15章 扇木さん家の家庭の事情  第3話 新しい家族の形

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15章 扇木さん家の家庭の事情  第3話 新しい家族の形

 寿美香(すみか)(だる)そうに、ワイングラスをくるくる回しながら言う。 「私な、結婚してあんたらも産んだけど、ずーっと違和感を感じとったんよねぇ。もともと向かへんなーとは思ってたけど、やっぱりあかんかった。仕事辞める気も家事する気も起きひんかったし、あんたたち産んでも育てる気になれんかった。まぁな、仕事好きな女はいるし家事嫌いな女もいるやろうけど、自分の産んだ子を育てる気になれへんってさ、こりゃさすがに人としてどうかと思って、これでも落ち込んだりもしたんやで。そしたら寛人(ひろと)くんが全部やってくれたから、じゃあ私は仕事に打ち込むかーって。でもあんたらも私なんかより、寛人くんに育ててもろて良かったて思うやろ?」 「それを俺らに聞くなや」  千隼(ちはや)は顔をしかめてしまう。佳鳴(かなる)もどう応えたら良いのか判らず黙るしか無い。 「でも結局な、私は寛人くんのこともあんたたちのこともないがしろにしてもうたんやんね。ほんまにね、よう寛人くんに三行半突き付けられへんかったわ。奇跡やで」  あけすけに言う寿美香にどういった感情を向けたら良いのか、佳鳴には判らない。少しでも悪いと思ってくれていたことを喜んだら良いのか、それでも自分たちに手を掛けてくれなかったことに憤慨したら良いのか。なんとも判断がつかず、佳鳴は頭を抱えたくなった。 「でも離婚する、んやろ?」  佳鳴が怪訝(けげん)な表情で聞くと、寿美香は「それなぁ」と困り顔を浮かべる。 「寛人くんに言われてもた。あんたらに迷惑掛けるんやったらまた同居しようて。家事は寛人くんが全部するからて。でもな、私結婚ってもんに縛られたぁ無いねん。自分の稼ぎだけで充分食べてけるし、あんたらも立派に独立してるしさ」 「せやからね、せやったら離婚して同居しようて言うたんよ。ただの同居や。やったら気も楽やろうってね」 「それやったらまぁええかって」  穏やかに言う寛人とあっけらかんとした寿美香。佳鳴と千隼は(なか)ば呆れて溜め息を吐くしか無かった。特に寿美香の態度は悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってしまう。 「ま、父さんと母さんがええんやったら俺はええよ。もう俺らも大人やから親権とか関係無いんやろうし」 「そうやねぇ。私もそれでええと思うよ。考えてみたらお母さんひとりって結構危なっかしいし」  家事ができないのか面倒なのかは判らないが、家政婦さんに来てもらっているほどである。そうなるとやはりお世話をしてくれる人と一緒に暮らすことが良いのだろう。寛人にはまた負担を掛けてしまうのだろうが、きっと本人はそんなこと思っていない。 「そうやな」  佳鳴のせりふに千隼はおかしそうに「くくっ」と笑う。 「酷いなぁ」  寿美香は心外だったのか苦笑いする。寛人はその横でうんうんと頷いた。佳鳴たちが思うほどなのだから、寛人などは言うまでも無いだろう。 「あ、寛人くんまで酷いなぁ」  今度は寿美香はからからとおかしそうに笑った。 「少しまた変わった家族の形になるかも知れへんけど、僕らの同居で今までよりは家族らしゅうなるかも知れへんね。変な言い方かも知れへんけど、これからもよろしく頼むわ」 「よろしくね!」  あくまでも穏やかな寛人と、この結果に満足げな寿美香に、佳鳴と千隼は「ふふ」「はは」と笑みをこぼす。 「なんか変な感じやけど、ま、うん、よろしくな」 「あはは、よろしくね」  その頃にはアンティパストと菜の花のパスタを終え、彩りも鮮やかなお魚料理がサーブされた。  寛人と寿美香はこの後近くのバーに行くと言うので、佳鳴と千隼は両親と駅前で別れた。時間は21時を少し過ぎていた。  佳鳴たちも誘われたが、翌日はまた煮物屋さんの営業があるからと辞退した。  家に向かってゆっくりぶらぶらと歩きながら、ふたりはぽつりぽつりと口を開く。 「離婚した方が家族ばらばらにならへんやなんて、なんやお母さんらしい」 「かもな。極端なこと言うたら、もう俺らに対する責任も無い訳やしな」  佳鳴は「責任、か」とぽつりと呟いて、「ふぅ」と息を吐いた。  佳鳴と千隼が未成年のころには、親としての責任はどうしても付いて来る。それは子育てしようがしていまいが存在するのだ。  だからこそ誰にも有無を言わせない今の在り方が必要なのだった。