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1章 ご飯は大切な血肉を作る 第2話 新たな常連さんようこそ
翌日の午前中、ブランチの準備のためにキッチンに立つ千隼。豆もやしの袋をばりばりとパーティ開けにする。
豆もやしのひげ根を丁寧に取って行く。ひげ根はビニール袋に捨て、綺麗になった豆もやしはざるに入れて行く。1本1本手間ではあるのだが、これをするのとしないのとでは、味にも食感にも大きな違いが出るのだ。
取り終わったら流水でざざっと洗って、よく水気を切っておく。
次に青ねぎ。これは洗ったら、5センチぐらいの長さにざくざくと切っておく。
さて、一昔前に流行ったタジン鍋を出す。その頃に購入したものだが、今でも千隼は定期的にこれで蒸しものを作る。扇木家ではしっかりと現役選手なのである。
タジン鍋に上部が平らになる様に豆もやしを盛り、その上に青ねぎをこんもりと乗せ、さらにスライスされた豚ロース肉をたっぷり、野菜を覆う様に乗せて行く。
蓋をしてコンロへ。中火に掛ける。中でじっくりと蒸され、数分後、豚肉に火が通ったら完成だ。
それを炊きたての白米と、小松菜の味噌汁と一緒に食べる。
家事を終えたのだろうか、キッチンに顔を出した佳鳴が、コンロの上のタジン鍋を見て「あれ?」と目を丸くする。
「豆もやしのナムル作りたいって昨日言うてへんかった?」
「姉ちゃんが昨日の客に書いてるレシピ見たら食いたなって」
そろそろだろうか。蓋を開ける。すると豚肉は白く色が変わっていて、豆もやしはそのかさを少しばかり減らしていた。葉物野菜ほどは減らないので、ボリュームがある。
「じゃあご飯よそおうか。大盛り?」
「おう。蒸したの、ごまだれとポン酢どっちがええ?」
「どっちも!」
食器棚からお茶碗を出す佳鳴が元気な声を上げる。
「どっちも旨いもんな。俺も両方使うか」
千隼が冷蔵庫から出したごまだれとポン酢を、ダイニングに繋がるカウンタに置く。続けて鍋敷きも。
佳鳴はお米をお茶碗によそい、カウンタにお箸ととんすい、グラスと麦茶のポットを乗せる。千隼はタジン鍋は鍋つかみを使ってダイニングへテーブルと運んだ。
こうして家の食事を用意するのは、千隼の仕事なのである。
ダイニングテーブルに向かい合わせに座り、佳鳴と千隼は手を合わせた。
「いただきまーす」
とんすいにごまだれとポン酢を用意し、佳鳴はさっそく蒸し料理に手を伸ばした。千隼は米から頬張る。
豚肉で青ねぎと豆もやしを巻いて、まずはポン酢からだ。甘い豚肉にしゃきしゃきの野菜が良い塩梅だ。そしてポン酢が豚肉の油をさっぱりとさせてくれる。
「やっぱり蒸したお肉とお野菜美味しいわぁ。昨日のお客さまも気に入ってくださるとええけど」
「そうやな。うん、旨い」
千隼は蒸し料理にごまだれをたっぷりと付けて、大口を開けた。
これは、昨日貧血らしいと仰っていた女性のお客さまにお渡ししたレシピのひとつである。
レシピでは、豆もやしでは無く緑豆もやし。その方が安価だからだ。青いものは青ねぎやきゃべつにレタスなど、手でちぎることができるものをいくつか挙げた。豚肉もお値打ちでそのまま使えるこま切れや切り落としで充分である。
もし豚肉が贅沢だと感じる様であれば、ハムやベーコン、油を適度に切ったツナ缶でも良いとしている。
もやしとお野菜と肉類を深めの器に入れて、ふわっとラップをして電子レンジで数分加熱。ごまだれやポン酢、ドレッシングなど好きな調味料で味付けをして食べる。たったそれだけだ。
器は家にあるもので充分である。新たに買う必要は無い。
もやしのひげ根を取れなんて手間はもちろん書いていない。ひげ根だって食べられるものである。
できるだけ節約ができて、簡単に手間無く失敗も少なくできるレシピを書いたつもりだ。これならレンジ加熱の時に使った器のまま食べることが出来るので、洗い物も少なくなる。
そして、まずは白米をしっかり食べていただきたいとお伝えしていた。ダイエットなどをしているのなら難しいかも知れないが、あの女性はとにかくお腹をいっぱいにしたいとおっしゃっていたので、大丈夫だろう。
どんなお米を選ぶのかで味の満足度は変わっては来るのだが、米をしっかりと食べたら実は節約になるのだ。国産米はどれも美味しい。よほどのこだわりが無ければ充分だろう。
あとは業務スーパーで買える冷凍野菜などを使ったものをいくつか。これはスマートフォンで商品一覧を確認しながら書いた。
冷凍揚げ茄子まであるとは、冷凍野菜恐るべし。レンジで揚げ浸しができてしまうでは無いか。
冷凍ほうれん草もかなり使い勝手が良い。そのまま汁物に入れたり炒めたり、レンジを使えばおひたしも簡単にできる。
それに業務スーパーに限らず、いろいろなメーカーからほとんどの野菜が冷凍で販売されている。季節に問わず価格が安定しているし、生の野菜より安価なことも多いので、節約料理にはかなり有効なのだ。
普段冷凍の野菜を使うことがほとんど無い姉弟なので、昨夜ふたりであらためて調べてみて驚いたものだった。今度ブランチ用にでも購入してみようか。確かいつもの豊南市場に冷凍食品のお店があったはずだ。冷凍食材もあると良いのだが。
あの女性は貧血気味だということだったが、まだお若いのだし、幸いそう深刻でも無さそうだったので、鉄分を意識するよりは、まずはバランスの良い食事を摂ることが大事だと佳鳴は思ったのだ。
