13章 すてきなパパとママ  第4話 素敵な未来のパパとママ

1/1

50人が本棚に入れています
本棚に追加
/111ページ

13章 すてきなパパとママ  第4話 素敵な未来のパパとママ

 翌日の日曜日、開店とほぼ同時に訪れたのは柏木(かしわぎ)さんだった。予想外だったので佳鳴はつい目を丸くしてしまう。 「あら、いらっしゃいませ」 「いらっしゃいませ」 「連日ですいません。昨日はありがとうございました」 「いえいえ。またお越しくださって嬉しいです。今日はおひとりなんですね」 「はい。実は今日は浦島(うらしま)さんに内緒です。昨日の今日なんで、連日は来はれへんやろうと思いまして」  柏木さんのせりふに佳鳴(かなる)千隼(ちはや)は顔を見合す。実は浦島さんの場合、それがあり得るのである。  保育士である浦島さんの平日は激務である。勤め先が幼稚園なので、保育園ほどの時間拘束は無いものの、園児が帰ってからも保育士の仕事は盛り沢山で、平日は疲労困憊で「煮物屋さん」に来られる余裕が無いのである。  買ったお惣菜やお弁当を食べて手早くお風呂を使ったら、後はもう寝るだけだとおっしゃっていた。  なので幼稚園が休みの土曜日と日曜日は、思いっきり羽根を伸ばされるのだそうだ。  お友だちとお約束する日もあるそうなのだが、そうで無い日の夜は大概煮物屋さんに来られるのである。  なので浦島さんに内緒で来られるのなら、平日が最適なのだ。  浦島さんの今日のご予定は判らないが、来店される可能性は充分にあった。しかしそれは柏木さんにお伝えしない方が良いだろう。柏木さんは恐らく佳鳴たちにご用があるのだと思う。  柏木さんはカウンタに着き、佳鳴が渡した温かいおしぼりで手を拭かれた。 「今日も定食にされますか?」 「はい。お願いします。それとウーロン茶お願いします」 「はい、かしこまりました」  佳鳴がご飯とお味噌汁を用意し、千隼がお料理を整える。  メインは豚ロース肉と干し椎茸とにらの煮物だ。薄口醤油を使い、お出汁と干し椎茸の旨味を効かせた仕上がりになっている。  煮る前に焼き付けた豚ロース肉から香ばしさが煮汁に滲み、干し椎茸は戻し汁も使っているのでその風味も立っている。そこに旬の肉厚のにらが絡まり、しっかりと煮汁を持ち上げるのだ。  小鉢のひとつはお茄子とみょうがのおかか醤油和えである。蒸してとろりとさせたお茄子を割いて、千切りにしたみょうがとともに削り節とお醤油で和えたものだ。  とろとろになったお茄子の甘みとみょうがの爽やかな癖が合わさり、削り節の旨味がまとめ上げるのである。  もうひとつは春きゃべつとプチトマトの甘酢和えだ。塩揉みをしてしんなりさせた春きゃべつとカットしたプチトマトを甘酢で和えてある。  この時季にいただける春きゃべつは柔らかく甘みも強い。トマトもこれからどんどん甘くなって行く。すっきりとした酸味がその旨味を引き上げるのである。  お味噌汁はあさりでご用意した。旬を迎えたあさりの身はふっくらと大きく、旨味が詰まっている。お椀には溢れんばかりの殻付きあさりを盛り付けた。  揃えて柏木さんに提供すると、昨日の様に表情を綻ばせた。 「今日もおいしそうですねぇー。いただきます」  柏木さんは白米を口に放り込み、続けて煮物の豚ロース肉を大口で頬張る。もぐもぐと嬉しそうに口を動かした。 「出汁がしっかりと効いていて美味しいですねぇー。やらかいし。昨日のもとても優しい味でしたけど、これもほっとする味ですね。安心するっちゅうか」 「ありがとうございます」  柏木さんはまた白米を口に運ぶ。そしてふと手を止めるとお茶碗とお箸を置いた。 「あの、こんなことを聞くんは不躾やし筋違いかも知れへんのですけど」 「はい、なんでしょう」  佳鳴が気安く返事をすると、柏木さんは少し緊張を滲ませて、ゆっくりと口を開いた。 「浦島さんなんですが」  やはり柏木さんは浦島さんのことを聞きに来られたのか。予想はしていたが。柏木さんも浦島さんを見極めたいと思っているのだろう。 「浦島さんとは何度かお会いしました。その度にとても素敵な女性やなと思いました。子どもが好きで保育士になりはったっちゅう話を聞いて凄いと思いました。