4章 光の向こう側  第3話 そこは暗いのか、明るいのか

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4章 光の向こう側  第3話 そこは暗いのか、明るいのか

 高橋(たかはし)さんが舞台で披露(ひろう)されたのは、漫才でもコントでも無い。演劇だ。なのになぜ渡部(わたべ)さんは高橋さんにこの様なスカウトをされたのか。 「芸人か歌手になる気はあれへん?」  実は、歌は歌っておられたのだ。高橋さんが(ふん)した被害者は歌手という設定だったので、回想シーンでその歌声を聞かせたのだった。  高橋さんは歌がお達者で、この配役もそのためだったらしい。  もともと綺麗なお声の方ではあったが、その歌唱力も見事なもので、音程の正確さや絶妙な抑揚(よくよう)は、佳鳴たち観客を見事に引き込んだ。  だから、歌手へのスカウトは解らなくも無い。では芸人は?  渡部さんいわく「間の取り方が絶妙」だったのだと言う。  確かにお笑いに「間」は重要だ。ボケはもちろんツッコミのタイミングなど、ほんの1秒、それ以下のコンマの「間」で、その面白さは大きく変わって来る。  もちろんネタそのものの面白さも重要である。しかしその完成度は「間」によって大きく左右されるのだ。  大阪人はふたり揃えば漫才が始まる、なんて言われることがある。だが大阪人全員が「おもろい」わけでは無いのだ。辛辣(しんらつ)だが、なかなか日の目を見ない大阪出身の芸人さんが存在することがその証拠だと言える。  関西、特に大阪育ちは幼い頃からテレビなどで漫才や新喜劇などを目にする機会が多く、妙に鍛えられているので、やたらと見る目が厳しかったりするのだ。  そして何より渡部さんが力説したのはこれだった。 「あなたには華があんねん!」  確かに高橋さんは可愛らしく華やかなイメージがある。人を()きつけると言うのか。それは確かに表舞台に出るのに重要な要素だろう。  佳鳴(かなる)千隼(ちはや)もその場にいたので、話は一部始終聞いていた。なので呆然とした高橋さんが、呟く様に「少し……考えさせてください……」とお返事をされたことも知っている。  そしてその高橋さんは日曜日の今、佳鳴と千隼の真ん前、「煮物屋さん」のカウンタで、お馴染みカナディアンクラブのハイボール片手に突っ伏していた。 「金曜の晩から今日までずっと考え通しですよぉ〜。昨日の打ち上げも気もそぞろになってしもて〜。そもそも私、芝居をしてたはずやのに、なんで歌かお笑いなんでしょうかぁ〜……」  いつもお元気な高橋さんがすっかりと弱ってしまっている。カウンタが高橋さんご自身で埋まってしまっていて、佳鳴たちはお料理を提供するタイミングを掴めず、今整えているお料理も、他のお客さまの分だ。  今日のメインは豚肉と玉こんにゃくの味噌煮込みである。ごま油で炒めたちんげん菜で彩りを添えている。  お塩と日本酒で下味を付けた豚肉をごま油で炒め、茹でて臭み抜きをした玉こんにゃくを加えてさっと炒めてお出汁を張り、味付けはお味噌とお砂糖、日本酒、少しのお醤油に、風味漬けのたまり醤油。  お味噌をふくよかに効かせながらも、お出汁の風味もしっかりとあり優しい味に仕上がっている。  小鉢はきのこの黒こしょう炒めと、カリフラワのからしマヨネーズ和えだ。  秋に美味しいきのこは、今では年中いつでもいただける。旬としてはそろそろ終わりだろうか。だがまだまだふっくらとした身を蓄えている。  きのこは椎茸としめじとえりんぎ。オリーブオイルでソテーして、お塩と、粗挽きの黒こしょうを強めに効かせてある。  オイルを程よく吸ってとろっとしたきのこの芳醇な癖と、ぴりっとした黒こしょうがとても合う一品だ。  今時が旬のカリフラワのからしマヨネーズ和えは、文字通り蒸したカリフラワをからしマヨネーズで和えたシンプルなものである。  からしは控えめにして、辛さを和らげてある。軽くまとうぐらいにしてあるので、マヨネーズのほのかな酸味の中にカリフラワの甘さが引き立つ味わいだ。  お汁物はお麩と三つ葉のすまし汁である。 「お待たせしました」  そう言ってお料理をお渡ししたお客さまは赤森(あかもり)さん。どうやら高橋さんのことが気になっていた様で、高橋さんが来られているかどうか判らないのに訪れた様だった。  現に先に来店されていた高橋さんを目にされた途端に、「決めたんか?」とお声を掛けていた。  そうして伏せたままの高橋さんに続けて口を開く。 「そりゃあ悩むわな。俺としちゃ、高橋さんをテレビなんかで見るってのもおもろいかなって思うけど、そんな簡単なもんや無いやんなぁ」  赤森さんは大口を開けて白米を放り込む。赤森さんは下戸なので、いつも定食なのだ。 「親御さんに相談とかされたんですか?」  千隼が聞くと、高橋さんは「いいえ〜」と(うなる)る様な声を上げた。 「私の気持ちとは関係無く、まず反対されると思いますから。相談も何も無いんですよ」  そう言いながら、高橋さんはゆっくりと頭を上げる。そして千隼に「うだうだすいません。お料理お願いします」とご注文した。 