おばあさんが忘れものをした理由。

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 今は夫が持っていたものを忘れ、その場に置いていってしまって。それを私が探しに行ったり「あなた、忘れていますよ!」なんて言ってその場でお伝えする感じになっていますけれどね、もとは逆だったんですよ。  昔は私がよく忘れものをしたものです。  わざとね。  だって、デート中喧嘩した時とか、険悪なムードの時に公園のベンチとかにささっと鞄を置いて、忘れたフリして進んだら絶対にあなたは気がついてくれて、鞄をとりに戻ってくれて。『おっちょこちょいだな』みたいな顔して口角上げながら渡してくれるんですもの。 「あら、すみませんねぇ」って受けとり、ふふっと私が微笑むと、いつも「行くぞ!」と言って照れくさそうに手を握ってくれて。仲直りして――。  その瞬間のあなたの顔が、好きでした。  今は、あなたが忘れていたものをあなたに渡した時『とても申し訳ないな』って顔していますけどね、昔はいっぱいあなたが私にしてくれましたから、恩返しといいますか、気にしなくても良いですからね。  申し訳なさそうにしている時のあなたの顔も、好きですけどね。  もう、六十年以上前でしょうか?  私達がお付き合いを始めたのも、私の忘れものがきっかけでしたよね。まだお知り合いではなかった頃。バスに乗り私があなたの隣に座っていた時に、私がその席に忘れていった鞄を、あなたが届けてくれて。あれも、わざとですからね。  だって、あなたに一目惚れしてしまったんですもの。  そしてね、その時から感じていましたの。この人はきっと、忘れものを私に届けてくれるんだろうなって。
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