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４章 光の向こう側 第２話 世界を魅せたなら
翌週末の金曜日、「煮物屋さん」をお休みにした佳鳴と千隼は、阪急電車宝塚線と大阪メトロ御堂筋線を乗り継ぎ、なんばに出て来ていた。高橋さんの小劇団の公演がある小劇場のある街だ。
正確には小劇場は日本橋にあるので、最寄り駅は大阪メトロ堺筋線の恵美須町駅である。だが堺筋線に乗るには梅田からだと２回の乗り換えが必要なのだ。なのでなんばから歩いた方が手間が少ないのである。
まずなんば駅改札すぐ近くのなんばなんなんに入り、花屋さんに立ち寄る。高橋さんにお祝いの品を用意するのだ。あまり大きいと荷物になってしまうので、お気持ちだけになってしまうが、小さなブーケを誂えてもらう。
赤と黄色のスプレーマムをメインに、緑色のかすみ草をあしらったブーケ。持ちやすい様にナイロン袋に入れていただいた。
そうして地下街のまま大阪タカシマヤの前を通り、ブティックなどが並ぶなんばシティを通り抜け、南館から外に出た。ふたりともコートを着込み、マフラーをしっかりと巻いている。はぁと息を吐けば、ふわりと白いものが見えそうになる。
そんな気候でありながらも、休日なのでかなりの人出だ。外国人観光客も多い。
この日本橋界隈にはオタロードがあり、いわゆるおたくショップが所狭しとひしめき合っている。東京で言うところの秋葉原だ。規模はずっと小さいが。
一昔前は電気街と呼ばれ、電化製品や電子部品を置く店舗がずらりと並んでいた。大阪で安く家電を買うなら日本橋と言われていたのだ。価格も店員さんとの交渉でまけてもらってなんぼ。大阪ならではかも知れない。だが今は電気屋さんの半分以上がおたくショップやメイド喫茶に取って代わられた。
今ではコスプレイベントなども行われる、立派なおたくの街となった。今の若い方などは電気街だったころの日本橋を知らないのでは無いだろうか。
佳鳴たちでさえそのころの日本橋はほとんど記憶に無かった。北摂地域で育ったこともあり、梅田から南に行くことがあまり無かったことも影響しているのだろう。
佳鳴たちは劇場に行く前に軽く腹ごしらえをしておこうと、しゅうまいが名物の中華料理店に入る。このお店のしゅうまいは、大阪府から「大阪もん」の指定を受けている一品なのである。
歴史を感じさせる内装だ。明るい店内は街中華店の様な素朴な趣きである。
佳鳴たちは店員さんにしゅうまい２人前と春巻きを注文し、おしぼりを広げてほっとひと心地吐いた。
やがてお料理が運ばれて来た。最近来れていなかったので久々の味だ。
このお店のしゅうまいと春巻の皮は薄焼き卵で作られている。そのため加わる旨味が強いのだ。しゅうまいはふわふわの優しい味で、からし醤油を少し付けていただくと格別だ。春巻も具沢山で食べ応えがあった。味は言わずもがなだ。
そしてこうなるとビールは外せない。ふたりは瓶ビールを１本注文していた。観劇を控えているが、ふたりで中瓶１本ぐらい、なんてこと無いのである。
「あ〜、優しい味〜」
「ほんま旨いわ。たまらん」
佳鳴と千隼はそれらの逸品を、うっとりしながら大いに堪能した。
食器もグラスも空になるころ、腕時計を見ると、そろそろ良い時間になろうとしていた。開演は１９時だ。
佳鳴たちは中華料理店を出て、小劇場に向かう。
「楽しみやな。観劇とか久しぶりや」
「そうやね。お店始めてから休みが月曜やから、行けるタイミングそう無かったもんねぇ。こういうのって週末が多いから。私も楽しみやわ」
「おう。特に知ってる人が出てるって言うんもな。高橋さんは主役や無いけど、重要な役どころやねんな」
「そうそう。ミステリーやろ、それで重要な役回りって、犯人とかワトソン的なあれとか」
「やったらすごいやんな」
