序章

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序章

(――ここは、どこ、だ)  ゆっくりと瞼を開いた彼の双眸に映ったのは庭園のような景色だった。  噴水に水路、色とりどりの植物などが規則的に配置されている様子から、ここが人の手によって作られた場所だということが分かる。  虚ろな表情で目前に広がる光景を見ていた彼は、なにかに操られているかのようにぎこちない動きで歩き始めた。 (また、あの夢なのか)  徐々に意識がはっきりとし、これがよく見る夢であることを思い出す。  内容はいつもと同じだ。目が覚めたときに全てを忘れているところも、そのとき胸の奥に鈍い痛みを感じていることも、きっと同じなのだろう。    この夢を繰り返し見ることで分かったのは、これは誰かに見せられている夢で、その"誰か"が〈あの女〉であるということくらいだ。  けれど彼は、無意識で知っていた。  本当に認めなければいけないことを認められずにいるから、彼は今、ここにいるのだということを。  辿り着いた先は桟橋で、そこには腰まである長く深い青の髪を風になびかせて静かに佇む少女がいた。 「……リ、リィ」  後ろ姿で顔は分からなくとも、その少女が自分の知っている少女であるという確信が彼の中にはあった。  どのような表情で、どのような気持ちで、彼女はそこに立っているのだろう。  そんなことを思ったときだった。  胸の奥が痛みだす。目覚めた時に残るものと同じような痛み。瞬間、凄まじい勢いで記憶の波が逆流し始め脳裏に甦り始めた。  それを止めようと両の手で力一杯に頭を押さえつける。が、激しい痛みが頭の中を駆け巡る。  ――駄目だ、駄目だ、駄目だッ……!  思い出してはいけないのだと自分に言い聞かせる。  記憶の逆流を止めようと彼は足掻くが本当は分かっていた。だから叫んだ。心の中で。  ――やめろッ! 思い出したく、ないッ!  頭を押さえたまま膝をついて、その場に崩れ落ちる。嗚咽を漏らしながら、救いを求めるように、顔を上げた。  焦点の定まらない虚ろな瞳が少女の後ろ姿をふたたび捉えた。  少女がこちらを振り返ろうとするのと同時に少女の姿は消え、世界はモノクロと化す。自分と――少女の代わりに現れた〈あの女〉を除いて。  地面に手をついて、よろめきながら立ち上がろうとする彼に〈あの女〉が近づいてくる。  踵を踏み鳴らす音で一歩また一歩と距離を詰められているのが分かるが、彼は立ち上がることができずにいた。  その音が間近で聞こえたとき。  彼はもう立ち上がろうとすることを諦め、焦燥に駆られた目で〈あの女〉を睨みつけた。  彼と〈あの女〉が対峙する。  ふと脳裏を過ぎったのはあの少女のこと。  どのような表情で、どのような気持ちで、彼女はそこに立っていたのか。
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