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16章 残された小さな欲望 第6話 受け取るべき対価
「と言うわけで!」
そんな張り切った声とともに、佳鳴が今夜もみむろ杉を嗜む柳田さんの前にどんと出したのは、その同じみむろ杉の4号瓶だった。2本ご用意した。
「あら、こちらは?」
柳田さんが不思議そうに首を傾げる。
「先日看護師さんの件で視ていただいたお礼です。お会計を断られてしまいましたからね。これはもう押し付けで受け取っていただいちゃいますよ」
佳鳴が鼻息も荒く言い、千隼も隣で何度も頷くと、柳田さんは「あらあらあら」とおかしそうに笑う。
普段「煮物屋さん」では日本酒は一升瓶を入荷する。だが日本酒に限らずお酒というものは、開栓して空気に触れた途端味の劣化が始まる。味を保たれる期間は、みむろ杉の様な純米酒は1ヶ月ほどが目安とされている。
商品になる一升瓶は様々なお客さまが飲まれるので、1ヶ月もあれば大概空になる。だがおひとりで飲まれる場合、よほど酒豪でも無ければ余ってしまう。柳田さんはいつもそう量はお召し上がらない。なので最後まで美味しいまま楽しんでいただける様に、4号瓶を2本なのだ。
別のもっと珍しいお酒をご用意することも考えた。例えば同じみむろ杉でも、他に純米大吟醸などもある。だがもし柳田さんのお好みで無かったら意味が無い。それなら希少価値など無くても、馴染まれている銘柄が良いのでは無いかと思ったのだ。
「もうほんまに、お気になさらなくてもええですのに」
「いいえ、そんなわけには行きません。柳田さんはこのお酒だけや足りないだけのことをしてくれはりました。私らは柳田さんの大切な能力をいただいたんです。柳田さんはその対価をお受け取りしてもらわんと」
「ほんまにそんな大したことをしたつもりはあれへんのですよ」
「柳田さんにとってはそうかも知れませんけど、私らにとってはとても大きなものやったんです。柳田さんがいてはらへんかったら救われへんかった思いがあったんですから」
柳田さんは「大げさですわねぇ」と穏やかに笑うが、「でもそうですわね」と上品に小さく首を傾けた。
「ではありがたく頂戴いたしますわね。こちらのお店でいただいても大丈夫なのでしょうか」
「はい、もちろんです。ボトルキープにしましょう。実は今お出ししてるんも、ここからお注ぎさしてもらってるんですよ」
強引かなとも思ったが、それぐらいしなければ柳田さんには受け取っていただけないと思ったのだ。幸いご快諾いただけたので、こうして種明かしもできるのである。
「あら、これはしてやられた気分ですわ。でも嬉しいですわ。ありがとうございます。美味しくいただきますわね」
「良かったぁ。ありがとうございます」
佳鳴と千隼は心の底からほっとする。これで少しでも柳田さんにお返しができただろうか。
押し付けがましかったかも知れない。独りよがりかも知れない。だが柳田さんのお力、ご厚意の価値をどうしても示したかったのだ。そして知って欲しかったのである。
柳田さんは梅田の占いショップにお勤めである。そこではもちろん対価をいただいて占いをされるのだ。それは確かにお仕事だから、金銭が発生するのは当たり前である。
三浦さんの今回の一件は、確かに柳田さんにとってはお仕事では無いのかも知れない。だがお力を使われるという部分では一緒だ。なら相応のものを受け取っていただきたいのだ。
佳鳴がほっと安堵したその時、「こんばんは」の声とともに店に入って来られたのは三浦さんだった。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ。三浦さん、占い師の方が見えてますよ」
「え、え? どなたどなた?」
佳鳴の言葉に三浦さんは目を丸くして、きょろきょろと店内を見渡す。
「あら、もしかしたらあなたがお困りやった看護師さまかしら?」
柳田さんが腰を浮かせて言うと、三浦さんの視線がまっすぐに柳田さんに向かった。