「しっかし姉ちゃんも人がええよなぁ。客にレシピとか教えてしもうたら、もう来てくれへんくなるかも知れへんやん」
千隼が呆れた様に言うと、佳鳴は「そやろか」と小首を傾げる。
「ほら、あのお客さま、なるべく節約してるって言うてはったから、教えても教えなくても、今はそうそう店には来られへんと思うで。大丈夫やって。学生さんやろ、卒業して就職しはったら、また来てくれはるかも知れへんで」
「そうやろうか」
「就職しはっても引越しとかが無かったら、またお店の前通りはるやろうから、思い出してくれはるって」
「やったらええけどさ。せっかくの客なんやからさぁ」
「そりゃあ常連さんは多いに越したことは無いけどね〜」
そうしてのんびりとブランチは進んで行く。このあとは豊南市場で「煮物屋さん」の仕入れである。
しかし、その機会は予想よりかなり早く訪れた。
「こんばんは!」
先日と打って変わって元気に現れたお客さまは、貧血かもとおっしゃって、佳鳴がレシピをお渡しした女性だった。
「こんばんは。いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ〜」
佳鳴と千隼はそうお迎えし、千隼は温かいおしぼりを用意する。他のお客さまと適当な距離を取って座った女性はカウンタの下に黒のトートバッグを押し込み、おしぼりを受け取って、ほぅと息を吐きながら手を拭いた。
「あの、定食でお願いします」
「はい。かしこまりました」
今日のメインは鶏肉と厚揚げの味噌煮だ。人参やごぼう、椎茸などの野菜も入っている。
生姜をほのかに効かせ、お味噌なのでしっかりと旨みとコクがある。そして優しい味わいだ。
厚揚げからも旨味が出るので、煮汁の味がぐんと引き上がる。鶏肉やお野菜がそれをまとってふくよかでほっとする味になるのである。
小鉢のひとつめは切り干し大根だ。薄切りにしたさつま揚げと適度な長さに切ったいんげん豆で作った。
さつま揚げから煮汁に旨味が溶け出し、切り干し大根に沁み込むのである。いんげんにもしっかりとまとい、口の中に広がる。
煮汁には切り干し大根の戻し汁も使っているので、干すことで凝縮する大根の旨味が隅々まで味わえるのだ。
小鉢のふたつめは、春菊のさっと煮である。
旬で青々として張りのある春菊は、ご注文を受けてから火を通す。お出汁にお醤油とみりん、日本酒とお砂糖でおつゆを作っておいて、いつでも小鍋に移して火が通せる様にしてある。
春菊は火を通し過ぎるとえぐみが出るので、火を通すのはほんの数秒、少ししんなりする程度が良いのだ。
そしてメインが味噌煮なので、汁物はすまし汁にした。具は卵と三つ葉。かき玉汁である。ざく切りにした生の三つ葉をお椀に入れ、そこにふわふわ卵のおつゆを注ぐ。そうすると三つ葉の清涼な香りがふわりと立ち上がるのだ。
料理を整えて、カウンタに置いて行く。
「お待たせしました」
「ありがとうございます。いただきます」
女性はいそいそとお箸を取り、かき玉汁をずずっとすすると「はぁ〜」と満足げな溜め息を吐いた。
「お客さま、あれから貧血は、体調はいかがですか?」
佳鳴が聞くと、女性は「え」と目を見張る。
「覚えていてくれはったんですか?」
「もちろんですよ。大丈夫やろかって、ちゃんとご飯食べてはるかなぁって気になってました」
「わぁ嬉しい! ありがとうございます!」
女性は嬉しそうににっこりと笑う。
「教えていただいたレシピ、私でもできました。お母さんに、あ、母に聞いたら、お米もたくさん炊いて、平たくして冷凍しておくと経済的なんですね。私、ひとり暮らしを始める時に、訳がわからんままに母に3合炊きの炊飯器を買わされてたんですけど、使うことがこれまでほとんど無くて。家でご飯作る様になってから使う様になりました。3合炊いて、1合ずつ冷凍して、夜解凍して食べてます。おかずもしっかりあるから、すごい満足感があるんです。本当にありがとうございました!」
「お役に立てたのなら何よりです。じゃあもうお元気なんですね」
「はい。なのでお礼が言いたかったんですけど、覚えててくれてはるかなぁって不安で。なので良かったです。あ、業務スーパーにも行ってます。冷凍のお野菜たっぷり買ってもて、今うちの冷凍庫、お野菜とご飯でぱんぱんです」
「それは良かったです。やっぱりご飯はしっかり食べへんとあきませんね。お顔の色も、前よりええ様に見えますよ」
「ほんまですか? はい。ちゃんとご飯を食べる様になってからはますます元気です。朝と昼は相変わらずなんですけど、晩ごはんを変えるだけでこんなに変わるんやなぁって、びっくりしちゃいました。あ〜この厚揚げ、お味噌の優しい味で美味しい〜。やっぱり食って大事なんですね〜」
女性は満足げに言って、料理を味わわれた。そうして半分ほどを平らげたころ。
「あの、私、もうすぐ学校卒業なんです。就職先も決まっていて。なのでお仕事を始めたらもっとここに来れると思います。自分で作るのもええですけど、ここまで凝ったん作れへんから。なのでその時には、またお願いします」
「はい。いつでもお待ちしております」
佳鳴が言うと、女性はほっとした様に笑みを浮かべた。
まだ少し先のことだろうが、新たなご常連の誕生だ。
(ほら、言うたやろ)
佳鳴がそんな視線を千隼に投げると、千隼は(はいはい)と言う様に鼻を鳴らした。
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