10章 味付けご飯の愛情  第1話 味付けご飯の思い出

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10章 味付けご飯の愛情  第1話 味付けご飯の思い出

 まだ肌寒い日も多いが、暖かな日差しが降り注ぐ様になって来た。立春も過ぎ、暦の上ではすっかりと春である。着実に春の足音は聞こえている。  「煮物屋さん」では、毎月29日が炊き込みご飯の日なのである。煮物と小鉢2品は変わらないが、煮物を野菜メインの控えめなものにして、千隼(ちはや)は炊き込みご飯作りに精を出す。  29日と言えば、今や「肉の日」の印象が強い。だがこの「煮物屋さん」では普段から肉を使った煮物が多いので、肉を出しても目玉にはならない。汁物を豚汁にすることも考えたが、その日豚肉がお買い得だとは限らない。コストパフォーマンスも大事である。  肉の日ということでそこは肉屋も努力するのだが、千隼たちはそれらの中でも1番のお買い得を選ぶので、鶏肉かも知れないし、牛肉かも知れないのだ。  そして今月も訪れた29日。千隼と佳鳴(かなる)はいつもの様に豊南(ほうなん)市場に買い出しに行く。 「豚のひき肉が特売かぁ。じゃあこれと根菜で炊き込みご飯にしようかな」  肉屋のショウウィンドウを眺めながら炊き込みご飯を考える。もう冬は過ぎつつあるが、根菜類はまだまだ美味しい。 「ええね、美味しそう。そっちで根菜使うんやったら、煮物は葉もの野菜中心にする?」 「そうやなぁ、きのこなんかも使うか」 「じゃあ小鉢は海藻にしようかな。塩蔵(えんぞう)わかめ買ってこ。生わかめはまだ早いかなぁ」  千隼たちは買い物をしながら、その日の献立を決めて行った。  そうして整った献立。メインの煮物は厚揚げとちんげん菜としめじの煮浸しだ。  厚揚げは煮る前に表面にかりっと焼き目を付けているので、香ばしい旨みが生み出されている。それに優しい出汁がじゅわっと沁みて、なんとも味わい深くなった。  春が旬のちんげん菜は青々として美しく、火を通してもしゃきっとした歯ごたえがなんとも良い。しめじもふんだんに出汁を吸って、良い味わいになった。  佳鳴が作る小鉢のひとつは、玉ねぎとかにかまと生わかめの酢の物だ。玉ねぎは塩揉みしてしんなりさせてあるので、裂いたかにかまとわかめと良く馴染(なじ)む。  それらを甘酢で和えれば、箸休めとしてさっぱりといただける一品になるのだ。  もうひとつはブロッコリとブラックオリーブのマヨネーズ和えである。  ブロッコリは食べやすい様に小さめにカットしてある。それに粗みじん切りしたブラックオリーブを混ぜ、軽めのマヨネーズで和えている。  ほんのりと酸味のあるマヨネーズにブラックオリーブのアクセント。こちらも旬の、柔らかめに蒸したブロッコリの甘みが引き立つ。  汁物はシンプルに揚げと三つ葉の味噌汁だ。  お椀にざく切りした生の三つ葉を入れて、そこに揚げだけで作った味噌汁を注ぐ。そうすると三つ葉の風味も食感も生かされるのだ。  三つ葉はまだ少し旬には早いが、水耕栽培のお陰で、時期をずらしても美味しい三つ葉をいただくことができるのである。  それと平行して炊き込みご飯である。千隼はどう作るのが美味しいかをいつも楽しみながら考える。  まずは米を洗う。炊き込みご飯の時だけは、千隼が手掛けるのである。  ボウルに入れた生の米にミネラルウォータを注ぎ、たっぷりと吸わせる。ざっと大きく混ぜて、米をこぼさない様に注意しながら水を捨てる。  ここで()ぎ作業。最近の米はぬかがほぼ取り除かれているので、強い力は必要無い。テニスボールを握る様な指先でぐるぐると何度かかき混ぜていく。米が割れたりしない様に丁寧(ていねい)に。  さてすすいで行く。ここは水道水を使う。(にご)った水を捨て、それをもう1度繰り返し、最後はミネラルウォータ。それも混ぜたら捨てて、ミネラルウォータに浸しておく。  その間に食材の下ごしらえだ。使う根菜は新ごぼうと人参。普通のごぼうより細い新ごぼうは斜め薄切りにし、人参はごぼうのサイズに合わせた短冊切りにしておく。  椎茸は石づきを取り、軸と傘を切り離してから、軸は細く裂いて、傘はスライスしておく。  揚げは油抜きをし、人参と同じぐらいの大きさの短冊切りに。  これからが旬の新ごぼうはあくが少なく柔らかい。炊き込みご飯にたっぷり使おうと買い込んで来た。  人参は冬が時季と言われ、甘みもぐっと増すが、春にも春人参と言われる美味しい人参が出回るのである。  