「あなたが占い師の方ですか?」
三浦さんはそろりと柳田さんに近付くと、深く頭を下げた。
「この度はほんまにありがとうございました!」
「あらあら、店長さんたちにも申しましたけども、私はほんまに大したことはしてへんのですのよ」
柳田さんはいつでも丁寧で低姿勢である。
「いいえ。ほんまに助かりました。あれから機器の異常も無くなって。ほんまにびっくりするぐらいに止まったんですよ。私らも医療従事者として、悼むことの大切さをあらためて思い出すことができて。ほんまにありがとうございました」
「いいえ。あなた方のお役に立てたのでしたら良かったですわ」
「はい。それはもうとてもとても。ほんまにありがとうございました」
「もうほんまに大したことでは無いのですよ。それよりお掛けになってくださいな」
「あ、は、はい」
三浦さんは慌てて空いていた柳田さんの横に掛け、「お隣失礼します」と小さく頭を下げた。
佳鳴が温かいおしぼりを渡すと、三浦さんは気持ち良さそうに手を拭いて「いつも通りでまずは赤ワインお願いします。あとでご飯くださいね」とご注文される。
「はい。かしこまりました。いつものカベルネ・ソーヴィニヨンでよろしいですか?」
「はい」
「あら、お酒もご飯もいただかはるのですか?」
三浦さんがたくさん召し上がることに驚かれたのか、柳田さんは目を丸くされた。
「はい。体力仕事なもんで、毎日仕事の後はお腹が空いて空いて」
柳田さんのせりふに三浦さんは照れた様に応える。基本は立ち仕事だろうし、重いものを持ったり運んだりされたりすることも多いだろう。
「たくさん食べるのは素晴らしいことですわ。食べることは生きること、力ですものね。ええと、失礼ですがお名前をお伺いしても? 私は柳田と申します」
「あ、三浦と申します。よろしくお願いします」
「三浦さん、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。ええ、三浦さんからは溢れるエネルギーを感じますわ。本当に美しいですわね」
「う、美しいだなんて、そんなっ」
柳田さんの穏やかながらも凛としたお言葉に、三浦さんはお顔を赤らめてすっかり恥ずかしがってしまう。柳田さんがおっしゃっているのはお顔などの美醜では無いのだろうが、ここは何も言うまい。
だが確かに生命力に満ちているというのは、素晴らしいことなのだと思う。この「煮物屋さん」に来られるお客さまにはそういう意味で美しい方が多い様に思う。
「このお店で美味しいものをいただいているのも、原因のひとつなのですわね」
「ええ、ええ。そうですそうです!」
柳田さんのお言葉に三浦さんは前のめりで同意する。
「そうおっしゃっていただけるのはとても嬉しいですね。ありがとうございます。はい三浦さん、お料理お待たせしました。まずは小鉢ですよ」
「はぁい! ありがとうございます!」
佳鳴が小鉢をお出しすると、三浦さんは上がったボルテージのまま返事をする。
今日の小鉢ひとつ目はかまぼことにらの炒め物である。ごま油と千切り生姜で炒め、みりんなどで軽く味付けをしてある。
かまぼこの優しい旨味と、旬のにらのはっきりとした旨味。それらを生姜とごま油がまとめ上げるのだ。
もうひとつは焼きねぎのおかか和えだ。フライパンで焦げ目が付くまでしっかりと焼き付けた白ねぎを、削り節と調味料で和えたものである。アクセントとして唐辛子の輪切りも少々入っている。
白ねぎは火を通すことで甘みが引き出される。そこに削り節がさらなる旨味を足すのである。
「また今日もお酒に合いそうなメニューですねぇ。いただきまーす」
三浦さんはカベルネ・ソーヴィニヨンを豪快にごくり。そして炒め物を口に含んだ。
「へぇ、ごま油と生姜ですか? ええ風味です。にらがしゃきしゃきしてて、かまぼことの食感の違いが面白いですねぇ」
「ありがとうございます」
「あら三浦さん、メインの煮物はいただかへんのですか?」
小鉢だけでお酒を飲まれる三浦さんに、柳田さんが不思議そうに訊かれる。
