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雑貨屋の前を通りかかった時だ。
ふと視界に入ったそれに、目が釘付けになる。
「…ハート?」
ハートだ。ハートが飛んでいる。たくさんのピンク色のハートが、店の陳列窓の辺りに浮かんでいる。
「何これ?」
よく見ると、ハートは何か茶色い物体を取り囲んでいるようだ。
「クマ、よね」
ハートの中心にどっかりと座っているのは、窓際に飾られたクマのぬいぐるみだ。とぼけた顔付きをしている。
「可愛い…」
一瞬で心が奪われた。
この顔。この丸っこいフォルム。
「好きだったなあ、クマさん」
トキメキが、胸に蘇る。確かあれは5歳の頃だっただろうか。誕生日に買ってもらった、小さなクマのぬいぐるみ。そのぬいぐるみが私は大好きで、どこに行くにも連れて歩いた。
『クマさん、だーいすき。大きくなったら、大きいクマさんと、いっぱいのクマさんと暮らすの』
そう言ってよく両親を笑わせていた。
すっかり忘れていた。大好きだったクマさんのことも、幼い頃の夢も。
無数のハートに囲まれたクマを私は見つめる。
「懐かしいな」
宝物を抱きしめるように、私は思い出をそっと抱えて家へと帰った。
「…え?」
その夜、帰ってきた夫を出迎えた時だ。
先ほどと同じハートが、夫を取り囲むように浮かんでいた。
「何?そのハート」
「え?ハート?」
どうやら夫には見えていないらしい。
私は夫をまじまじと見つめる。が、いつもと変わったところはない。
「な、なんだよ」
「ううん、別に」
首を捻った時だ。私はふと思った。
この人、何かに似てる。
何だろうか。この、懐かしい気持ちは。
胸に手を当てはっと気が付く。
この顔。この丸っこいフォルム。そしてこの、得も言われぬ安心感。
「クマさんだ…」
大好きだったクマのぬいぐるみに、夫はよく似ているのだ。
「そっか…」
だから私、彼と結婚したのか。
冴えないと思っていた夫が、急に愛らしく感じ始めた。
「すぐご飯にするね」
いそいそとキッチンに向かった時だ。
「母ちゃん!腹減った!」
「早く!ごはん!」
「もう倒れるよ~」
怪獣のような声が背後から響いた。息子たちだ。
「だから、すぐ出来るって…」
何回、同じことを言わせるんだろう。うんざりしながら振り返った時だ。
「…え?」
ズキュンと胸が撃ち抜かれた。
ふわふわと浮かぶ無数のハート。その中心で、不機嫌な顔でこちらを見上げているのは…
「コグマ…」
クマそっくりの夫に、よく似た息子たち。それはまさしくコグマだった。よく見れば、不機嫌そうな顔も、ふっくらした頬も、抱きしめたくなるほどキュートだ。
「…すぐ出来るから、向こうで待ってて」
茶碗に山盛りのご飯をよそいながら、私は胸が熱くなるのを感じた。
大きなクマと、いっぱいのクマ。
幼い頃の私の夢は、いつの間にか叶っていたらしい。
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