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12章 父と息子の二人三脚 第2話 父と息子の素敵な関係
まずは氷だけになった5客のグラスを引き上げ、塚田さんにスーパードライの中瓶と新しいグラス、英二さんにハイボールのレモン入りをお出しする。
使用しているウィスキーはサントリーの知多だ。癖の少ないシングルグレーンウィスキーである。苦味やスモーキーさなどが無く、ほんのりとした甘みのお陰か初心者でもスムースに飲みやすいのだ。先ほどの飲み比べも同じ知多を使っていた。
「お待たせしました。英二さん、ハイボールは普通に作ってます。さっきの飲み比べのもんより少しだけウィスキーが濃いんで、まずはゆっくり飲んでみてくださいね」
「ありがとうございます」
塚田さんは佳鳴がお注ぎしたビールのグラスを掲げた。
「英二、乾杯しよう」
「うん」
英二さんも受け取ったばかりのタンブラーを、塚田さんに倣って掲げた。
「乾杯。20歳おめでとう」
「乾杯。ありがとう」
塚田さんと英二さんはかちりと軽く器を重ねる。そして塚田さんはぐいっと、英二さんはゆるりとそれぞれの杯を傾けた。
「うん、ウィスキーこれぐらいでも全然大丈夫や。むしろこっちの方が美味しいかも」
「おや、もしかしたら英二は酒飲みなんかも知れへんね」
「そうなんやろか。ウィスキーって他に飲み方あるん?」
「それこそ強い人なんかは、氷も何も入れずにストレートで飲んだりするで。でも英二は慣れへんうちは無茶したらあかんで」
「そうですよ〜」
佳鳴は言いながら、氷水を入れたタンブラーをカウンタに置いた。
「チェイサーに時々水を飲みながらお酒を飲むとええですよ。悪酔いしにくくなりますし、次の日に残りにくくなりますからね」
「気を付けます」
英二さんはさっそく水に口を付けた。素直な青年だ。
「それにしても、最初のお酒がお父さんとっていうんは幸運やと思いますよ」
千隼のせりふに英二さんは「そうなんですか?」と首を傾げる。
「これが大学の同級生とか先輩とかやと、奴ら若いだけに酒の飲み方もろくに知らんと無茶しがちですからね。いや、僕も大学の時は無茶させられましたから。お父さんやったらちゃんとしたお酒の飲み方を教えてくれるでしょうからね」
「あはは。千隼も学生の時は、ぐでんぐでんになって帰って来たこと何度もあったんですよ」
当時のことを思い出し、佳鳴はつい口角を上げてしまう。家にたどり着いた途端玄関先で倒れてしまい、親と苦労して部屋のベッドまで引きずる様に運んだこともあった。
「ちょ、姉ちゃん、それ黒歴史」
佳鳴のからかう口調に千隼は顔をしかめた。千隼の中では良い思い出にはなっていない様である。
「今はもちろんそんな飲み方はしませんけどね。酒は気持ちよく楽しく適量を飲むんがいちばんです。はい、料理お待たせしました」
お料理をお出ししたところでお客さまに呼ばれ、千隼が対応するために移動する。
今日のメインは豚ばら肉と蓮根とししとうの煮物だ。
茹でこぼして2センチほどの厚さに切った豚ばら肉と、半月切りの蓮根を、お出汁と日本酒、お砂糖とお醤油でことことと煮て、ししとうは最後の方に加えて少しだけしんなりとさせる。
角煮では無く、優しい味で煮込んでいる。豚ばら肉はお箸でもほぐせるほどに柔らかくなっていて、茹でこぼしてもなお滲み出る旨味がれんこんとししとうに絡む。
小鉢のひとつは山芋とおくらの海苔和えである。
山芋は生のまま短冊切りに、おくらは塩茹でしてから斜め切りにし、箸で掴みやすい様にしてある。
それを直火で炙り風味が立った海苔、少しのお砂糖とお醤油でほんのり甘辛く作った和え衣で和える。とろっとした山芋とおくらに良く馴染むのだ。
もうひとつは切り干し大根と絹さやの酢の物。
水で戻してさっと茹でて冷ました切り干し大根と、塩茹でして斜め細切りにした絹さやを合わせ酢で和えてある。
煮物のイメージがある切り干し大根だが、こうしても美味しくいただける。お酢の中であっても干して凝縮された大根の旨味が立ち上がるのだ。
「美味しそうですね! バランスも凄くええです」
英二さんは嬉しそうに言うと「いただきます」と手を合わせ、お箸を取ってまずは酢の物を口に運ぶ。
「あ〜ええですねぇ。歯応えが良くてさっぱりしていて。甘さのバランスも良くて。これ合わせ酢は作ってはるんですか?」
「はい。米酢と砂糖とお塩を少し。今日はメインが豚ばら肉で少し重めなんで、酸味を少し強めにしています。切り干し大根には甘みもありますしね」
「ああなるほど、そういうのも考えられてるんですね。勉強になるわぁ」
英二さんはうんうんと頷きながら、興味深げに佳鳴の話に耳を傾ける。
「これ、この黒いのはなんですか? 海苔の佃煮みたいですね」
「そうです、海苔です。佃煮では無くて海苔を細かく砕いて醤油とお砂糖を混ぜてるんです。甘みは海苔にもありますから、お砂糖は控えめで」
「じゃあそんなに難し無いんですね」
「そうなんです」
英二さんは海苔和えを口に含み「ん!」と目を見開く。
「確かに甘みと塩っけがええバランスですね。おくらと山芋に良く合いますね。今度家でも作ってみよ」
「あら、お料理は英二さんがされてるんですか?」
