11章 コマ割りの中で  第2話 卵が羽化するとき

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11章 コマ割りの中で  第2話 卵が羽化するとき

 片桐(かたぎり)さんは笑いながら口を開く。 「絵は悪う無いんですって。でもコマ割りが細こすぎてくどいて言われました」 「コマ割りって、ええっと、あの枠で区切っていくことですよね?」  漫画の書き方などにはあまり詳しく無い佳鳴が首を傾げると、片桐さんは「そうです」と深く頷く。 「そのひとつひとつをコマって言うて、それを1ページに構成していくことをコマ割りて言うんです。だいたい1ページ6コマ前後が読みやすいと思うんですけど、私は余白がもったいないて思うて、つい詰め込んでしまうんで」  片桐さんは言って、だが楽しそうに笑う。酷評されたわけでは無い様だし、良いところも言ってもらえたそうなので、片桐さんにとってはおそらく手応えがあったのだろう。 「そういうのもバランスなんでしょうか」 「そうですね。大きなコマと小さなコマ、コマから飛び出させる工夫とか見開きとか。そういうのをもっと勉強せんとです」 「そういうんてどうやってやるもんなんですか? 私ら漫画は読むばっかりで、全然詳しくなくて」 「読んで勉強するしか無いんやと思います。そう思うと凄いお手本が世の中には溢れてますもんね。家にもたくさんあるんですけど、また新規開拓もしようかな」 「それはまた楽しみですねぇ」 「はい」  片桐さんは嬉しそうに言って、かんぱちの切り身を頬張った。  それから数週間が経ち、「煮物屋さん」はいつもの様に営業を始める。桜がほころび始め、暖かな風が心地よくなっていた。 「店長さん、ハヤさん、聞いてください!」  そう言いながら息急き切った片桐さんが飛び込んで来られた。佳鳴(かなる)千隼(ちはや)も驚いて目を丸くする。お客さまも「なんやなんや」と一様に顔を上げた。 「あっ、お騒がせしてごめんなさい。あ、あの!」  そう興奮した面持ちで片桐さんは胸元で拳を握る。 「片桐さん、大丈夫ですか? 落ち着いてください。いらっしゃいませ」 「ごめんなさい。あの、あの」  片桐さんはもどかしそうに手近な空いている椅子に掛ける。 「私、漫画家デビューが決まりました!」  片桐さんがそう叫ぶ様に言う。すると一瞬店内がしん……と静かになり、次には「わぁっ!」と大きな歓声が上がった。 「凄いやないか!」「おめでとう!」  ご常連方からそう称賛の声が次々と上がる。ご常連の皆さまは片桐さんが漫画家を目指して邁進(まいしん)されていることをご存知だった。佳鳴と千隼も驚きつつ嬉しくなって「おめでとうございます!」と満面の笑顔を浮かべた。大きな拍手の音が店内に響き渡る。 「ありがとうございます! あ、まずは注文ですよね。酎ハイの、今日はライムで」 「はい。かしこまりました」  佳鳴と千隼がお飲み物やお料理の用意をしている間にも、片桐さんは口を開く。 「実はイベントで見てもらうんとは別に、投稿用も描いていたんです」 「投稿って、編集部に送るやつですか?」 「そうです。漫画雑誌で定期的になんとか賞みたいなんをやってて、そこに送ったんが目に止めてもらえたんです」 「じゃあそれがデビュー作になるんですか? はい、酎ハイライムお待たせしました」  佳鳴は冷静を努めながらも、心は高揚していた。片桐さんの夢が叶うのだから、これまでお話を伺ってきた身としては、まるで自分のことの様に心が震えてしまうのだ。 「ありがとうございます。いえ、それが」  片桐さんは少し沈んだ声で言うと、酎ハイをひとくち飲んで息を吐き、ほんの少し眉尻を下げて苦笑の様な顔を見せた。そこで佳鳴の心も少しばかり落ち着く。どうされたのだろうか。 「実は原作とネーム、あ、コマ割りとか構成とかそういうのなんですけど、それは別の作家さんなんです」 「そういうことってあるんですか?」 