僕も考えたんですけど、激務と給料の釣り合いが取れへんっちゅうのは良く聞いていたんで、尻込みしてしもうたんです。将来結婚できることになって家族を養う立場になった時に、それでやっていけるんか不安になってしもうて普通の会社員になりました。もちろん女性やから男性やからってつもりはありません。でも僕は子どもが欲しいんです。そのためには結婚した女性に産んでもらわんといけません。その間は相手は仕事どころや無いわけですから。産まれて数年間、短くても保育園に入れれる歳になるまでは、どちらかの親が掛かりっきりになりますし。相手の女性が専業主婦になりたいって思う可能性かてありますし」 「そうですね」  おっしゃる通りだと思う。佳鳴が笑顔で相槌(あいづち)と打つと、柏木さんはほっとした様な表情になり、また口を開いた。 「僕はまだ浦島さんとお付き合いしてません。浦島さんにお会いするまでに何人かの女性に会いました。ですけど浦島さんがいちばん素晴らしいと思いました。だからできたら、結婚を前提としたお付き合いを申し込もうと思っています。浦島さんならええお母さんになれると思います。それに子どものことももちろんなんですけど、浦島さんと一緒やとほっとするんです。癒されるというか。僕はこの直感みたいなもんを信じてええもんなんかどうか。僕はもう30代です。最近は晩婚(ばんこん)も多いでしょうけど、父親になるのなら少しでも若い方がええと思って。甥っ子と遊んでてしみじみ思うんですけど、子どもと遊ぶだけでもほんまに体力が要りますから」 「確かにそんなお話はお客さまからも聞きますねぇ。小さな子の体力は無尽蔵やって。そのお客さまのお子さんはもう大きくなられてるんですけど、小さな頃はもうほんまに大変やったっておっしゃってましたよ。相当やんちゃやったらしくて」 「あはは、それは大変でしたね。でも自分の可愛い子やからこそ頑張られるんでしょうねぇ。僕は浦島さんとなら一緒に頑張れると思うんです。でもまだまだお会いしてからの時間も短いので、何とも判断ができひんで」  柏木さんは小さく苦笑する。  佳鳴はまだ誰かとの結婚を意識したことは無い。それは千隼も恐らくそうだろう。だがこれから先どうなるかは判らない。  結婚したいと思える人と出会った時、その人と尊重し合えながら生涯ともにあれるかどうかはある意味博打(ばくち)に近いと思っている。  結婚しないと分からないことはきっと多いのだ。それは佳鳴と千隼の近しい人にもいた。  だからお付き合いの時間を重ね、夢と希望を持ちながら見極めようとするのだ。そこにはもちろんお相手への気持ちも加味される。 「浦島さんはこちらに来ていただく様になってそれなりに経ちますけど、ほんまにとてもええ女性の様に私たちは思ってますよ。なので柏木さんの直感は正しいんや無いかと思います」  正直な気持ちだ。佳鳴たちとお話をしてくださる時の浦島さんから滲み出る人となり。そしてお仕事、子どもたちのお話をされる時の浦島さんの、なんとも嬉しそうなことか。佳鳴が笑顔でそう言うと、柏木さんは嬉しそうに顔を緩めた。 「僕なんかより浦島さんをご存知の店長さんにそう言っていただけて良かったです。僕、頑張ってみようと思います」 「はい。ご健闘をお祈りしております」  佳鳴がにっこりと微笑んだ時、新たなお客さまが来店された。 「こんはんは〜」  浦島さんだった。 「え、浦島さん!?」  柏木さんは驚いて腰を浮かす。浦島さんも柏木さんを見て「え? 柏木さん!?」とびっくりした様な声を上げた。浦島さんは店内に入って来られ、ごく自然に柏木さんの隣に掛けられる。 「どうしはったんですか? よほどこのお店が気に入られたんですか? 美味しいですもんね〜」  すると柏木さんの目が一瞬泳ぐ。浦島さんのことを聞きに来ましたなんて言えないだろう。柏木さんはごまかす様に「そ、そうです」としどろもどろになった。  柏木さんは嘘のつけない人の様だ。それもまた人の良さ、誠実さを表している様な気がする。  浦島さんは佳鳴から受け取ったおしぼりで手を拭きながらご注文をする。 「お酒でお願いします。ジム・ビームの、今日はコーラ割りにしようかな」 「あら、お珍しいですね」 「テレビのCMでコーラ見てから、なんだか無性に飲みたくなってまいまして〜」 「うふふ、ありますねぇ、そういうこと。