佳鳴と千隼は堺筋方面へと歩き、おたロードに差し掛かる。左右にはアニメやゲームのフィギュアなどのグッズが売られている店舗が続く。普段あまり味わうことの無い独特な雰囲気を感じながら、通りを進んだ。
この寒空の下、ミニスカートタイプのメイド服を着たメイドさんたちが、お客さまにショップカードを配ったりメイド喫茶に案内したりしている。ニーハイソックスのお嬢さんばかりなのは、やはり季節柄なのだろう。
そして小劇場に到着する。２階建ての赤と黒が基調の建物で、１階部分が小劇場になっている。普段は演劇の他、漫才やアイドルライブなども行われている様だ。
佳鳴たちは高橋さんから直接買ったチケットを出しながら、劇場の出入り口に向かう。１８時をとうに回り、すでに入場は始まっていたので、チケットをもぎってもらい、パンフレット代わりのちらしを受け取って中へ。
コンパクトながらもエントランスがあり、さっと見渡してみると、ご常連のお姿を見つけた。門又さんと榊さん、赤森さんだ。円を囲む様に談笑されている。
そこで赤森さんが佳鳴たちに気付いてくれ、「あ、店長さん、ハヤさん！」と軽く手を上げた。
「こんばんは」
「こんばんは」
佳鳴たちはぺこりと挨拶をしながら、赤森さんたちの元へ。赤森さんたちは少し輪を広げて佳鳴たちを迎えてくださった。
「こんばんは。今日は楽しみやな」
そうわくわくした様な表情で言う赤森さん。佳鳴は「はい、ほんまに」と笑顔で頷いた。
「店長さんたちお店あるから、観劇なんて久しぶりなんや無い？」
「そうやんねぇ。と言ってもぉ、私も久々なんやけどねぇ」
門又さんと榊さんのせりふに、赤森さんは「うんうん」と頷く。
「店長さんたちで無くても、観劇の機会なんてなかなか無いやんなぁ」
そんな話をしていると、後ろから「こんばんは」とお声が掛かる。振り向くと、こちらもご常連の岩永さんがふらりと近付いて来た。
「皆さんお揃いですねぇ」
「岩永さんこんばんは」
「こんばんは」
佳鳴たちは口々に挨拶を返す。すると岩永さんの後ろで、岩永さんとそう歳が変わらないであろう女性が、佳鳴たちにぺこりと頭を下げた。
「あ、彼女ね、僕の幼なじみの渡部。普段は仕事で大阪離れてるんやけど、出張でこっちに戻って来たから飲もうかって話になってな。ほな知り合いが小劇場に出るからその前に一緒にどうや？ って。渡部、結構観劇してんねん」
「あら、ご趣味なんですか？」
門又さんが聞くと、渡部さんは「ええまぁ、そんな感じです」と曖昧に、しかしにこやかに応えた。
「ああでも皆さん、そろそろ中に入らんと」
岩永さんが腕時計を見ながら言う。
「あらぁ、もうそんな時間やのねぇ」
門又さんと榊さん、そして赤森さん、続いて岩永さんと渡部さん、最後に佳鳴と千隼が中へ。
入ると、高橋さんから聞いた通り、座席は即席だった。客席フロアの前半分には簡素な椅子が置かれ、後ろ半分にはベンチが並べられている。
アイドルのライブだとオールスタンディングになるだろうから、様々なニーズに応えられる様になっているのだろう。
そこからほんの少し高い舞台の奥には、黒い布が垂れ下がっていた。間も無く始まるのだから、それが舞台の完成形なのだろう。どん帳が無いので舞台が良く見える。
こぢんまりとした客席だがそこそこ埋まっていて、佳鳴たちは後方の空いているベンチ席に適当に腰を下ろす。門又さんと榊さんなどはぐいぐいと前へと進んで行っていた。
マフラーとコートを外し、バッグと重ねて膝の上に置く。厚みがあるのでちょうど良い高さの腕置きの様になった。背もたれが無いこともあって地味に楽だ。ブーケはふたりの間にそっと置いた。
まだ客席も明るいので、あちらこちらから小さな話し声が聞こえる。佳鳴と千隼は並んでちらしに目を走らせ、そのプロ級の出来栄えに「へぇ」と佳鳴が小さく感心した声をもらす。これもフライヤーを手掛けた劇団員さんが作られたのだろう。そして数分後、女声のアナウンスが客席に響いた。
