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16章 残された小さな欲望 第2話 現象の正体
最近「煮物屋さん」に来られる様になった占い師の柳田さんが来店されたのは、三浦さんから幽霊云々の話が出た翌日のことだった。
柳田さんは美味しそうに「みむろ杉」の冷酒を傾け、その日のメインである、たこと新じゃがいもの煮物を口に運ぶ。彩りに蒸したそら豆を添えてある。
みむろ杉は奈良県の今西酒造で醸される日本酒である。控えめではあるが華やかな香りとフレッシュさが特徴だ。瑞々しい口当たりで、日本酒初心者でも受け入れやすい一品である。
「たこがやらかいですねぇ。長い時間煮てはるのですか?」
感心した様に溜め息を吐く柳田さんに千隼が応える。
「いえ、煮る前に麺棒で叩いて繊維を潰して、煮る時には炭酸水を入れてるんですよ」
「炭酸水? ってあの炭酸水ですか? しゅわしゅわする」
柳田さんは不思議そうに首を傾げる。千隼は調理台の下にある冷蔵庫から使い掛けの炭酸水を出して見せた。普段酒を作る時に使っているものである。
「そうです。お酒を割ったりするのにも使う、無糖の炭酸水です。これでたこがやらかくなるんですよ」
「そうなのですね。味に影響ってあれへんのですか?」
「あれへんのですよ。無糖ですし火を通していたら炭酸も飛びますからね。炭酸と水と日本酒で煮て、味付けをしてます」
千隼は炭酸水を冷蔵庫に戻した。
「へぇぇ。面白いですねぇ。あ、そういえば私、先日いかを煮たら硬うなってしもたんですけども、いかも炭酸水で煮たらやらこうなりますか?」
「いかは煮過ぎたら逆に硬うなってしまうんですよ。せやから5分ほどさっと火を通した方がええですよ」
「そうなのですか? 里芋と煮っころがしにしたんですけれど、煮上がる5分前なんて煮汁が心もとない気が」
少し不安そうな表情を浮かべる柳田さん。千隼は「大丈夫ですよ」と口角を上げる。
「いかと里芋は味を決めて一緒に煮るんですけど、いかは火が通ったら一旦取り出しておくんですよ。で、仕上げに入れて温める程度に火を通すんです」
「ああ、なるほど。それでいかも里芋もやらこういただけるのですね」
柳田さんは合点がいったと言う様に目を開いた。千隼は「はい」と頷いた。
「あの、柳田さん」
他のお客さまとのお話がひと段落し、佳鳴が声をお掛けすると、柳田さんは「はい?」と大きな目をくりっと向けてくださる。
「ほんまに不躾なお願いなんですが」
「構いませんよ。なんでしょう」
柳田さんが小首を傾げられる。昨日の三浦さんのことでご相談ができたらと思ったのだ。
「あ、姉ちゃん、あれ」
「うん」
千隼も思い至った様だ。しかしいざお伺いするとなるとなかなか勇気がいった。失礼になってしまわない様に慎重に言葉を選ぶ。
「実は、このお店の常連さんに看護師さんがいてはるんですけど」
「あら、大変なお仕事ですわね。その方がどうかしはりましたか?」
「最近お勤め先の病院で、心霊現象で悩まされてはるそうで」
「まぁ、確かに病院は生死の関わりが多い場所ですものね」
「はい。柳田さん、ほんまに失礼なんですけど、そういう方面に詳しい方をご存知では無いですか?」
「そういう方面とは、霊感がお強いですとか霊能者とか、そういうことでしょうか?」
柳田さんは幸いにもご気分を害されるご様子も無く、穏やかに聞いてくださる。
「は、はい。ほんまに不躾で申し訳無いんですが」
佳鳴が焦ると、柳田さんは「ふふ、大丈夫ですよ」と笑顔を浮かべてくださった。
「そうですわね。ほな少し見てみましょうか」
「え?」
佳鳴が首を傾げると柳田さんはまた「ふふ」と微笑み、カウンタの下の棚に置いていた大きめの黒いバッグからこぶし大ほどの水晶玉と、それを乗せる座布団の様なの台座を出された。
「え、え?」
佳鳴も、横で千隼も慌ててしまう。こんな場所で神聖な占いをさせてしまうなんて、あってはならない。
「あ、あきません柳田さん。こんなところで大切な水晶を」
「そうですよ。あの、あまりにも申し訳が無さすぎるので、あの」
佳鳴と千隼が代わる代わる言うと、柳田さんはふんわりと優しげな笑みを浮かべる。