「原作と作画が別の作家さんて言うんは、そう珍しいことや無いんです。なのでそれでデビューでも全然おかしくは無いんですよ」 「そうなんですね」 「賞に応募していたんですけど、その賞とは全然関係無いところで話が進んだそうで。コマ割りとか構成は、前にも編集さんに言われたんと似たことを言われました。細こうてくどいて。でも表紙の1枚絵とか、絵柄そのものをとても気に入ってくれはったそうで」 「それは喜ばしいことでは無いんですか? はい、お待たせしました」  佳鳴は漫画は素人なので、良く言われた部分を素直に喜んでしまう。だが良く無い部分の修正はどの世界にも必要なことで、それはお料理の世界でも変わらない。造詣が深いほど、その大切さが際立ってしまうのだろう。佳鳴は迂闊なせりふだっただろうかと反省する。  今日のメインは豚だんごと春きゃべつと人参と焼き豆腐の味噌煮だ。彩りは絹さやで添えた。  お味噌や日本酒などの味付けでことことと煮た豚だんごはふっくらとしていて、しんなりしたきゃべつや人参にも優しい煮汁が良く絡み、焼き豆腐にもしっかりと沁み込んでいる。  小鉢はルッコラとちりめんじゃこのおひたしと、豆もやしと豆苗の酢の物だ。煮物が少しだが強いめの味なので、小鉢はあっさりとしたもので整えた。 「それはもちろんです。それが無かったら引っかかりもせんかったんですから。なんでその会社が出してるライトノベルとかの絵師、ええっと表紙とか挿絵とか、要はイラストレーターとしてのデビューはどうかて言われたんです。でも私はやっぱり漫画が描きたかったんで返事に困っていたら、じゃあ原作とネームを用意するから作画せえへんかって」 「それは、私は素人なのでとても良いお話に聞こえるんですけど」 「そうですよねぇ」  片桐さんは唸る。そして豚団子にかぶり付き「あ、美味しい。豚と味噌めっちゃ合う」と嬉しそうに口角を上げた。 「私なんてデビューもできてへんひよっこです。なのにそこまで絵柄を見てくれるて凄いことなんやと思います。でも私は自分で考えた世界も含めて漫画が描きたいんです。それでもデビューできることは凄い嬉しいんで、提案してくれたことに了承したんですけど、私の漫画、世界そのものを否定されたみたいで、そこは少しへこんでまいました。漫画の才能が無いんかなぁて。あ、何度も言いますけどデビューはほんまに嬉しいんですよ。親にもですけど、これまで話を聞いてくれた店長さんたちにも早よ聞いて欲しくて、お店まで走って来てまいました」 「複雑なお気持ちなんですね」 「そうなんです! 複雑なんです〜」  片桐さんは(なげ)く様に言ってうなだれた。ご自分の持ち味を否定されてしまった様なご気分なのだろうか。これがお料理だったら、見た目は良いのに味が良く無い、そう言われている様なものだろうか。  上手な例えは難しいが、自分の持つものを駄目だと言われるのは確かに悲しいことだ。だがそれは挽回できないものでは無いはずだ。上達する術はきっとある。 「じゃあ片桐さん、お勉強して見返しちゃいましょうよ」 「え?」  佳鳴の言葉に片桐さんはきょとんと声をもらす。 「言うてしまえば、授業料を払わずに、むしろ原稿料って言うんですか? そういうのをいただきながら、コマ割りとかのお勉強させてもらえるってことになりませんか?」 「あ、はい、そうですね。確かに勉強にはなると思います。プロの方のコマ割りを見て実際に描くことができるんですから」 「それで今以上にスキルを上げて、編集さんに片桐さんがいちから全部描いた漫画を突き付けちゃいましょう。お話はもちろんコマ割りや構成も、こんなに(うま)なったんやでって」  すると片桐さんはほのかに頬を紅潮させる。その目は打って変わって輝き出す。 「私にできるでしょうか」 「継続は力なり、努力は裏切らない、なんて言いますよね。何もせんと発展は無いですが、まずは始めることやと思います。