千隼と佳鳴ふたり掛かりで材料の支度が終わったら、浸水したお米の水を切って炊飯器の釜に移す。そこに酒とみりん、醤油を入れ、出汁を分量まで注ぐ。  全体をさっとまんべんなく混ぜたら食材を米に被せる様に入れ、炊飯スイッチをオン。あとは炊飯器にお任せである。  炊き上がったらふたを開けて余分な湯気と水分を飛ばし、しゃもじを使って底から混ぜ起こして行く。すると程よく色付いたおこげが顔を出した。 「うん、美味しそうに炊けてる。おこげええなぁ!」  香りもとても良い。千隼は満足げに目を細めた。そうして切る様に混ぜ合わせたら再びふたをして蒸らして行く。  その間に最後の食材の準備だ。フライパンを温めて米油を引き、豚のひき肉をぽろぽろになる様に炒めて行く。途中で出た余分な油はペーパーでていねいに(ぬぐ)う。  味付けは日本酒と醤油と軽い塩で付ける。  そうして出来上がった豚そぼろを、炊き上がったご飯と混ぜ合わせると、豚ひき肉と根菜の炊き込みご飯の完成だ。  茶碗によそってから仕上げに白ごまを振り、彩りに小口切りの青ねぎをちょこんと盛る。  また夕飯の前におしながき用の写真を撮る。いつもは料理3品のみだが、今回は炊き込みご飯と味噌汁も一緒に。  ホワイトボードには大きく「肉の日の炊き込みご飯」と書くことにしよう。  その日、炊き込みご飯を付けた定食は飛ぶ様に出た。常連は肉の日は炊き込みご飯だということをご存知なので、それを目当てに来店する。  いつもは酒を頼む客も、この日ばかりは酒量を控えて炊き込みご飯に舌鼓(したづつみ)を打つ。やはり炊き込みご飯は皆大好きなのだ。  量は普通とハーフを設定してある。ハーフサイズは酒も飲みたいが炊き込みご飯も食べたい客には好評だ。  もちろんいつもの様に、米を頼まず酒を飲む客もいる。  生々しい話をすると、酒を出す店では酒の売り上げが収益を左右するのである。酒は利益率が高いのだ。  なので肉の日はいつも以上に仕込みに手間が掛かる割りに、実は売り上げは少し落ちてしまう。  だが千隼と佳鳴は毎月29日には、せっせと炊き込みご飯を()えた献立を仕込む。  特に千隼は炊き込みご飯の様な味の付いたご飯に、少しこだわりがあるのだった。  千隼は白米が食べられない子どもだった。今でこそその美味しさをしみじみと喜べるが、幼いころはその甘みを気持ち悪く感じたのである。  甘いものが嫌いだった訳では無い。砂糖を多く使用している菓子などは好んで食べていた。単に白米の美味しさが判らない子ども舌だったのだ。  なので、親は苦労したことだろう。  普段はふりかけをたっぷり振ったり、海苔を巻いたりして食べていた。それでもあまり食が進むことは無く、おかずばかりを食べていた様に思う。  だからお米そのものに味が付いているご飯が出た時は本当に嬉しかった。炒飯やオムライス、炊き込みご飯などがそうだ。ルーがたっぷりのカレーライスやハヤシライスも好きだった。  佳鳴いわく「うちは多分、他のお家より白いご飯少なかったと思うで」とのこと。  よそと比べたことなど無いが、子どもが苦手で食べられないのなら、親は工夫してくれると思うので、その通りだったのだろう。  今ではふりかけも海苔も無しで美味しく食べられる。むしろほかほかつやつやふわふわの白米を()むたびに「日本人で良かった」と思う。  いつ食べられる様になったのか、はっきりとは覚えていないが、高校時代、食堂で食べる定食に付いていた白米を何も思わずそのまま食べていたので、大きくなるにつれて気付かぬうちに味覚も変わって行ったのだろう。  ではどうして炊き込みご飯にこだわる様になったのか。  千隼にとって、親が作ってくれる炊き込みご飯などの味の付いたご飯は、親の愛情の証だったのだ。  佳鳴と千隼の両親は共働きだった。なので学校が終わって家に帰ったら姉弟で過ごしていた。保育園の頃には残業をせずに迎えに来てくれていた記憶がある。  そんな忙しい中で、手間の掛かる炊き込みご飯などを頻繁に作ってくれていたのだ。  それに加えておかずも作ってくれたのだから、本当に感謝しか無い。  味の付いたご飯だと、おかずが1品少ないこともある。だがそんなことは気にならなかった。千隼はただただ美味しくご飯が食べられることが嬉しかった。  なので、千隼は今日も感謝を込めて炊き込みご飯を作る。今は客に感謝して。千隼の心が届きますようにと。
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