「いいえ。占いというものは、人のためにあるものです。そこに生命の有り無しは関係無いのです。それにこれはきっとご縁なのです。確かに私は占いを生業にしておりますが、そこに必ず金銭が発生するわけではありません。せやからと言って無闇に占うわけではありませんけどもね。私はこの「煮物屋さん」とのご縁を大変幸いなものやと感じています。それは店長さんとハヤさんが作られるお料理がとても美味しいというものもあるのですが、おふたりのお人柄も大きいのです。私はおふたりにとても癒されているのですよ。そのおふたりがお声掛けくださったということは、きっと私にとっても何かがあるのだと思うのです。ですのでどうかご遠慮なさらんでくださいね」
佳鳴も千隼も柳田さんのお言葉に感激し、呆然としてしまう。お店を経営する立場から、こんな素晴らしいことがあるだろうか。
「そんなことをおっしゃっていただけるやなんて」
「こういうのを光栄って言うんやろか」
すると柳田さんはまた微笑む。
「私を頼ってくれはったことが光栄ですよ。では見てみましょうね。その看護師さまがお勤めの病院を教えてくださいな」
佳鳴が三浦さんの勤める病院名を言うと、柳田さんは大きく頷いて両手を水晶にかざす。目を伏せ無言で、水晶に触れるか触れないかの距離で掌をさまよわせた。佳鳴と千隼は固唾を呑んで見守る。
ややあって柳田さんは「あらあら」とおかしそうに口角を上げた。
「確かに様々な方がさまよっておられる様ですけれども、いちばん騒いではるのはやんちゃな男の子の様ですよ。食いしん坊な男の子で美味しいものが大好きで。でもご病気であまり食べられへんかったままこの世を去ることになってしまったので、だだをこねている様です。このままにしておいてもそのうち諦めて成仏されるでしょうが、気になる様でしたら何かお供えしてさしあげたらええかも知れませんね」
「ご供養、ということでしょうか」
「そうですわね。ご供養の心はとても大切です。看護師さまや病院にお勤めの方は特に死と触れ合うことが多いものですから、常にそのお心はお持ちいただきたいのです。怖がるのでは無く。もちろんおひとりおひとりにお線香を上げて、とまでは難しいかとは思いますが、亡くならはった方の安らかな成仏を願うことは大切なのですよ。そういう気持ちが亡くならはった方への後押しにもなります」
佳鳴と千隼は柳田さんの話を感心しながら耳を傾ける。柳田さんの声と話し方は、占い師という職業柄なのかとても心に染み入るのである。穏やかで優しい、まるで包まれる様な。佳鳴たちはすっかりと聞き惚れてしまう。あまり大阪弁が強く無いこともあるのだろうか。
柳田さんは決して難しいことをおっしゃったわけでは無い。とても大切なことなのは佳鳴たちにも解るのだ。
「ありがとうございます、柳田さん。その様に看護師さんにお伝えしますね。特にご供養の心は私もほんまに大切やと思います」
「はい。その看護師さまにどうかよろしくお伝えください」
柳田さんはにっこりと微笑んだ。
閉店後、佳鳴と千隼は店の片付けをしながら、自然と柳田さんのお話になる。
「まさか占って、占い? 視てもらえるなんて思わへんかったよな」
「ねぇ。ほんまにびっくりした。でもあれって占いの範疇なん? 霊視っちゅうやつや無いんやろか」
「いや、どうなんやろ。俺そのあたり全然分からんからさ。こういうのは姉ちゃんの方が詳しいやろ」
「私も全然やで。そういう現象があれへんとは言い切れへんて思ってるだけやもん。もしかしたら柳田さんは言わはらへんかったけど、霊感みたいなんをお持ちなんかもね」
「俺は未だに幽霊とか信じられへんけど、ああ、でも供養云々の大切さは解る。人が死んだ時の通夜とか葬式とかって、結局そういうことやもんな」
「そうやね。安らかに成仏してねって送り出すためのもんやもんね。それもそうやけど、柳田さんに何かお礼を考えたいやんね。今日のお会計お受け取りできひんて言うたのに、それはあかんって支払って行かはったもん」
「せやんなぁ。俺らに他にできることってなんやろうな」
「ちょっと考えよう。ただでさえありがたい常連さんやのに、恩ばかりお受けしてられへんよ」
「そうやな」
佳鳴たちは神妙な顔つきになってしまう。そうなりつつもふたりはせっせと手を動かして行った。
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