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9章 赤く淡い輝き 第3話 心を彩るもの
翌日の火曜日。「煮物屋さん」はまた営業を始める。門又さんが来られたのは19時になろうと言うころだった。
今日もお仕事帰りなのだろう、すらりとしたベージュのパンツスーツだった。
門又さんは佳鳴から受け取った温かいおしぼりで手を拭き、麦焼酎兼八の水割りを注文したところで、佳鳴の首元に気が付かれた。
「あれ、店長さん、そのネックレス」
「あ、はい」
佳鳴はつい照れて、小さく笑ってしまう。
「昨日のお休みに買っちゃいました」
「へえぇ、ええねぇ。凄いかわいい。店長さんに凄い良お似合とるし、その色やと確かにカジュアルな服でも浮かへんね。何て石なん?」
「ターコイズ、トルコ石なんです。この色やったらあまり服を選ばへんやろなって思いまして。なのでそう言っていただいてほっとしてます」
「土台は金なんやね。うん、その方がかわいい。ええの見付けたね」
「ありがとうございます」
佳鳴が昨日見付けたのは、ターコイズが1粒使われたシンプルなネックレスだった。18金の円形プレートにはめ込まれたターコイズブルーは鈍く、しかし可愛らしく輝き、ベースの金色が控えめに彩りを添えていた。
ご自分のことの様に笑顔で褒めてくださる門又さんに、佳鳴は嬉しくなってしまって、満面の笑みを浮かべた。
それから約1週間後、仕込みをしている「煮物屋さん」の固定電話が鳴る。ちょうど手が空いた千隼が受話器を上げた。
「はい、「煮物屋さん」でございます。あ、こんにちは。いえ、こちらこそいつもありがとうございます。……はい、はい、分かりました。伝えておきますね。はい、失礼いたします」
そうして受話器を置くと、お味噌汁のお味噌を溶いていた佳鳴に声を掛ける。
「姉ちゃん、山形さんから。できたって」
「今夜から大丈夫なんかな」
「そう言うてはった」
「了解っと」
そしてお味噌を溶き終えた佳鳴は、鍋の中身をお玉でぐるりとかき混ぜた。
それは翌日のことだった。19時半ごろに門又さんは現れた。今日は黒のスーツである。下がフレアタイプのロングスカートで、シックなイメージだ。
「こんばんは〜。ちょっと残業になってもた。疲れた〜」
そう言いながら溜め息を吐かれる門又さん。佳鳴は「いらっしゃいませ。お疲れさまです」と温かいおしぼりをお渡しした。
「ありがとう。兼八の水割りでお願い」
「かしこまりました」
今日のメインは豚ばら肉と海老と白菜と椎茸の旨煮だ。旬の絹さやで彩りを添えている。
旨煮は濃いめの味付けの煮物だが、煮物屋さんでは和らげて仕上げている。
白菜の時季はもう終わりを迎えている。だがまだ肌寒い日もあり、まだまだ葉がぎっしりと詰まっていて美味しくいただける。椎茸も厚みのある傘のものが買えた。
豚ばら肉をごま油で炒め、お出汁を張ったら白菜の芯を入る。柔らかくなるまで煮込んだら椎茸と白菜の葉を入れて、日本酒とお砂糖、お醤油で味を整える。しっかりと処理をして臭み抜きをした海老は固くならない様に最後の方に加える。
淡白ながらも甘さを持つ白菜に少しばかり濃いめのお出汁が染まり、豚ばら肉から出た甘い脂が絡む。椎茸や海老からも旨味が出るので、それらが合わさって風味良く仕上がっている。
小鉢は豆腐と生わかめのごま和えと、トマトと新玉ねぎのマリネである。
木綿豆腐は水切りをして適当に崩し、ざくざくと適当に切った生わかめを混ぜ、味付けはお砂糖と薄口醤油、ごま油とすり白ごま。ほのかに甘辛くも香ばしい一品だ。
生わかめと言いつつ、購入時にはすでに茹でられているので、正式にはお刺身用わかめだろうか。だが乾燥も塩蔵もしていないわかめは食べられる時季が限られる。ぜひ生わかめと呼んであげたいのである。
