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「そんな。僕だって戦場で枯葉病を見たことが有るが、あれはもっと葉の模様の斑点が浮かぶはずだろ」
彼女の赤みはそれほどひどいものではない。ちょっと頬が紅く染まっている程度。これまでに僕が見た患者とは違っていた。
「あたしの予想なんだけど、彼女は自分の病気を解ってるんだと思う」
そう言いながら医家であるその子はガーゼに水を含めせて、彼女の頬を拭った。
水の冷たさに彼女の表情がちょっとだけ歪む。しかし、それよりも僕は化粧の落とされた彼女の頬に真っ赤な紅葉を見付けた。
葉脈の文様まで解るくらいにはっきりとしている斑点。そんなものに今まで僕は彼女と一緒に居ながらも気付いてなかった。
落ち込んでいる僕に「こっちにも有るんだよ」と声が掛り、次は彼女の手を取ってさっきと同様に拭う。そこにも落葉の紋があった。
「多分もうあちこちにみられる。末期と呼べる状況なんだ。弱り始めてから進行が進んでると思うけど、未知の病だから」
僕に伝えているその言葉さえも辛そうに語られている。彼女たちは戦場で戦い仲良くなった数少ない友人。辛いのは僕と同じなのかもしれない。
「どうにか救う方法は無いのか」
膝をついて項垂れた僕だけど、治療法が無いのは解っている。それを理解しているので返答も無かった。
久し振りの友人の再会は最悪の事になって、かの子は彼女とそれから言葉を交わすと辛くなるので、彼女が眠っている間に返すことにした。
「この周りの人には知られないほうが良いから」
一言僕に忠告を残して居なくなった。
その言葉を守れる事はなかった。
薬師の僕たちの元には町の人間は結構集まっていた。そして先日駐軍医のあの子が訪れたのも悪い方向に進んだ。噂に尾ひれが付いてそれが真実へと近づいたのだった。
「ごめんなさい。私の責任も有るよね。貴方が辛い思いをしなくても良い。病人を捨て逃げても構わないよ」
彼女には枯葉病の事を聞くことも無かったが、僕が知らされている事すらも彼女はお見通しの様子で、噂が広まった頃から緋色に染まった葉を化粧でごまかすことは無くなっていた。
「有り得ない。そんな事が、出来るわけないだろ。僕はこれからもずっと君と居る」
これは心からの僕の言葉だった。彼女が死んでしまう。いつかそんな日が訪れるだろうと思っていた。だけど僕より先で、こんなに直ぐだなんて思ってなかった。その事が逆に不明の恐ろしい病気だとしても僕が彼女から離れるだけの理由にならない。
僕の言葉に彼女はただニコリと笑うだけだった。
いつしか僕たちの住んでいる家の周りには柵が設けられ、入り口には監視員が立つようになっていた。
もちろん僕は買い物や薬を届ける為に出入りは許されたが、彼女はそうではない。もとよりもう彼女に出掛けるだけの体力は無くなっていた。
家の事を少しずつでも彼女はこなしてくれている。しかし、日毎にそれも難しいものが増えていた。
彼女の身体の斑点は増え、紅葉に染まっている。それを見て「なんかちょっと綺麗だね」と笑っている頬の葉ははっきりとして病気を表している。その姿を見るのが辛い。そして彼女にそんなものを見せるのが辛かった。
僕は家にある鏡を割って回った。そんなに多くのものはなかったけれど「こんなものを見なくても良い。君は美しいよ」と彼女に言うと全てを割ってしまう。
我か鏡を片付けている僕の表情に涙が浮かんでいるのが、破片に映っていた。まだこれからの人生を思い描いていたのにこんなことになるなんて、誰が想像しただろう。僕は悲しくて仕方が無い。
涙を拭った二の腕にヒリヒリとした痛みがあった。鏡の破片で確認すると、それは割ったときの切り傷ではなかった。
「この庭を眺めながら私は死ぬんだね。なんかちょっと寂しいな」
日々彼女と僕は池のほとりで退屈でものどかな時間を過ごす事にしていた。そんな時の彼女の言葉。僕は彼女の願いだったら叶えたいと思っていた。
まだ彼女を背負ってどこかに出掛けることくらいは出来るだろう。僕はそう思って地図を広げた。
「遠くはダメでも、近くだったら。見たいところは有る?」
もう彼女だけでなく僕も、彼女の死には向き合っていた。怖いことだけど、悲観するばかりにはならない。
「そうだな。この丘から本国をもう一度だけ眺めたいかな」
彼女はこの国の首都に有る代々王家に仕えている戦士の家計。城の近くで生まれ育った。そんな所を見ることを要望していた。
「わかった。取り合えずはその場所にしよう。別のところも考えて。これからは彼方此方回ろうよ」
ただこの提案には障害があるのは解っていた。それは門番となっている者たちだった。彼女の外出は許されない。それを説得するのは難しいのかもしれない。
「安請け合いしない方が良いよ。私はこの池の眺めだけで良いんだから。魔物と人間の共存している風景はとても美しいよ」
この田舎町、そしてなにより僕たちの庭には弱い魔物の姿が有った。人間に危害を与える訳でもなく、僕たちも退治をしたりしない。昔とは違っていた。
「必ず叶えるからそんな風に言うなよ」
楽観的に話しているが嘘を付いている。難しいだろう。こんな事を言える筈も無い。
彼女との会話をしてから、僕は家を封鎖をしている者たちのところに向かった。
「二人で出掛けたいんだが許しをもらえるか?」
僕が問うと明らかに門番たちは困惑した表情をしていた。
「すみませんが許可出来ない事になっています」
正直この者たちに言われるとは思ってなかった。せめて上に相談は有るのかと。これは元々彼女を閉じ込める為の措置なんだと解った。
「彼女の自由を奪う権利が有るのか!」
その現実に僕はつい怒ってしまっていた。すると門番の片方の者が僕の方に近付いた。
「部隊長。冷静になってください。私も隊長たちの元で戦っていた者です。これは国命なのです。理解をお願いします」
彼の顔はなんとなく見覚えが有った。まだ生きていてこんな所で再会できたのは嬉しかったけれど、それとは話が別だった。
「国の為に命を懸けたのに、こんな仕打ちなのか」
「命令なのです。ご勘弁ください。枯葉病は恐ろしい病気です。部隊長も離れた方が」
僕も元は国の戦士として戦ったので命令を重んじている彼の事は解らなくともなかった。しかし、その次の言葉に怒りを憶えていた。
確かに枯葉病は恐ろしい。だから、僕が彼女から病気を怖がって逃げるなんて有り得ない。
「なら、君たちも逃げれば良い」
僕はそう言うと腕を捲って彼らに、僕の腕を見せた。
そこには落葉の紋様が有った。
「僕だって枯葉病だ。近くに居て感染しない確証はないぞ」
腕を見せて語るとさっきまで話していた元部下じゃない方の門番が慌て悲鳴を上げながら走って逃げてしまった。
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