16章 残された小さな欲望  第5話 たくさん食べて欲しいから

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16章 残された小さな欲望  第5話 たくさん食べて欲しいから

「ICUは3階にあるんです」  佳鳴(かなる)千隼(ちはや)三浦(みうら)さんに案内され、上がって来たのと同じエレベータに乗り込むと3階に向かう。 「3階には手術(オペ)室とかもあるんですよ。なんで基本は一般の方の立ち入りは禁止になってるんですけど、今回は話を通しているんで大丈夫です」  たった1階降りるだけなのでエレベータはすぐに到着する。エレベータから降りると正面に詰所があった。三浦さんがそこに声を掛ける。すると数人の看護師が飛び出して来た。 「三浦! 待ってた〜」  ひとりはそう言って三浦さんの左手を両手でぎゅっと握る。まさに切羽詰まったご様子だった。するとひとりの男性が出て来て面倒そうに言う。 「だから心霊現象なんかあるわけ無いやろ」 「不調の原因も突き止められへんねんやったら黙っとって!」  三浦さんの手を取る看護師さんがぴしゃりと言うと、男性は何も言い返せないのか、バツが悪そうなお顔で詰所の中に戻って行かれた。佳鳴はなんとなく申し訳無い気持ちになってしまう。 「店長さん、ハヤさん、私はこの子から話を聞いたんです。私の同期なんです」 「あ、この方たちがお料理を作ってくださる?」 「そう。私の行き付けのお店の店長さんたち」  三浦さんの同期の看護師さんは三浦さんから手を離すと、佳鳴と千隼に深々と頭を下げた。 「ほんまにありがとうございます」 「いいえ、とんでも無いですよ。無事収まるとええんですけど」 「ええ、ほんまに。じゃあさっそく行きましょうか。三浦、私らも行くわ」  そこには三浦さんの同期さん以外に3人の看護師さんがおられた。そのうちのひとりは男性である。恐らく三浦さん言うところの「信じる派」の方々だろう。 「こちらです」  今度は同期さんに案内されて、佳鳴たちは連なって廊下を歩く。その特性ゆえにすぐに対応できる様にか、ICUは詰所のすぐ近くにあった。  このフロアは先ほどまでいた病棟ともまた違う雰囲気が漂っている。人が少ないことも要因なのだろうか。薬品の匂いもさらに強い感じがする。電気は明々と点っているのだが、なんとなく薄暗い様な気さえしてしまう。  生命のやりとりをしている場なのだ。そう思うと神聖な気持ちになってしまいそうだ。  同期さんが白い開き戸を開け電気を点ける。白い壁と天井の部屋の中央に医療ベッドがあり、その周りには佳鳴たちがテレビなどでしか見たことが無い様々な機器が整然と並べられていた。 「調子が悪い機器はこれなんです。生命維持装置です」  同期さんが1台の機械を指す。それは今は沈黙している。ランプひとつも点いていない。  ここにいるのだろうか。目に見えないものが。佳鳴たちには判らない。だが思いを残すものがいるのなら。  佳鳴はその場に膝を突くと、風呂敷包みを床に置く。それを開いて使い捨て容器の(ふた)をあける。どうにか傾けずに運べた様だ。ほとんど崩れておらず綺麗だった。  蓋の上に置いておいたアルミ箔を開く。そこから出て来たのは小さな旗だった。青色の地にデフォルメされた像の顔が描かれている。お子様ランチに付ける様なそれをオムライスにそっと立てた。  そして佳鳴は目を閉じて手を合わせる。千隼も佳鳴の横で屈んで手を合わせた。ふたりの後ろではきっと三浦さんたち看護師さんも手を合わせているだろう。  静かな時が流れる。それは皆が男の子を思って(いた)む時間だ。安らかでいてくれと、成仏してくれと。  まだ幼くて、食べたいものも食べられず生命を落としてしまったことは、本当に無念だっただろう。親御さんの心の痛みなんて想像もできない。どうか少しでも穏やかでいていただきたいと願うことしかできない。  そう、願うことしかできないのだ。佳鳴たちができることなんて些細なことだ。だが少しでも寄り添うことができたら。少しでも癒されてくれたら。ひとつでも心残りが少なくなってくれたら。  私らが作ったオムカレーハンバーグ、美味しいと思ってくれたら嬉しいな。たくさん食べてね。  佳鳴はそんなことも思いながら手を合わせた。 「ほんまにありがとうございました」  同期さんたちは揃ってまた頭を下げる。佳鳴たちは3階の詰所前に戻って来ていた。 「いえ。少しでもお役に立てたんならええんですけども」 「少しどころか! ほんまに美味しそうでした。オムライスにハンバーグとカレーなんて、小さな子には夢の様なごちそうです」  同期さんはそう言ってにっこりと笑う。他の看護師さんたちも「はい。美味しそうであんな場やのによだれが」なんて苦笑する。 「これなんですけども」  佳鳴は旗を外し蓋をしなおしたオムカレーハンバーグを、そっと同期さんに差し出す。 「よろしければ皆さんでいただいてください。病院の方にこういうのを差し上げるんはあかんのでしょうけども、これはお供えのおすそ分けですから」  佳鳴が言うと、同期さんはおずおずと手を出して料理を受け取ってくださった。その上に千隼が使い捨てのスプーンを数本出して「これ使うてください」と置いた。 「そう、ですよね。それも供養のひとつですよね。はい。ありがたくいただきます。えへへ。本当に美味しそうで嬉しいです」  そう嬉しそうに小さく笑う。だが次には切なげにそっと目を伏せた。 「このフロアでは、病棟よりも亡くならはる方も多いんです。せやから私らも最後を看取ることが多くて。そんな私らが供養の気持ちを忘れたらあきませんよね。これから心掛けて行きたいと思います」  同期さんはそう言ってまた柔らかく微笑む。 「あの、今度私もお店にお邪魔してもええですか? 三浦からも度々話を聞いとって、ええなぁて思っとったんです」 「はい、もちろんです。お待ちしております」  佳鳴と千隼はにっこりと笑みを浮かべた。  帰りの車の中で、佳鳴と千隼はぽつりぽつりと言葉を交わす。 「これで機械直るやろか」 「どうやろ。俺はなんやままごとでもやってる気分だったで」 「信じてへん人には茶番に思うんやろうけど」 「解ってるって。供養の気持ちやろ」 「そうそう。私らも忙しさにかまけてたらあかんってことやんね。よし、今度の定休日にはお墓参りに行こうかな」 「先祖の?」 「うん。ご先祖さまに美味しいもん作って持って行こう。私ら元気にやってますよ、見守っててくださいね、って。で、そのおすそ分けをご先祖さまといただくねん」 「それもええな。あーそれにしてもいろんな常連と話もするけど、まさかスピリチュアルちゅうかオカルトっちゅうか、こんなことになるとは思わへんかったー!」  千隼は運転しながらがなる。千隼にとっては予想外のできごとだったのだろう。佳鳴にとってもそうではあるのだが。佳鳴は笑いながら「そうやねぇ」と宥める様に同意する。 「でも私らにも必要なもんだから。それより今回は柳田さんにはほんまにお世話になったなぁ」 「そうやな。お礼、何やったら受け取ってくれるやろか」  柳田さんはお会計を無しにすると申し出ても固辞され、佳鳴たちは困っていた。柳田さんはそれでも足りないほどのことをしてくださったと言うのに。 「それに大切なことも教えてもろうたしね」  佳鳴は「う〜ん」と唸った。
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