたら、料理の最後の仕上げにかけることもできそうですね……」
「ああ……もう、おまえの気が済むまで何でもやれ。それで、俺に早く試作品を使った料理を食わせてくれ」
◇
完成した試作品でさっそく肉・魚・卵料理を作ってみたが、結論から言えば、ビリーの意見は全く参考にならなかった。
なぜなら、彼の感想はすべて「うまい!」で終わってしまうから……
「美味しいのは良いですが……『もっと香りを強く」とか『苦みをもう少し控えめに』などの具体的な意見を出していただきたいです!」
「はあ? うまいものを『うまい!』と言って、何が悪いんだ? 俺はこれで満足しているんだから、問題ないだろう?」
「……ビリーさんに意見を求めた私が、そもそも間違っていました」
ただ純粋に食事を楽しんでいるだけの店主に期待することは早々に諦めて、私は薬を買いに来た常連客へ意見を訊くことにした。
率直な意見をお願いしますと告げると、皆さん遠慮なく意見を寄せてくれたのだった。
◇
「こうして見ると、家庭の味というのは本当に様々ですね」
カウンターの上に意見を書き記したメモ用紙を広げた私は、配合に頭を悩ませていた。
「十の家族があれば、十の家庭の味があるわけだからな」
「たしかに、『うちの家庭の味』といってパッと頭に思い浮かぶのは、母さんではなく父さんの料理だし……」
母が厨房に立っていた姿は覚えているが、残念ながら料理までは覚えていない。そんな私に、父は「これは、母さんがよく作っていた料理だぞ」と様々な料理を教えてくれた。
でも、それも私にとっては父の味の一つなのだ。
「……なあ、おまえの家の『家庭の味』って、何だ?」
「うちは食堂を経営していましたので、父はいろんな料理を作ってくれました。ですので、家庭の味はたくさんあります。その中で、特に思い出の料理と言えば『茸シチュー』ですね。寒い日に食べると体がポカポカと温まって、晩秋の贅沢でした。その……ビリーさんの『家庭の味』は、何ですか? やっぱり、『母の味』でしょうか?」
尋ねられたから、私も尋ね返してもいいよね?と思いながらさりげなく訊き、隣に座る彼の様子をそっと窺う。
「……俺の家に、『母の味』は無い。専属料理人たちがいるから、母が作れば彼らの仕事を奪ってしまうことになる。だから、強いて言えば『家庭の味』ではなく『家の味』だな」
「そう……ですか」
ビリーの好みを探ろうと尋ねた質問だったのに、思ってもみなかった返答に言葉が続かなかった。
複数の専属料理人がいる家なんて相当なお金持ちでもなければ普通は有り得ないが、思い返してみれば、私が紹介状をもらった店は『会員制の高級店』で『客層は上流階級の者たち』と彼は言っていた。
そんな店の会員である知人がいる人なのだから、ビリーはもしかして……
「…………」
急に彼が遠い人に感じてしまい、なんと言えばよいのかわからなくなる。
田舎の食堂の娘が気軽に付き合っていい人ではないのだと、まざまざと現実を突きつけられたような気がした。
黙り込んだ私を見て、ビリーが「やっぱり、そういう反応になるよな……」と呟く。
「俺が今までおまえに黙っていたのは、こうなると予想していたからだ。おまえは単純だから、すぐに顔に出るし態度もよそよそしくなるだろう? でも、どんな家出身でも『俺は、俺』だし『おまえは、おまえ』だ。違うか?」
「……違いません。ビリーさんはビリーさんで、こんな姿でも、私は私です」
「そういうことだ。わかってくれたなら、それでいい」
穏やかな微笑を湛えたビリーは、隣から手を伸ばし私の頭をポンポンとした。
「それで、さっきの質問の答えだが、俺の家庭の味は……『おまえの料理』だな」
「えっ?」
「同じメニューでも、同じ味付けは一度もない。家の専属料理人だったら、いつ食べても同じ味だったが……」
「すいません。私の味付けは、そのときの気分でころころ変わるんです」
食堂で出すメニューはもちろん味付けは決まっていたが、家で食べるものに関してはいつも適当だ。
お腹が空いていればご飯がすすむ若干濃い目の味付けになったり、ちょっと疲れていたら甘めになったりと一貫性がない。
それでも、ビリーはいつも喜んで食べてくれる。
「責めているわけじゃない。これが、プロでは作れない『家庭の味』なんだと思ったんだ。だから、俺の思い出の料理は、おまえが初めて作ってくれた家庭料理……『オムレツ』だ。あの美味しさは、きっと生涯忘れない」
「…………」
急にこんな不意打ちは、本当に止めてほしい。
涙がぼろぼろと零れてきて、拭っても拭っても止まらない。
「あんなの……適当…に……作っただけ……なの…に……」
普段は愛想が無いくせに、ビリーはどうしてたまに優しくなるのだろう。
いつも口が悪いのに、どうしてすごく温かくて嬉しい言葉をかけてくれるのだろう。
どうして私は、彼の前だと感情を抑えきれずすぐに泣いてしまうのだろう。
「私は……嬉しいことがあ……ると、よく父に……抱きついていたんです。だから……」
ビリーに抱きついたまま、私は抱きついた言い訳を始める。
父よりはかなり細身のビリーだが、やはり男性だからか体つきはしっかりしていて安定感があり、目を閉じ規則正しい心音を聴いていると、とても心が落ち着く。
「俺は、おまえの父親なのか?」
「いい…え兄……です」
「どうせなら、可愛い弟じゃなくて、可愛い妹に抱きつかれたかったな」
「私は…中身は女……なので、妹で…す」
「そういう意味じゃない……」と苦笑しつつも、私を無理に振り放そうとはしないビリーの優しさに甘える。
彼は父みたいに抱きしめ返してはくれないが、それでも、私はしばらくの間ずっとこのままでいた。
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