「親は、私が本格的に芝居をするのは反対なんです。芸能界デビューなんて以ての外だと思います」 「あら、確か親御さまも応援されているってお話、以前されてませんでした?」  佳鳴はそう記憶している。高橋さんが小劇団に所属されていると聞いた時に、確かそんな話も出たと思う。 「はい。それはあの劇団が、本格的や無いからです。ええと、本格的や無いって言うんは、プロとかそういうのを目指してへんって言う意味で。練習も週に1度ですし、日曜の晩なので来れへん人もいますし。公演も年に1度ですしね。会社で働いとって、習い事の範疇(はんちゅう)やから応援してくれるんです。最初、親に「劇団に入った」って言ったら早とちりされてしもうて、「俳優になるなんて、そんな食って行けるかどうか判らん仕事なんて許さん」って怒鳴られました。保守的って言うのもあるとは思うんですけど、私の心配をしてくれてるんやと思います」 「ああ。確かに俳優さんでも芸人さんでも、それだけで生活出来るって言うのは一握りだって聞きますからねぇ」  アルバイトをしながら舞台に立たれている芸能人も大勢いるのだと聞く。佳鳴と千隼は整えたお料理を順に高橋さんにお渡しする。高橋さんは「ありがとうございます」と受け取った。 「だから相談にはならへんと思います。まだ全然考えがまとまらへんのですけど、もし渡部さんのお話を受けるとしたら、親とのバトルは避けられないと思います。ん、カリフラワとからしマヨって凄く合うんですね。美味しいです!」 「ありがとうございます。ですがそれは難しいですねぇ……」  佳鳴は高橋さんを案じる。中には親御さんとの確執(かくしつ)を生んででも芸能人になりたいと言う人も存在すると思うが、高橋さんはそうでは無い様だ。それにお話を聞いていると、親御さんとは関係無く悩んでいるご様子である。 「そもそも俳優や無く、歌手か芸人ですからね。スカウトされること事態はすごいことなんやと思うんですけど。まさか私にそんな可能性があるんやろかって」  高橋さんは言うと、次には苦笑を浮かべる。 「芸能界って言うきらびやかな世界に、憧れが無いわけや無いんです、実は。だから悩んでしもうて」  そのお気持ちは解らないでは無い。今高橋さんの前には、芸能界への道が開かれている。  その前途(ぜんと)が洋々なのかそうで無いかは、入ってみないと判らない。だからこそ、慎重にならなければならない。そんなことは高橋さんだって解っておられるだろう。しかし。  高橋さんは難しいお顔を浮かべながらきのこを頬張り、しかしぱっと顔を輝かせて「黒こしょう効いてて美味しいです!」と声を上げた。 「高橋さん、高橋さんがほんまにしはりたいことって何ですか?」  佳鳴が聞くと、煮物にお箸を付けようとした高橋さんの動きがはたと止まる。そしてぽかんと口を開く。 「やりたい、ことですか?」 「はい。確かに芸能界と言うんは輝かしく思えて、()かれてしまうんやと思います。ですが、ご自分がほんまにやりたいことを見失ってしもたら、続かへんのかな、って思ってしもうて」 「それは」 「はい。高橋さんは今会社に勤めてらっしゃって、それはご自分でお選びになった会社ですよね。やりたかったお仕事、ですよね?」 「あ、はい。そうですね。入社当時は新入社員全員営業に放り込まれてしんどかったですけど、今は異動願いを聞いてもらえて、やりたかった仕事ができてます」 「だから例えば苦手な方とお仕事をすることになっても、愚痴をこぼせば我慢できる、なんてことありません?」 「ああ、そうですね。好きな仕事やし、同僚とぎゃあぎゃあ言いながら乗り切れます」 「では、好きでは無いお仕事やった時はどうでした?」 「何度も辞めようと思って、でも移動に望みを掛けてがんばりました」 「それは、芸能界でも同じやと思うんです。芸能界では、もしかしたらやりたいことは一般の会社よりできひんかも知れません。その入り口が、ほんまにやりたいことで無かったら尚更かも知れません。その時に支えになるもんが無いと、しんどいと思うんですよね」  佳鳴が差し出がましいと思いながらもゆっくりと言うと、高橋さんは納得した様に目を見開く。 「そっか、そうですよね」 「はい。芸能界って言う明るいか暗いか判らへん世界の目くらましに、言い方は良う無いですけど、(だま)されへん様にしていただきたいとも思います。私たちは高橋さんが絶対に人気者になるって信じてますけども、それは時の運でしょうから」  千隼も横で大きく頷く。 「そうですよね。目くらまし、かぁ……。私、確かに今それに当てられているんかも知れません。もっと良う考えますね。あの、心配してくださってありがとうございます」  高橋さんはやっと笑顔になられてぺこりと頭を下げる。そしてあらためてお箸を動かすと、煮物をすくい上げて口へ運んだ。 「ああ〜、お味噌の優しい味が嬉しいです。豚肉とろっとろで美味しいですね!」  そう言って頬をほころばす高橋さんに、佳鳴は「ありがとうございます」と笑みを浮かべた。
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