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10 それはただ、切実な願い
目が覚めると夕焼けに染まった部屋だった。
白い部屋。ああ、病院にいるんだなと。
そう、ぼんやりと思った。
ふと横を見たら、ベッドの脇にイサカが座ってることに気づいた。
なにを話したらいいか分からなくて曖昧に笑ったらイサカに額をぺちっと叩かれる。
「馬鹿」
と。その一言だけを残してイサカは立ち去っていった。
一人になって天井を見あげている内に自分が何をしたのか、どうしてここにいるのかを思い出した。
同時にあの子との思い出がたくさん浮かんできて泣きそうになって窓の外を見る。
だけど今日は雨じゃない。だから俺は泣かなかった。
今の俺は泣きたいという気持ちよりも、ずっと、ずっと強い衝動が心の中にあったから。
あの子が記憶を失ってから歌うのをやめようって思ってた。
自分が許せない、歌い続けるなんて許されない、歌なんか嫌いだ、とそんな風に思い込もうとしてた。
でも、それじゃダメなんだ。こんなこときっとあの子は望まない。
俺の歌が好きだって言ってくれたあの子なら、もっとたくさんの人に俺の歌を聴いて欲しいと言ってくれたあの子なら、そんなことは望まない。
だから俺は歌うことをやめない。
歌う理由、歌いたい理由を見つけたから。
その理由をはっきりと思い出したから。
そこから俺とイサカとノブの三人で再出発することを決めた。
俺の『メジャーを目指したい』ってわがままをイサカは「よし。なら目指すか」と頼もしく言って、ノブも笑って力強く頷いてくれた。
――そして今。
俺には仲間がいる。
ギターのイサカ、ベースのノブ。
そしてドラムのスルガにキーボードのケン。
大切な――支えてくれる仲間がいる。
そして俺はバンドに『リリオ』って名前をつけた。
どっかの国の言葉で『百合』って意味らしい。
百合――つまり友梨ちゃんの名前の響きだけを借りたんだ。
いつかの会話の中であの子と約束をした。
歌うことを絶対にやめないって。
どんな形でも歌い続けるって。
そんな気持ちを忘れないためにこの名前にしたんだ。
最初はあの子のためだけに歌ってた。
だけど気がついたら、俺たちの音楽を愛してくれる人が、どんどん増えていった。
そんな今、思うことがあって。
俺は今、あの子のためだけじゃない。
俺の音楽を愛してくれる全ての人、俺に付き合ってくれる仲間たち、そして何よりも俺自身のために歌ってる。
それをあの子は許してくれるだろうかって思ったりした。
でも、それこそあの子が聞いたら怒るだろう。
俺の歌がもっと色んな人に届くようにと誰よりも願ってくれた子なんだから。
そして俺はもう一つだけ夢を見てるんだ。
もっと、もっと、有名になれたら、いつかあの子の耳に俺の歌が届くかもしれない。
そして俺の歌を聴いたあの子が俺の歌――いや、俺たちの音楽を好きになってくれたら、って思うんだ。
そんな可能性はものすごく低いって分かってる。
それに困難だってたくさんあるだろうことも。
それでも、いつか、俺の歌を聴いて、
俺のことをほんの少しでも、
心の隅っこでもいいから、
ただの既視感としてでもいいから、
思い出してくれたらいいなって。
そんな夢を見てるんだ。
――いつの間にか。
雨はもう、止んでた。
【始まりの小さな花/完】
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