14章 偽りの関係  第1話 擬似親子の様なふたり

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14章 偽りの関係  第1話 擬似親子の様なふたり

 綺麗に開いた桜の花々が青い空を染める。風も暖かくなり始め、心も浮き立つだろうか。 「あ〜シャンディガフ旨いっす!」  渡辺(わたなべ)さんはロンググラスにたっぷりと作ってお出しした、シャンディガフの半分ほどを一気にあおって満足そうな息を吐いた。  シャンディガフはこの「煮物屋さん」でお出しできる数少ないカクテルのひとつだ。ビールはおしながきにあるし、ジンジャーエールもソフトドリンクでご用意があるので、メニューを見た渡辺さんが「作れますか?」とお聞きになられたのが始まりである。それまで渡辺さんはサワーを好んで飲まれていた。 「ビールだけやと苦くて飲めへんで。ディーゼルも旨いっすよね」  ディーゼルとはビールとコーラで作るカクテルである。 「そうですねぇ。どちらもアルコール度数も低めなんで、ゆっくり飲めてええですしね」  佳鳴が頷くと、渡辺さんは「ですよね!」と嬉しそうに前のめりになった。 「俺あまり酒に強う無いんで、こういうカクテルは本当に嬉しいっす」  そうしてにこにことシャンディガフを飲んでいた渡辺さんが、急にがっくりと肩を落とした。 「それやのに、この前の仕事では結構飲まされて大変でしたよ〜。すっかり宿酔(ふつかよ)いっす。辛かったっす」 「それは大変でしたねぇ。沢山飲まれるお嬢さんやったんですか?」 「いえ、おだてて飲ますんが巧い人でした。あれは一杯食わされたって感じだったっすね。後でその人には上から注意が行きました」  渡辺さんはその時のことを思い出したのか、複雑そうな顔で笑った。  渡辺さんのお仕事は「レンタル彼氏」のタレントさんなのである。女性の一時的な彼氏になって楽しませるというものだ。  渡辺さんはきちんと会社に所属されていて、料金形態などはクリーンである。  おひとりで営業や経理など何もかもをされている方もいるらしいが、それはバックアップが無いので、万が一依頼してきた女性が危険人物の場合フォローできずに危ないとのこと。  以前渡辺さんがどうしてこの仕事を選ばれたのか、おっしゃっていたことがあった。 「女性が好きなんす。変な意味や無くて。俺多分マザコンなんすよねぇ、根底に母大好きで尊敬してるってところがあって。せやからそんな女性を幸せにしてあげられる仕事をしたいなって。ホストも考えたんすけど、あれは俺には荷が重すぎるなって思って。そしたらテレビでレンタル彼氏の存在を知ったんすよ」  女性を喜ばせる仕事なら他にもありそうだが、渡辺さんは見目も良く、ご本人にもその自覚がある様なので、渡辺さんにとってはぴったりのご職業だったのだろう。  しかしこのお仕事は外見が良いだけでは務まらない。擬似(ぎじ)デートをする女性への思いやりや気遣いがまずは重要だ。話術も必要になってくる。相手に嫌な思いをさせたり退屈させるなんて以ての外である。  技術的なことは研修もあるらしいので、そこで学ばれたことも多いのだろう。 「でも渡辺さん、そういうお仕事をしてはると勘違いというか、そういうのをしてしまうお客さんはいてはらへんのですか?」  佳鳴が聞くと、渡辺さんは一瞬きょとんとした顔をした後「あははっ」と陽気に笑った。 「大丈夫っす。なんせお金が関わってるっすからね。支払う時に皆さん現実に戻られるっすよ。クレカ支払いもあるっすけど、現金払いだとデートの後にいただくっすからね」  それは確かに一気に現実に引き戻されるだろう。どんなに仲良くできても、お金の関係だと突き付けられてしまう瞬間である。 「あはは、確かに「これはお金でデートしてもろてる」って思ってまうでしょうね」 「なんで、俺は今までストーカーとかそういうんに遭ったことは無いっす。あー、でも同僚はどうなんやろ。実は横の付き合いってあんまり無いんすよ。せやから話を聞くことも無くて」 「でもそういうのって、女性の方がシビアや無いでしょうかね? 男性の方が夢見がちちゅうか勘違いしてまう人が多そうな気がします」  千隼が言うと、渡辺さんは「確かに」と頷く。 「うちの会社レンタル彼女もやってるんすけど、そんな話をたまにっすけど聞くっすね。今んところ大事になったって話は聞かないっすけど。そんなことになってたら大変っすよ」 「渡辺さんの方が専門ですから僕たちが言う様なことや無いとは思いますけど、気を付けて欲しいです」 「はいっす」  渡辺さんは真剣なお顔でこくりと頷き、グラスを傾けてまた「はぁ」と心地好さそうな息を吐いた。  次に渡辺さんが訪れたのは数週間後だった。にこにことご機嫌のご様子である。佳鳴がお話をお聞きする。 「最近、平日にも頻繁(ひんぱん)に指定をしてくれるお金持ちっぽいおばちゃんがいるんすよ。給料は歩合制(ぶあいせい)なんでほんまに助かるっす」 「お客さまの年齢層って広いんですか?」 「俺を指名してくれはる人は若い人が多いっすね。おばちゃんは珍しいっす。結婚もしてはるみたいっすし。おばちゃんやからっすかねぇ、なんか女性とデートっちゅうより、母親と出かけてるみたいな気分になるっす。世話好きなおばちゃんなんすよ」 「それはなんとも微笑ましいですねぇ」 「そうっすね。俺もひとり暮らしでなかなか実家に帰られへんので、ちょっと親孝行みたいなんしてる気分になるっす」  渡辺さんは明るくおっしゃる。 「また明日もご指名もらってるんすよ。松竹座に歌舞伎を観に行きたいんすって。俺、歌舞伎って初めてっすよ。難しいっすかねぇ。楽しめるやろか」  大阪なんばの中心、道頓堀(どうとんぼり)にある大阪松竹座では、歌舞伎を始め様々な演劇やコンサートに落語など、幅広いジャンルの興行がされている。大正時代からの歴史ある劇場だ。  関西初の洋式劇場として建築され、大阪空襲にも耐えたが、今では建て替えがされている。それまでは映画館としてその幕を上げていた。  今では居酒屋を始めとする飲食店が立ち並ぶ、大阪でも有数の繁華街である道頓堀だが、かつては芝居小屋や見世物小屋などが立ち並び、(やぐら)町と称される芝居町だった。  残念ながら閉鎖してしまった劇場もあるが、今でも大阪松竹座やなんばグランド花月など、その色は濃く残っている。 「新たな楽しみを見つけるチャンスかも知れませんよ」 「そうっすね。楽しみっす」  渡辺さんは屈託無くにっこりと笑った。
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