「煮物は後でご飯とお味噌汁と一緒にいただくんです。まずは小鉢でお酒をゆっくりといただこうかと」
「あら、それは素敵ですわねぇ。私はお酒が入ってしまうと、食が細くなってしまうのですよ」
「でも動かれるとかで無いんでしたら、晩はお米は無い方がええかもですよ。太ってまいますよ。せっかく羨ましいほどのスレンダー体型やのに」
「あらあら」
柳田さんはおかしそうに笑う。
「確かに太り過ぎるのは困ってしまいますねぇ」
「そうですよ。それもそうなんですけど柳田さん」
「はい?」
「何かお礼がしたいんです。何か欲しいもんとかありませんか? お菓子とか……甘いものとかお好きですか?」
「あらまぁ。お礼なんてほんまによろしいのですのよ。私はご縁のままに視させていただいただけなのですから」
「そんなわけにはいきません。今回はほんまに助かったんですから。柳田さんがいてはれへんかったら、原因すら判らんかったんですよ。ぜやから何かさせてください」
三浦さんは頑として譲るつもりは無い様だ。柳田さんのお顔をまっすぐに見据えて力説される。これに関しては三浦さんを応援してしまう佳鳴である。
「いいえぇ、それに先ほど店長さんとハヤさんからお礼をいただきました。それでもう充分過ぎるほどなのですよ」
「え? 店長さんとハヤさんは何をされたんですか?」
三浦さんの少し驚いた様な顔が佳鳴たちに向く。佳鳴は先ほど柳田さんにお見せしたみむろ杉の4号瓶を出した。
「これを2本、こちら持ちでボトルキープさせていただきました」
「え? このお店ボトルキープ無いですよね?」
「はい。置く場所が確保できないもので。なのでお礼なんです」
「じゃ、じゃあその3本目と4本目を私らに贈らせてください!」
三浦さんがそう言って勢い良く挙手した。
「もちろんですよ。仕入れはこちらでさせていただきますね」
「助かります。ありがとうございます!」
お礼ができそうなことに安堵されたのか、三浦さんはほっと頬を緩ませる。
「あらあらあら、どうしましょう。私には過ぎてしまうお礼ですわ」
柳田さんが困った様に言うと、三浦さんは「いいえ」と真剣な表情で強く言った。
「足りひんぐらいです。柳田さんはちゃんとされたことの見返りを受け取ってください。その権利があるんです」
なんともストレートな言い方である。だが言葉を選ばないそれが真実だ。そこまで言われ、柳田さんは驚いて目をぱちくりさせた。
「そんなことをおっしゃっていただけるやなんて。私としてはほんまに充分なのですけども、ご厚意はとても嬉しいですわ。ではありがたく3本目お願いしましょうかしら」
「はい、ぜひ! 良かったぁ〜」
三浦さんはまたほっとされたのか顔を綻ばせた。
「ふふ。私も人間ですから欲もありますわ。でも過ぎてしもうたら人間としてのバランスを崩してしまうのです。ですが大好きな日本酒の前では負けてしまいますわねぇ」
「美味しいものはじゃんじゃん飲みましょうよ。我慢は良う無いですよ」
三浦さんに無邪気に言われ、柳田さんはまたおかしそうに「ふふ」と笑った。
「なぁ、姉ちゃん」
「ん?」
閉店後、片付けの途中に千隼が呟く様に言う。
「三浦さん、あれ以降機械の異変無くなったって言うてたよな」
「言うてはったねぇ」
千隼はこわばった顔を佳鳴に向けた。
「それってさ、柳田さんの言う通り、あそこには男の子の幽霊がいたってことか……?」
「そうかもねぇ」
「うわ……」
千隼の顔がひくつく。そこで佳鳴は思い至る。これはもしや。
「千隼あんた、心霊現象を信じひんのや無くて、怖いからそう言い張ってるんや」
「違うって!」
千隼は焦った様に、佳鳴のせりふに被せて否定する。やはりこれは。
「図星かぁ〜」
「だから違うって!」
「まぁまぁ。あんたにも私にも見えへんし感じひんねんから、そんな怖がること無いって」
「だから! 違うんやっての!」
千隼の叫びとも言えるせりふが店内に響き渡った。
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