プロの方のもんを見て描くのでも、ただ描き写すだけや無く、自分の勉強のために、て思えばまた違って来るんやないやろかて思います」 「そう、ですね。そうですよね。私やってみます。今よりもっとおもしろい漫画を描ける様になりたいです!」  片桐さんは力強く言って、両手で拳を作った。良かった。お元気になってくださった様だ。佳鳴は安堵する。  どんな世界でも力を尽くすことは必要だ。それは漫画でもお料理でも変わらない。佳鳴と千隼が「煮物屋さん」を開くためにお料理の腕を磨いたことと、片桐さんが漫画を描かれるために研鑽(けんさん)されることはきっと同じなのだ。 「描けたら、自信作が描けたら読んでくれますか?」 「もちろんです。楽しみにしていますね」 「はい!」  片桐さんは晴れやかな笑顔になると酎ハイをぐいとあおり、「がんばります!」と明るい声を上げた。  数ヶ月後、移り変わった季節は初夏を映し出していた。また今年も猛暑になりそうな気配だ。  買い出しから帰って来た佳鳴と千隼は、買って来た食材などを「煮物屋さん」の冷蔵庫に手早く放り込み、並んでカウンタに掛けると1冊の雑誌を広げた。豊南(ほうなん)市場に行く前に、曽根駅前のいつもの高架下の本屋さんで買って来たものである。 「どこやどこや」 「姉ちゃん待って。目次どこや」  普段あまりこの手の雑誌を読まないふたりは慣れていない。前から後ろからとぱらぱらとめくって、巻末に目次を見付けたふたりは、目的のものを探し出す。 「えっと、苗字は本名なんよな」 「そうそう。片桐さん片桐さん……あ、あった!」  佳鳴が指を差したページを開く。すると現れたのはふたりの若いエプロン姿の男性の立ち姿が描かれたカラーページだった。真ん中あたりに手書きの様な文字でタイトルが大きく書かれており、その下には手掛けた作家の名前が記されている。 「わ、きれい。イケメン」 「ほんまや。こりゃ確かに巧い」  これは片桐さんのデビュー作なのだ。原作は佳鳴たちでも知っている小説家が書かれた文芸書籍で、定食屋が舞台のお話だ。  片桐さんによる作画での新連載が、この女性向け月間漫画雑誌で始まったのである。  今や電子書籍のみでの連載も多いらしいのだが、片桐さんは紙のご本でデビューされた。  掲載号が決まった時に片桐さんが嬉しそうに教えてくださった。作画も順調だとその時におっしゃっていた。だが料理の描写に四苦八苦されているともおっしゃっていた。 「雑誌が発売したら持って来ますね!」  片桐さんはそう言ってくれたが、佳鳴たちは待ち切れなくて買ってしまったのだった。  「煮物屋さん」の仕込みの時間もあるので、しっかりと読み込むのは夜にするとして、今はざっと流れる様に読んで行く。そして最後のページまで進むと、佳鳴たちは「はぁ〜」と大きな息を吐いた。 「さすが原作が有名なだけあっておもしろい。片桐さんの絵ももちろん凄いね! 華があって表情も豊かで、デッサンって言うん? そういうのがしっかりしてるんかな、スタイルとかのバランスが凄い良う見える。ご飯も美味しそうに描かれとったね」 「ああ。俺ら片桐さんの完全オリジナルを読んだことあれへんけど、絵柄がええって言う編集さんの言葉も解る気がする。これ、片桐さんがいろいろ勉強してもっと巧なったら凄いんちゃう?」 「そうやね。オリジナル読ませてもらえるんがますます楽しみになってもた」  佳鳴は楽しそうにそう言うと、「あ、そうそう」と口を開く。 「お持ちいただく前に読んでもたことは、片桐さんに内緒やな」 「もちろん。俺の演技力が試される時やな」 「大根なんや無いの〜?」 「アカデミー賞もんやっての」  そんな軽口を叩きながら、佳鳴は漫画雑誌を大切に胸元に抱いた。 「あとでちゃんと読むん楽しみ。さ、仕込み始めようか」 「おう」  そしてふたりは意気揚々と立ち上がる。千隼は厨房に入り、佳鳴は漫画雑誌をリビングに置きに上がった。
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