「皆さま、本日はお越しくださり誠にありがとうございます。間も無く開演でございます。どうぞごゆっくりとお楽しみください」
すると客席の照明がふっと落とされ、そう派手では無いライトが舞台を照らす。
ほんの少しの間を置いて、袖からベージュのグレンチェックのスーツをまとった姿勢の良い男性役者さんが余裕たっぷりに舞台の中央へ。ぴしっと背筋を伸ばした男性はゆっくりと口を開くと、高らかに告げた。
「皆さま、今からご覧いただきますのは、名探偵である私が体験し、そして解決した、世にも奇怪な事件の記録でございます！」
およそ１時間３０分の舞台が終わり、客席が再び明るくなったその時、佳鳴と千隼は揃って溜め息を吐いた。
「おもしろかった！ 高橋さん謙遜してはったけど、私は凄い楽しかった！」
佳鳴が興奮の面持ちで言うと、千隼も「やな」と満足げに頷く。
「高橋さんも他の役者さんも良かったと俺も思う。俺らそんな詳しいわけでも目が肥えとるわけでも無いから、基準が判らへんけど」
「基準なんてどうでもええよ。見た人がおもしろいと思ったんが１番や」
「そうやな」
周りがちらほらと立ち上がり、佳鳴たちもゆっくりと腰を上げる。
「高橋さんにお会いできるやろか。ブーケもお渡ししたいし」
「会えんかったらスタッフとか捕まえたらええと思うんやけど」
すると客席の前の方から、こちらもまた満足げな門又さんと榊さん、にこにこと笑顔の赤森さん、なぜかほっとした様な岩永さんと渡部さんが合流した。
「おもしろかったね。去年より上手になってたと思う」
門又さんは昨年の公演も観に来られていたのだ。榊さんも笑顔のまま口を開く。
「そうねぇ〜。来て良かったわぁ。私は去年来られへんかったからぁ」
「ああ。良かったと思うわ」
赤森さんもそう言って頷いた。
その時、舞台袖からばらばらと役者たちが舞台衣装のまま姿を現した。スーツ姿の男性や、シンプルなワンピースやチュニックの女性が多い。佳鳴はその中に高橋さんの姿を見付け、「あ、高橋さん」と呟く。
そのタイミングで高橋さんも佳鳴たちを見付け、衣装のありさまと打って変わって充実された様な笑顔で、ちょこちょこと椅子と椅子の間の通路を駆け寄って来た。
「こんばんは！ 来てくださってありがとうございます！」
「こちらこそ、ほんまに楽しませていただきました。凄かったです。まさか被害者役やったなんて」
佳鳴たちが次々に賞賛を表すと、高橋さんは嬉しそうに、照れた様な笑みを浮かべた。
被害者役の高橋さんが着ている白いチュニックには、血痕に見立てた赤いインクが散っていた。途中生きていた時の回想があるので、その時は綺麗なチュニックを着ておられたのだが、今はインク付きの服である。終盤の解決編で必要だったのだ。
「そう言っていただけて嬉しいです。今の精一杯でがんばりました！」
高橋さんはにこにこと満面の笑みだ。手応えがあったのだろう、気力に満ちておられる様だ。
そこで、用意していたブーケを渡す。「あらためて、おめでとうございます」と佳鳴が言うと、高橋さんは「わ、ありがとうございます！」と目を丸くしながら受け取ってくれた。
「うわぁ、可愛いブーケですね！ 店長さんとハヤさん、センスええんですねぇ。すごいです！」
高橋さんはそう言って、ふわりと笑みを浮かべる。
すると、それまで静かに佳鳴たちの様子を眺めていた渡部さんが、ぐいと前に出て来て、高橋さんに両手を差し出す。その手には名刺があった。
「高橋さん、私、こう言う者です。渡部と申します」
高橋さんは渡部さんの勢いに引っ張られる様に名刺を受け取られると、それに目を落とす。
「芸能事務所の、マネージャー……？」
大きな目をさらに見開き呟く高橋さんに、渡部さんは言った。
「あなた、芸人か歌手になる気はあれへん？」
そのせりふに、その場にいた全員が「は？」と間抜けな声を上げた。
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