本来なら1位2位を争う甘え先である母親に放棄され、父親の手で育てらてた佳鳴と千隼が傷を追わず、きちんと成長できた、大人になれたと証明するために。  寿美香が生じた責任を無視しても、そのために少しばかり嫌な思いをしたことがあっても、今、佳鳴たちはこうして満足できる人生を歩めている。寿美香のことも、自分の中で昇華させて受け入れるしか無いのだ。  佳鳴がそう割り切ったのは、就職してから数年が経ったころだった。いろいろなご家庭を知ることができたからだろう。同じ女性だからということもあるのかも知れない。  それに今日は、小さなことなのかも知れないが、寿美香の話の中で嬉しかったこともあったのだ。 「私たち、自分の城を持ててほんまに良かったね」 「ああ。それはほんまにそう思う。俺さ、正直うちに来てくれる客の仲ええ夫婦とか羨ましかってん。山見(やまみ)さんとかさ」 「うん、そうやねぇ」 「克子(かつこ)さんって専業主婦でさ、家事も子育てもやって、なんと言うかちゃんと母親やってたんやろうなって。肝っ玉母さん的な」 「うん」 「でもそれって無い物ねだりやんな。俺らの母親はそうや無かった。やったらそれなりに受け入れるしか無いもんな。俺、自分で思ってたより変にこだわってたんかも知れへん。けど今日母さん見てさ、あ、これからは友だち感覚で付き合っていけばええんやってふと思ってさ」 「私はずっとそのスタンスやったで」 「そうなん?」 「うん。男女の違いもあるんかなぁ。私は言うてもお母さんと同じ女やから、そういう女性もいるもんやって割り切れるもんやけど、やっぱり男性は母親に理想と言うか、そういうのがあるもんなんや無いかなぁ」 「え、俺まさかマザコン?」  千隼が動揺したので、佳鳴は「あはは、ちゃうちゃう」と笑い飛ばす。 「でもな、例えばお母さんが克子さんみたいな方やったら、「煮物屋さん」をオープンできてへんかったかも知れへんで」 「そうやろか」 「うん。だって千隼がお料理しだしたんて、楽しいと思える様になったんて、お父さんの手伝いを始めたからやろ。家事なんでもやってくれる母親やったらそうならへんかったかもやで」 「ああ、それもそうか」  千隼は当時のことを思い出したのか、合点がいった様に目を丸くする。 「また違うタイミングでお料理楽しいって思ったかも知れへんけど、お店まで出せたかは判れへんからね。私は千隼と一緒に「煮物屋さん」ができて楽しいし幸せやって思ってるで。来てくださる常連さんもええ方ばかりで、お話しとって楽しいし癒されるし」 「そうやな。それは俺も思う。俺ら客に恵まれてるやんな」  千隼はそう言って穏やかに笑う。佳鳴も嬉しそうに口角を上げた。 「まぁ、さ、母さんが子ども服のデザイナーなんてのをやってる理由ってのも、うん、ま、意外やったけど」 「ねぇ。ちょっとびっくりしたやんねぇ」  佳鳴が寿美香に聞いてみた。子育てを手放したのにどうして子ども服だったのか。すると寿美香にしては珍しく申し訳無さそうに目を伏せた。寿美香は今はフリーで、元はアパレルブランド勤めだったのだが。 「子ども服を扱うたびにね、子どもが産まれたら着せてあげたいなぁって思っててん。でもいざ産んでみたら育てることすらできひんでさ。やのに子ども服見るたびに、あんたらに着せてあげたいなって虫のええこと思ってた。で、あんたらに着せる服作りたいなて思ったんよね。はは、ほんまに虫のええ話なんやけどさ」  少なくともその分だけは、寿美香は佳鳴と千隼の母親だったのだ。母親としては足りなかったのかも知れないが、寿美香がふたりを思ってくれている時間があったのだ。  確かに寿美香は夫である寛人と、子どもである佳鳴と千隼をないがしろにしたのだろう。だが寛人がそんな寿美香と離婚をしなかったのは、そんな部分を感じていたのかも知れない。  そして佳鳴と千隼も、少し救われた様な気がしていた。 「ねぇ千隼、帰ったら少し飲み直さへん?」 「そうやな。明日に響かへん程度やったらええやんな。まだダイエー開いとるな。なんか見繕うか」 「私めっちゃええ日本酒飲みたい! それと酒粕クリームチーズ作る!」 「ええな。俺は何にしようかなぁ。塩辛のバターソテーでも作るかな」 「じゃあとっとと行こう。楽しく飲んで、明日の英気を養うで」 「おう」  そうしてふたりはほんの少しだけ暖かなものを抱え、帰途(きと)に着く。新しい家族の形にほんの少し戸惑いはあるが、どうにかうまくやって行けそうだ。  あとは両親が巧く同居生活を送れることを願うばかりである。
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