14章 偽りの関係  第3話 寂しい理由

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14章 偽りの関係  第3話 寂しい理由

 専属のレンタル彼氏さん。それはこれから先渡辺(わたなべ)さんは佐藤(さとう)さんのご指名しか受けられないということになる。所属されている事務所的にそれは可能なのだろうか。 「(ゆう)ちゃんにはレンタル会社を辞めてもろて、私が支払っているレンタル料をそのまま佑ちゃんにお渡しするねん。佑ちゃんが生活に困れへん程度にはご指名するで」 「あの、金の問題や無く、それは難しいっす。申し訳無いっす」  渡辺さんが慌てて頭を下げると、佐藤さんは「そう〜、やっぱりあかんかしらねぇ」とさして残念でも無さそうに言った。 「そうやんねぇ。ごめんなさいね。私、やっぱり寂しいんかも知れへんわねぇ……」  佐藤さんはぽつりと言うと、ワイングラスを揺らした。 「加寿子(かずこ)さん、俺で良かったら話聞くっすよ。それに店長さんもハヤさんも、合間合間で俺らの話し相手になってくれるっす」 「はい。私らでよろしければいつでもお話ください。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです」 「ありがとうねぇ、佑ちゃん、店長さん」  佐藤さんは嬉しそうに微笑む。 「私ねぇ、夫と息子がひとりいるんやけどね、夫はお仕事ばっかりで家ではご飯とお風呂と寝るだけ。休日出勤もたくさんあるからほとんどお家におらんのよ。ここ数年会話らしい会話もあれへんわねぇ。息子も社会人になって、実家暮らしたねんけどもこっちもほとんど家におらんでね。ふふ、ごめんなさいねぇ、ただの主婦のありきたりな愚痴やね。今のお家は息子の高校進学ん時に越して来たもんやから、私もお友だちがなかなかできひんで、こうして喋れる人も少なくてねぇ」  佐藤さんはそう言って寂しげに笑う。 「そんな時にねぇ、テレビでレンタル彼氏のことを知ってん。ちやほやして欲しいとかやなくてね、ただ誰かとお話をしたり笑うたりしたかったんやねぇ。お世話もねぇ、私は世話焼きみたいで、息子も手ぇ離れて久しいから余計につまらんかったんかしらねぇ」 「俺は加寿子さんと一緒にいれて楽しいっすよ。レンタル彼氏の立場で言うたらあかんのかも知れないっすけど、母親と一緒にいるみたいな気分になってたっす」  渡辺さんは本心だと言う様にきっぱりと言い切る。それに励まされたのか、佐藤さんは穏やかに微笑んだ。 「あらあら、そう言うてもらえたら嬉しいわねぇ。佑ちゃんは私にとっては息子ぐらいの歳やもんねぇ。でも私もそんな気分やってん。佑ちゃんは私を女性として扱うてくれるけど、やっぱりこんなに歳が離れとるもんねぇ。まるで息子に大事にされてるみたいやったわ」  本来ならレンタル彼氏さんなどを雇わずに、ご家族と向き合わなければならないのかも知れない。佐藤さんもそうしようと思われたことがあったのだろうか。だが今それができていないのは、佐藤さんなりのご事情があるのだろう。  佳鳴も「家族は仲良くあるべき」なんて綺麗事を言うつもりは無い。それは確かに理想だが、そうできないことだってあるものだ。  家族同士である前に人間同士だ。同じ空間で育ったり暮らしたりしていても、考え方や価値観は違って来るものである。そこは相手に強制できるものでは無い。 「佐藤さんの息子さんは、最近社会人になられたんですか?」 「もう少し前やねぇ。どんなお仕事をしているんかも、ろくに話してくれへんねんけどねぇ」 「それも成長のひとつかも知れませんね。社会人になってますます世界が広がるんですもん。寂しいかも知れませんけど、お天道さまに顔向けできひん様なことをしてはれへんのでしたら、見守ることも大切なんかも知れませんね」  佳鳴のせりふに佐藤さんは「そうやねぇ」としみじみと目を細める。佐藤さんは実際にお子さまをお持ちなのだから、佳鳴に言われるまでも無いだろう。 「そうやんねぇ。息子ももう大人やもんねぇ。自分の世界があってもおかしく無いもんねぇ。悪いことはせえへんと思うわ。私はそう育てたつもりやもん。ただねぇ、お仕事人間の夫を見ているから、将来結婚とかすることになった時に、お嫁さんに寂しい思いをさせへんかが心配だわぁ」 「旦那さま、今が働き盛りなんですか?」  概算だが少し前に就職されたお子さまがおられるのだから、佐藤さんはお若くて40歳台。旦那さまとそうお歳が変わらないのなら、まさに今脂が乗っていると言って良いのだと思う。 「いいえぇ、私と結構歳が離れとってね、もうすぐ定年なんよ。体力的にもそう余裕は無いと思うのにあんなに働いて……あ、浮気とかは疑ってへんのよ。