彩眼鏡

7/7
前へ
/7ページ
次へ
「このメガネ、売ってください」 一週間後、私は店員に頭を下げていた。 「気に入っていただけマシタカ?」 「はい、スゴク」  この7日間の黄金色の日々が胸をよぎる。見るもの触れるもの全てが光り輝き、生きている事の素晴らしさを私は噛み締めた。あんな人生をこれからも過ごせたら、どんなに良いだろう。 「それは良カッタ。こちらの金メガネ、777万円になりマス」 「777…」  愕然とする。財布の中には今まで貯めたへそくりが入っている。が、到底その金額に届くものではない。777万なんて、とてもじゃないが夫には頼めない。 「高いんですね…」  当たり前か。人生が変わるんだから。  肩を落とし、私は店員に金色メガネを返した。 「すみません…やっぱり止めます」 「そうデスカ、残念デスネ」 「はい、本当に」  ため息と共に、テーブルの端に置かれた自分のメガネを見つめる。戻ってしまうのだ、また。トキメキや情熱などない、つまらない毎日に。 「はい、これ、お返ししマスネ」 「どうも…え?」  店員に渡されたのは、見覚えのない白いメガネだった。 「あ、これ、私のじゃないです」 「いいえ。確かにこれはあなたのメガネデス」 「あの、私のはあっちの…」  テーブルの上のメガネを指差す。呆れ顔で、店員は首を振った。 「あれは、ウチの商品デスネ」 「え?そんな事は」 「カードをなくしたからデスネ、きっと。言ったデショウ? カードがあれば思い出せるッテ。なくしてしまえば思い出せマセン。あなたは忘れてしまったのデスヨ。銀のメガネを借りたという事ヲ」  はっと息を呑む。確かに私はこれまで、カードを見るまでメガネを借りた事を思い出せなかった。そして、もう一つ。初めてこの店に来た時の事だ。この店員は私に言ったのではなかったか。「待っていた」と。 「ほら、これが証拠デスネ」  店員は、白と銀、二つのメガネを裏返す。銀のメガネの方にだけ、この店のロゴが彫り込まれていた。 「じゃあ、ドウゾ」  白いメガネを私は受け取る。それは、驚くほど私の手に馴染んでいた。  そうか。これが私の本当のメガネか。  だとすると、今まで過ごしていたあのつまらない日々は、銀のメガネが見せていた幻によるものだったという事だ。  私の本当の世界は一体何色なのだろう。  ふと胸をよぎった不安に、メガネをかける手が止まる。  もし、今までと変わらなかったら…。このままずっと、灰色の毎日を過ごしていくのだとしたら…。  その時だ。店員が言った。 「お客さん、何度も来てくれたから特別にいいことを教えてあげマスヨ。彩眼鏡の、世界を彩る力。その力はね、本当は誰もが持っている力なんデス。心の中にネ」 「誰もが持っている…?」  手の中のメガネに私は目を落とす。  出来るのだろうか、私にも。人生を変えることが。 「ありがとうございマシター」  ドアが開いた。  店に差し込む眩しい光を、私は見つめる。  いや、出来るはずだ。絶対に。だって私は知っている。見え方一つで人生が変わることを。  白いメガネをかけ、光の中へと私は歩き出す。  どんな色に染めていこうか。  私は、自分の人生を。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加