マリネのトマトは皮を湯剥きし、舌触り良く仕上げている。味沁みも良くなっていた。そして春だからこその生の新玉ねぎが爽やかな風味を生み出すのだ。
先にお飲み物をご用意し、お料理を整えて門又さんに提供する。
「お待たせしました」
「ありがとう」
門又さんは兼八の水割りで唇を湿らせ、さっそくお箸を手にする。マリネを口に放り込み、「ええなぁ。さっぱりしててお酒に合う〜」と目を細めた。
「千隼、お水補充するな」
「おう」
佳鳴は冷蔵庫からボトルを出してバックヤードに入る。ミネラルウオーターや炭酸水などのストックはそこにあるのだ。
4畳半ほどの部屋である。作業台もあり、佳鳴たちの財布やスマートフォンを入れるボックスを端に置いてある。
作業台の上で、もう空に近いボトルに、ペットボトルからミネラルウオーターを注ぐ。水割りを作る時は、この水を使うのである。
そして佳鳴は、マナーモードに設定してあるスマートフォンに手を伸ばした。
それから数分後のこと。またお客さまが訪れる。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」
「こ、こんばんは」
佳鳴たちがお迎えすると、そう言って息を切らすのは山形さんである。走って来られたのだろうか。山形さんはそのまままっすぐに門又さんの元へと向かった。
「か、門又さん、こんばんは」
「あ、山形くん。こんばんは」
顔をわずかに赤くして緊張した様子の山形さんに、門又さんはにこやかに応える。
「こんばんは、あ、あの」
山形さんは胸元に掛けたボディバッグからごそごそと、包装された細長い箱を取り出す。
「これ!」
それを両手で持って、思い切った様に門又さんに差し出した。
「ん?」
門又さんは小首を傾げる。
「あの、門又さんに受け取って欲しくて。あの」
「え、私に? え、なんで」
門又さんは目を丸くして戸惑ってしまわれる。それはそうだろう。門又さんからしてみれば、この店で1度会っただけの、さして親しいわけでも無い人から何かをもらう理由が無いだろう。中身は何か分からないが、赤い包装紙できれいに包まれたそれは、飴ちゃんひとつもらうのとは訳が違うのである。
「門又さんの言葉が嬉しかったんで! お願いします、受け取って欲しいです」
「私、なんか言うたっけ?」
門又さんは困惑される。山形さんは「はい」と大きく頷いた。
「門又さんにとっては忘れてしまう様な些細なことやったんかも知れへんのですけど、僕にとってはそうでは無かったんです。せ、せやから」
山形さんはほのかに赤く染まったお顔で必死で訴える。それに絆されたのか、門又さんはためらいつつも手を伸ばした。
「じゃあ受け取るね。ありがとう」
箱が門又さんの手に渡ると、山形さんは心底ほっとした様に頬を緩めた。緊張が解けたのだろう。
「受け取ってもらえて良かったです。じゃあ失礼しますね」
笑顔になった山形さんは踵を返す。「え、ご飯は?」と言う門又さんのせりふを背に、山形さんは「煮物屋さん」を出て行かれた。
「え、私にこれをくれるためだけに来たん?」
門又さんは面食らった様な目を佳鳴に向ける。佳鳴は穏やかに「みたいですねぇ」と応えた。
「ん? 確かに私はここにしょっちゅう来るけど、今日来ることは何で知ったんやろ。知っとったみたいやったやんね」
「外から見えたんや無いですか?」
「手前にもお客さんおるのに?」
「まぁまぁ、細かいことはええや無いですか」
訝しむ門又さんを、佳鳴はやんわりと宥める。もちろんタネも仕掛けもある。だが知られてはいけないのである。
「んー、気になるけど、まぁええか。中身なんやろ」
門又さんは丁寧に包装紙を剥がして行く。出て来たのは白い厚紙の箱。それを開けると赤いベロア調の箱が出て来た。
「ん、これまさか」