お待ちくださいね」  佳鳴はジム・ビームのコーラ割りを作り、千隼はお料理の準備をする。先にお飲み物をお出しすると、浦島さんと柏木さんはどちらともなく「お疲れさまです」と軽くグラスを重ねた。  柏木さんはグラスに半分ほどになっていたウーロン茶を傾け唇を湿らすと、ごくりと喉を鳴らした。そのしっかりと開かれた眸には、決意が表れている様に佳鳴には見えた。 「これも縁なんかも知れません。あ、あの、浦島さん!」  柏木さんが上擦った声を上げる。 「はい?」  勢い良くジム・ビームのコーラ割りを飲んでいた浦島さんがタンブラーを置く。 「あの、その」  明らかに緊張しておられる柏木さんに、浦島さんはきょとんと小首を傾げる。佳鳴と千隼は(言うんか? 今言うんか!?)と固唾を飲んだ。佳鳴はつい胸元で拳を握ってしまう。 「ぼ、僕とお付き合いをしてくれませんか!?」  柏木さんは一気に言うと、詰めた息を逃す様に「はぁっ」と大きく息を吐いた。浦島さんはと言うと驚いて目を見開き、しかし徐々に満面の笑顔に移り変わった。 「はい! よろしくお願いします!」  浦島さんが嬉しそうに言うと、周りから歓声が上がった。 「わぁ、良かったね!」 「おめでとう!」  佳鳴と千隼も「おめでとうございます!」「良かったですね!」と拍手をした。本当におめでたい。素敵なカップルの誕生である。  浦島さんと柏木さんは恥ずかしそうに、だが幸せそうに「ありがとうございます」とはにかんだ。  ふたりは照れを隠すように「えへへ」と飲み物をこくりと傾ける。 「浦島さん、柏木さん」  佳鳴の声に、おふたりはほんのりと赤らんだ顔を上げられる。 「難しく考えはることは無いと思いますよ。お付き合いが始まってこれまでより距離が縮まるんですから、これからもっとお話をたくさんしはって、お互いを知って行けばええんやと思いますよ。そのためのお付き合い期間なんやと思うんです」  そのことばに浦島さんも柏木さんも目を輝かす。おふたりの1歩進んだ関係は始まったばかり。まだまだこれからなのだ。そして結婚と言う通過点を目指されるのだろう。 「そうですよね! 柏木さん、たくさんお話しましょう! 私、ええお母さんになりたいです!」  浦島さんが気合いを入れて言うと、柏木さんが「えっ」とさらに顔を赤らめた。佳鳴と千隼は「ふふ」と笑う。 「浦島さんったら。プロポーズはまだですよ」  佳鳴が穏やかに言うと、浦島さんのお顔がみるみる真っ赤に染まる。両手で顔を覆って(うつむ)いた。 「そ、そうですよね! 私ったら恥ずかし……!」 「い、いえ、あの、プロポーズはまだ少し先になると思いますけど、結婚を前提としてお付き合いしてくれたら嬉しいです。僕もあの、ええ父親になりたいです」  柏木さんが慌てながらも柔らかな笑顔で言うと、浦島さんはそっとお顔から手を外して「はい!」と笑った。  「煮物屋さん」の営業が終わり、佳鳴と千隼は後片付けに勤しむ。 「浦島さんと柏木さん、良かったやんねぇ」  カウンタを拭きながら言う佳鳴に、厨房を掃除する千隼は「せやな」と口角を上げた。 「まさかここで告白するなんて思わへんかったけどな」 「あはは。あれはびっくりしやんよねぇ。他のお客さまもすっかり聞き耳立ててしもうて」  そりゃあ好奇心もくすぐられると言うものだ。無理も無い。佳鳴たちでさえそうだったのだから。 「まぁあれはな。ある意味ドラマやったからな」 「ね。このまま順調にお付き合いが続いて、結婚してお子さまが生まれたら、一緒にここに来てくれはったら嬉しいやんね」 「そうやな」 「そうなると小さなお子さまも座れる様な椅子とか台とか、あ、でも赤ちゃんやったら座られへんから、寝てもらえる様な台とかいるやろか」 「姉ちゃん気ぃ早すぎ。まだこれからどうなるか分からへんねんからさ」 「ふふ、そうやね」  しかし佳鳴は思わずにはいられない。浦島さんと柏木さんの間に産まれたお子さまが、この「煮物屋さん」でご常連にあやされたりして健やかに愛らしく笑っている光景を。  佳鳴はそんな和やかな未来を願ったのだった。
/111ページ

最初のコメントを投稿しよう!

50人が本棚に入れています
本棚に追加