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「このメガネ、売ってください」
一週間後、私は店員に頭を下げていた。
「気に入っていただけマシタカ?」
「はい、スゴク」
この7日間の黄金色の日々が胸をよぎる。見るもの触れるもの全てが光り輝き、生きている事の素晴らしさを私は噛み締めた。あんな人生をこれからも過ごせたら、どんなに良いだろう。
「それは良カッタ。こちらの金メガネ、777万円になりマス」
「777…」
愕然とする。財布の中には今まで貯めたへそくりが入っている。が、到底その金額に届くものではない。777万なんて、とてもじゃないが夫には頼めない。
「高いんですね…」
当たり前か。人生が変わるんだから。
肩を落とし、私は店員に金色メガネを返した。
「すみません…やっぱり止めます」
「そうデスカ、残念デスネ」
「はい、本当に」
ため息と共に、テーブルの端に置かれた自分のメガネを見つめる。戻ってしまうのだ、また。トキメキや情熱などない、つまらない毎日に。
「はい、これ、お返ししマスネ」
「どうも…え?」
店員に渡されたのは、見覚えのない白いメガネだった。
「あ、これ、私のじゃないです」
「いいえ。確かにこれはあなたのメガネデス」
「あの、私のはあっちの…」
テーブルの上のメガネを指差す。呆れ顔で、店員は首を振った。
「あれは、ウチの商品デスネ」
「え?そんな事は」
「カードをなくしたからデスネ、きっと。言ったデショウ? カードがあれば思い出せるッテ。なくしてしまえば思い出せマセン。あなたは忘れてしまったのデスヨ。銀のメガネを借りたという事ヲ」
はっと息を呑む。確かに私はこれまで、カードを見るまでメガネを借りた事を思い出せなかった。そして、もう一つ。初めてこの店に来た時の事だ。この店員は私に言ったのではなかったか。「待っていた」と。
「ほら、これが証拠デスネ」
店員は、白と銀、二つのメガネを裏返す。銀のメガネの方にだけ、この店のロゴが彫り込まれていた。
「じゃあ、ドウゾ」
白いメガネを私は受け取る。それは、驚くほど私の手に馴染んでいた。
そうか。これが私の本当のメガネか。
だとすると、今まで過ごしていたあのつまらない日々は、銀のメガネが見せていた幻によるものだったという事だ。
私の本当の世界は一体何色なのだろう。
ふと胸をよぎった不安に、メガネをかける手が止まる。
もし、今までと変わらなかったら…。このままずっと、灰色の毎日を過ごしていくのだとしたら…。
その時だ。店員が言った。
「お客さん、何度も来てくれたから特別にいいことを教えてあげマスヨ。彩眼鏡の、世界を彩る力。その力はね、本当は誰もが持っている力なんデス。心の中にネ」
「誰もが持っている…?」
手の中のメガネに私は目を落とす。
出来るのだろうか、私にも。人生を変えることが。
「ありがとうございマシター」
ドアが開いた。
店に差し込む眩しい光を、私は見つめる。
いや、出来るはずだ。絶対に。だって私は知っている。見え方一つで人生が変わることを。
白いメガネをかけ、光の中へと私は歩き出す。
どんな色に染めていこうか。
私は、自分の人生を。
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