その箱を開けると、出て来たのはネックレスだった。銀色のチェーンに繋がれているのは、同じ銀色に縁取られた赤い石。門又さんは「わぁ」と歓声を上げる。
「かわいい。これ赤い石、私の指輪の石と似てる。もしかして同じ珊瑚? チェーンは、は、嘘、プラチナ!?」
ネックレスの受け金具のプレートを見た門又さんは大いに驚かれる。そこにはベースの金属がプラチナであることを示す記号が刻印されている筈だ。
「えええ? 何でこんな高価なもんくれるん? え? 何で?」
門又さんはすっかりと慌ててしまう。
「山形さん、相当嬉しかったみたいですねぇ」
佳鳴が言うと、門又さんは弱った様にカウンタに突っ伏してしまった。ご自分が山形さんに何を言ったのか、本当にまるで覚えていないのだろう。もしくはその言葉が山形さんに与えた影響が、思いもよらないものだったのだろう。
「ほんまに何でぇ〜? 私何を言ったんやろ〜」
佳鳴と千隼は顔を見合わせて、「ふふ」笑みをこぼした。
佳鳴と山形さんが阪急うめだ本店で遭遇し、ご相談を聞くために地下1階のカフェに場を移すと、山形さんは門又さんにお礼がしたいのだとおっしゃった。
「僕が宝石とかを好きなことをおかしないって、格好ええって言ってくれて、ほんまに嬉しかったんです」
男性でもアクセサリーを着ける人は多い。だがやはり宝石となると主に女性が着けるものだと言う印象がまだまだある様だ。
小さなころから宝石に興味があった山形さんは、お母さまのジュエリーケースを眺めるのがお好きだったのだそう。決して高価なものが多くあったわけでは無い。だが一昔前の婚約指輪の主流であった立て爪のダイヤモンドの指輪は、お母さまが大事にされていたのか、ひときわ輝いていた。
だが外でそんなことを言うと、心ない男子から「女みたいや」と散々からかわれたのだと言う。女子に笑われることもあったらしい。
そういう差別の様なものは大きくなるにつれ少なくなって来るだろうが、山形さんは幼い頃の記憶がずっと引っかかっていて、大っぴらにするのを止めていた。
だから門又さんの言葉は、山形さんにとっては救われたとも言えるだろう。
……と山形さんは力説されていたが、それだけでは無いのではないかと佳鳴は読んでいる。
それを山形さんご本人が気付いているかどうかは判らないが。
門又さんは左手の薬指に指輪をされていたので、誤解が生じているかも知れないし。
そこで無自覚の山形さんから受けたご相談は、どの様なデザインのジュエリーならあの指輪と一緒に着けてもらえるかということだった。
なので佳鳴はシンプルな赤珊瑚のネックレスをご提案した。自分が買ったものを参考におすすめしたのだ。
ダイヤモンドを使ったものも考えたが、高価になってしまうので、お礼として渡すには重すぎる。
プラチナがそもそも高価なものなのだから、それで充分だ。
そして山形さんの転職先と言うのが、彫金スタジオなのだった。山形さんは彫金師の卵なのである。
大学を出て一般企業に就職したのだが、やはり宝石がお好きで、それに携わる仕事に就きたいと、思い切って転職されたのだった。
なので、山形さんが門又さんにお渡ししたのは山形さんのお手製、それも初めての作品なのだった。山形さんにとっては大事な一品でもあるのだ。
彫金スタジオには男性も女性も勤めておられ、所長さんは男性なのだと言う。当然みなさん宝石やアクセサリーが大好きだ。それだけでも励まされたそうだが、門又さんの「格好ええ」は、山形さんの心に暖かく刺さったのである。
佳鳴はまだ慌てふためく門又さんを見て、そっと微笑む。これは先々が楽しみかも知れない。こっそりと見守らせてもらおうと思うのだった。
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