結婚した時から不器用な人やったからねぇ。浮気なんてそんな器用なことできひんやろうし、したとしてもばれてまうような不器用っぷりだからねぇ」  佐藤さんはそう言っておかしそうに笑う。不器用だからと言いながら、きっと旦那さまを信じておられるのだろう。ワーカホリックなのも不器用ゆえなのかも知れない。精一杯お金を稼ぐことで、家族への愛情を表そうとされていることもあるのでは無いだろうか。 「でもそうやねぇ、定年になったら時間もできるやろうし。あ、でもお仕事人間やから再就職とか考えてるかも知れへんわねぇ。ほんまになんでそんなに働きたいんかしらねぇ」  佐藤さんが首を傾げる。もしかしたら佐藤さんは働いた経験が無い、もしくは少ないのかも知れない。ワーカホリックを肯定するわけでは無いが、仕事、お金を稼ぐことは生きることに必要不可欠である。宝くじなどで大金が当たったとかならともかく。 「ん〜、俺はこのレンタル彼氏の仕事は楽しんでやってるっすけど、加寿子さんの旦那さんって普通の会社員なんすよね?」 「そうよぉ」 「俺は大学ん時からレンタル彼氏のバイト初めてそのまま社員になったんで、会社員の経験ってそういえば無いんすよねぇ。だから旦那さんの気持ちは良く判らへんのですけど、俺の親父もやっぱり仕事人間で、でもお陰でうちは結構生活に余裕があった気がするっす」 「ああ、それは確かにそうやねぇ。うちも経済的には余裕があるわねぇ。こう見えて貯金もちゃんとできてるんやでぇ。老後に必要やしねぇ」 「加寿子さん、移動って言ったらすぐにタクシー使うんすよ」 「あら、贅沢ですねぇ」  佐藤さんはお嬢さま育ちなのかも知れない。そこかしこに漂う上品さもきっとそこからだ。となると休日まで働く旦那さまのことが理解できなくても無理は無い。結婚する前もしてからも、きっとお金に不自由されなかったのだ。 「やっぱりそうやんねぇ。て言うても近距離ばかりやねんけどねぇ。知らんところが多いこともあって行動範囲は狭いんよ。曽根に来たんも実は初めてなんよぉ」 「お家からですと曽根は遠いですか?」 「どうやのかしら。うちの最寄りは神戸(こうべ)線の園田(そのだ)駅やのよ。せやからいつもデートの時には佑ちゃんに塚口(つかぐち)に来てもろうてねぇ。塚口の方がお店も多いし」  阪急電車神戸線の園田駅、そのひとつ神戸寄りの塚口駅。神戸線は大阪梅田(うめだ)駅から兵庫県神戸市の春日野道(かすがのみち)駅までを神戸本線が走り、次の神戸三宮駅から新開地(しんかいち)駅までは神戸高速線になる。  神崎川(かんざきがわ)駅までが大阪府で、次の園田駅から兵庫県だ。園田駅と塚口駅は尼崎(あまがさき)市となる。大人気の某コンビ芸人の出身地でもある。  尼崎市は大阪府に近いこともあり、お仕事なども神戸方面では無く大阪に出られる方も多いそうだ。他都道府県から転勤などで大阪に赴任になられた方も多く住まれていると聞く。そんな部分は豊中市と似ている。市外局番が大阪市や豊中市と同じ06であることも、なんとなく親近感が生まれる。佳鳴だけだろうか。  しかし地元で、旦那さまでも息子さんでも無い若い男性とデートとは。あまり人の目を気にされない方なのだろうか。それも佐藤さんのお育ちを表現している様な気がする。やましいことが無いからかも知れないが。 「ああ、園田でしたら十三乗り換えで近いですねぇ。」  阪急電車の、曽根がある宝塚線に神戸線、そして京都線。全て大阪梅田駅から十三駅までは並走し、そこから枝分かれするのである。佳鳴たちも阪急電車で神戸や京都に行く時には十三駅で乗り換えをする。 「そうなんやね。ちゃんと調べてみようかしらね。あら、そう言えば夫も毎日満員電車で通勤してるんやもんねぇ。私ばかり楽してられへんわよねぇ。今日は電車で帰ってみようかしらぁ」  佐藤さんはそううきうき顔でおっしゃる。近い距離なのだが、普段あまり電車をお使いにならないのであれば、まるで冒険にでも出られる様なお気持ちなのだろう。 「旦那さま、定年後どうされるとか何かしたいとか、言うてはったりはしていないんですか?」 「してへんわねぇ。本当にろくに話もできてへんのよ。さすがにその時には忙しいやなんて言わせんで、ちゃんとお話をせなあかんわねぇ。それ次第で、まだまだ佑ちゃんにお世話にならなあかんわねぇ」 「俺はいつでも大丈夫っす。いつでもご指名くださいっす。それに俺、実はマザコンなんす。だから「お母さん」と話すの楽しいっす」  渡辺さんがにっこりと笑顔で言うと、佐藤さんは「ありがとうねぇ」と嬉しそうに微笑んだ。
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