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そんな時緒(ときお)に、青年は眉を下げて頬を緩めると、それからそっと腰を屈め、時緖と視線を合わせた。 突如と重なる視線、間近に迫る柔らかな微笑みに、時緖は条件反射のようにドキリと胸を震わせた。 「真夜中の魔物」 「…え?」 その優しく届く言葉に、時緖は目を丸くした。彼はそっと笑み、ゆるりと体を起こした。 「真夜中の魔物はいつも寂しくて、でも魔物と一緒に居たい人間なんていない。だから人を襲って、朝が来るまで側にいて貰うんだ。そんな時、同じように寂しい思いをして夜を過ごす少年と出会った。魔物は少年と出会った事で、人に寄り添い、誰かの為に真夜中の力を使うようになる」 「…それって、絵本の?」 「そうだよ」 嬉しそうに頷く彼に、時緖は信じられない思いでいた。 真夜中の魔物とは、時緖が子供の頃に読んで貰った絵本だ、だが、いくら書店や図書館を探してもその絵本は見つからず、その絵本を知っている人に会ったのも初めてだったので、驚いていた。 でも、彼の言いたい事が分からない、その絵本が何だというのだろう。 「魔物は、出会ったその人が会いたい人を夢の中に連れてきてくれる、こんな風にね」 「…え、」 そう両手を広げられ、時緖はきょとんとした。「え?」と、もう一度尋ねるが、彼は変わらず微笑むだけだ。 まさか、本当に真夜中の魔物がいると言うのか、ここは夢の中で、会いたいと願った月那(つきな)を連れてきてくれたと、そんな事が実際に起きていると、彼は言いたいのだろうか。時緖が呆然と顔を上げれば、彼はにこりと頷いた。ますます訳が分からず困惑する時緖に、彼は苦笑って、キッチンに体を向けた。 「まぁ、信じられないよね。それも良い、あなたは酔って眠っているんだ、だからこれは何でもないただの夢、僕はただの幻想。その方があなたにとっても都合が良いよ」 「な、なんで」 「だってこの僕は、あなたが一番会いたかった人でしょ?僕に会いたかったなんて思われたら、恥ずかしいじゃない?」 顔だけ振り返って微笑まれれば、胸が騒いで落ち着かなくなる。確かに、月那は時緖にとって、いつだって会いたい存在だ。こんな風に胸が締め付けられる夜は特に、その顔を見て、会ってほっとさせて欲しい。 でも、店には行けなかった。会いたいのに、会うのが怖かった。隠した気持ちが閉じ込めた隙間から零れてしまいそうで、自分が自分でも嫌な人間になってしまいそうで怖かった。 それだけ時緖の胸は彼への思いに満ちていた。 だが、やはり気になる事がある。 今の彼の言い方では、彼は月那ではないと言っているみたいだった。それだけじゃない、話し方も、いつもの月那より砕けている気がする。 真夜中の魔物は、夢の中を通じて当人同士を出会わせるのではなかったか。やはり、魔物とは関係なく、ただの夢を見てるだけなのか。 混乱のまま立ちすくんでいると、彼は勝手知ったる我が家のように、やかんに湯を沸かし始めた。 「あの、」 「座ってて。ホットココアを作ろうか、寝る前に飲むと落ち着くって、この前言ってたでしょ?」 その優しい声に、時緒は目を瞬いた。それは、本物の月那にも話した事があったからだ。手慣れた様子でキッチンに立つ姿を見ていたら、何だか考えるのも疲れて、時緖は小さく頷くだけだった。 湯気の立つカップを前に、時緖は眼鏡をかけ直し、まじまじと月那のような青年を見つめる。「ん?」と穏やかに小首を傾げられれば、偽物かもしれないという疑念もどこかへ吹き飛び、嘘みたいに胸が高鳴った。いやいや偽物だからと、時緖は訪れたときめきをやり過ごそうと、焦ってカップに口をつけた。 「熱!」 案の定な光景に、彼は困った様子で「焦って飲むからだよ」と笑った。二人きりの空間で、その優しい眼差しを向けられては、何だか勘違いしそうになる。そもそも、どこから何を信じて疑えば良いのかさっぱりなのだが、時緖は月那みたいな彼に、密かに重ねた恋心だけは悟られまいと、慌てて顔を俯けた。 会いたいと知られている時点で手遅れかもしれないが。 「時緖さんとこうしてるの新鮮ですね。いつも向かい合ってもカウンター越しですから、同じ視線になるのが少し擽ったいです」 頬杖をついて、少し照れくさそうにそんな事を言う。その口調が、先程とは打って変わりいつもの月那と同じようで、時緖は混乱も忘れて赤くなった。真夜中に呑み込まれた部屋が、ふわふわと温かくなった気がして、時緖は立てた決心が早々に崩れ去るのを感じ、そんな自分に頭を抱えたくなった。 だって、本当の所はどうか分からないが、目の前に居るのは月那とそっくりで、そんな彼が他の誰でもなく自分を優先してくれているという状況に、これが夢だとしても、それこそ夢のようで困ってしまう。
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