一概には言えないだろうが、やはり家事などは親御さんがされるご家庭が多い様に思う。子どもさんはお手伝いの範疇で、佳鳴と千隼の家でもそうだった。特に千隼は炊事を積極的に手伝っていた。だが父子家庭や母子家庭などは、お子さんと分担されていてもおかしくは無いのだろう。
「料理と言うか家事は全部俺です。父さんはほんまに不器用で。やので実は外食だと楽できるんですよ」
分担どころでは無かった。英二さんがおかしそうにおっしゃると、横で塚田さんが「いやぁお恥ずかしい」と苦笑して頭を掻かれる。
「家内が亡くなってから僕が家事をせんと、英二をちゃんと育てんと、と思ってやってみたんですけど、ことごとく失敗してしもうて」
「見兼ねて俺がやる様になったんです。黄身が潰れて焦げた目玉焼きも、最初のうちは笑ってられましたけど一向に成長せん言うか。やったら自分でやった方が早いって。幸い俺は器用な方やったみたいで、どれもそう失敗せずにできる様になりました」
「ほんまに英二には苦労を掛けてしまいました。部活もしながら家事をしてくれてたんですよ」
「それはお偉いですねぇ」
佳鳴はすっかりと感心してしまう。若いころなんて遊びたい盛りだろうに、家事を仕切っていただなんて。我慢したこともあったのかも知れない。それでも塚田さんの、お父さまのために頑張られたのだ。
「でも俺がアルバイトとかせんでも済む様にしてくれてたんで。それに家事は必要最低限で、弁当なんかは作って無いですし」
「こうなったら僕ができることは、お金に不自由させんことぐらいですからね。欲しいままに与えるなんてことはしませんでしたけど」
「それはね。でも充分な小遣いをくれていたんで。今はバイトしてます」
「ほんまに英二には感謝してます。もう僕が英二を育てたんか、英二が僕を育ててくれたんか判りません。親としては情けない限りです」
塚田さんはそう言って苦笑いする。佳鳴は「情けなくなんて無いですよ」と穏やかに口を開く。
「家事のできるできひんは、男性とか女性とか親御さんとかお子さまとか、あまり関係無いんかなぁって思いますよ。専業主婦の方かて家事が苦手な方もいてはるでしょうしね。確かに英二さんは大変やったかも知れへんですけど、とてもお優しくお育ちになってますから、嫌々されていたわけや無いんかなって」
「はい。面倒やて思う時もありましたけど、嫌や無かったです。それに将来独立とか結婚とかになった時に得やなって。だから父さん、大丈夫やからさ」
「そう言うてくれると救われるわ」
英二さんのお顔はとても晴れやかだ。塚田さんはほっと安堵した様に頬を緩ませた。
「おふたりは支え合いながらお過ごしやったんですねぇ。それも親子の形やと思いますよ。素晴らしいことやと思います」
すると塚田さんが「ああ」と感嘆した様な声を上げる。
「そうですね。確かにそうなんかも知れません。家事のことでは苦労を掛けてしまいましたけど、僕もできることはやって、ん? できてるやろか」
「父さんが凄い稼いでくれてるから、そこは凄い楽できてるで。小遣いもやけど生活費が充分やから、給料日前にきつきつの節約とかせんで済んでるし。それに父さん自分のことは自分でやってるやろ」
「それは当たり前やん。少しでも英二の負担を少なくしようと思ってるで」
「ならそれでええんですよ。お互いがお互いを労わり合っておられるんやと思いますよ」
「そうか。そう言ってもらえると安心します。店長さん、ありがとうございます」
塚田さんはそう言ってぺこりと頭を下げ、佳鳴は「いえいえ」と慌てて顔を上げていただいた。
料理とお酒を堪能された塚田さん親子は、ご機嫌な顔でお会計をされる。佳鳴がお渡ししたレシートを見て塚田さんは「ん?」と眉をしかめた。
「あれ、あの英二が飲み比べをさせてもろうた分が含まれて無いみたいなんやけど。小瓶のビールまで」
「ああ、あれはサービスです。おふたりへのお祝いです。こちらからのご提案ですしね」
佳鳴が笑顔で言うと、塚田さんも英二さんも「そんな」と慌てる。
「お支払いさせてください」
「そうです。おかげでいろいろな酒を試せて、好きな酒も見付けられたんですから」
「今回はお受け取りください。その代わり、またおふたりでご贔屓にしていただけたら嬉しいです」
佳鳴がそう言ってにっこり笑うと、塚田さんと英二さんは戸惑いつつ顔を見合わせて、「じゃ、じゃあ」と受け入れてくれる。
「ありがたくいただきます。これからはふたりで頻繁に通わせていただきますね」
そう言って笑みを浮かべてくれた。
「はい。お待ちしております」
そして塚田さん親子は並んで帰って行った。
「塚田さん、いつもよりかなり饒舌やったな」
千隼はどこと無く嬉しそうである。普段物静かな塚田さんの意外な一面を拝見したからだろう。
「そうやね。英二さんがご一緒やったからやろうね」
「仲良し親子って感じやったよな。父親が行きつけてる店に行きたいなんてな」
「ね。塚田さんも英二さんも、お互いに信頼してはるんやわ。ええ親子関係やんね。英二さんも常連さんになってくれたら嬉しいわ」
「そうやな」
カウンタ内でこそこそとそんな話をしていると、お客さまから「すいませーん」とお声が掛かる。佳鳴たちは「はーい」と元気に応えた。
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