私は私を忘れて私になる

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目を覚ませば見知らぬ天井があった。 倒れた記憶はある。 まだ私は私を忘れてはいないようだった。 カチャ。 ふいに聞こえた音に自然と顔が向く。 ドアを開け入ろうとしている藤乃井蒼士と目が合う。 「気がついたか。」 やはり倒れた時の目の前の人物がここへ運んだようだった。 「ええ…。あなたが運んでくれたみたいね。ありがとう。」 お礼くらいはと口を開けば、近寄ってきていた藤乃井蒼士の足が止まった。 「彩…愛?」 彩愛の名を呼ぶ藤乃井蒼士は信じられないものを見ている顔をしていた。 「いいえ、朱音よ。」 私はゆるゆると首を振りながら答えた。 それでも藤乃井蒼士の驚いた顔は崩れることなく、その場に縫い留められたかのように動かなかった。 「…本当に朱音か?」 言葉と共にようやく足を動かし藤乃井蒼士は私の側までくると顔を近づけてきた。 「残念ながら、ね。」 「………。」 私は意地悪く言ったつもりだったのに、なぜか腕を強く引かれ藤乃井蒼士の腕の中に収められていた。 「ちょっ、ちょっと!離し…」 「その表情は彩愛のものだ。」 藤乃井蒼士は遮るように言って更に腕の力を強めた。 『『ドクッ。』』 「…っく…」 まただ。また鼓動が。 息を詰めたのが聞こえたのか藤乃井蒼士は「どうした?」といいながら両肩を掴み覗き込んでくる。 「彩愛?」 『『トクン…トクン…。』』 彩愛と呼ぶ藤乃井蒼士の声に応えるように小さく重なる鼓動。 「やめてっ……私は彩愛じゃない朱音よっっ……」 片手で胸を掴みながらもう片方で藤乃井蒼士を押し返す。 「朱音、お前には悪いが彩愛はもうそこにいる。そこまで戻ってきている。違うか?」 すんなり私から離れた藤乃井蒼士は確信を得たようだった。 『『トクン。』』 「ッ!!…やめてっ……やめてやめてやめてーーっ!!」 呼応する鼓動に私は頭を抱えてうつ向いた。 すぐそこに朱音の終わりを感じる。 「…私は…朱音よ……まだ…まだ…私を忘れな「悪いな、朱音。」 藤乃井蒼士は強引に私の顎を掴み顔を上げさせ口づけた。 『『ド……クン……』』 その確かな鼓動を最後に私は私を忘れた。
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