<2・無知。>

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 それでも現在“恋人”と付き合っていないのは、それ相応の事情があるのだった。主に、摩子の方の側にいろいろと都合があったせいで。 「そりゃ、素敵な男性に巡り合えるなら……私だってお付き合いしたいけど」  よいしょ、と鞄を肩にかける。 「私、男の好みは無茶苦茶五月蠅い自覚があるのよね。とりあえず、“強い”男であることが大前提」 「えー、草食系とか駄目ですかあ?」 「そういう意味じゃないんだけどね」  自分が考える強い男、というのはもっと物理的な方面のことだ。が、それをわざわざ訂正してやるつもりもない。きっと、美冴のような“普通の”女性には分からない事だろうから。 「それに、今は可愛い子がアパートで待ってるから。あの子とお友達になれない人もノーサンキューってね」  摩子がそう言うと、ああ!と美冴は手を叩いた。摩子がちょっと前に見せた写真を思い出したのだろう。 「あれか、猫ちゃん!えっと、名前は“シロ”ちゃんでいいんですっけ?」 「そうそう。うちで保護してるわけ。……本来うちのアパート、ペット禁止なんだけどねえ」 「いーけないんだー!……でも、そのままにしてたら死んじゃうかもしれないし、放り出すわけにもいかないですもんね。何より、にゃんこは可愛い。超可愛い。そっか、あの子がいるなら彼氏は今すぐ要らないってなっちゃうか」 「そういうこと。美冴ちゃんも猫飼ってみる?世界が変わるわよ、わりとマジで」 「あはは。うちのマンションもペット禁止じゃなければなー」  そんな会話をしながらタイムカードを切り、まだ手元を片づけていなかった美冴と別れてオフィスを出る。  自然と、摩子の口元には笑みが浮かんでいた。  猫を飼うと、世界が変わる。それはけして大袈裟な表現ではないのだ。実際、摩子の元にあの猫が迷い込んできてから(あるいは、彼の方が自分を選んで来たのかもしれないが)摩子の世界が大きく変わったのは間違いないことなのだから。  男が途切れることがないほど整った自らの容姿、スタイル、優秀な成績に運動神経。それに加えて、家だってそこそこ裕福な方と来た。室井摩子の人生は、まさに順風満帆そのものだったと言っていい。  ただ一つ。  そうただ一つ、己の困った“癖”のせいで、人生に満足しきれていなかったというだけで。  その満足を満たすためだけに、一人で上京してきて安いアパートに住んでいたというだけで。 ――もし、あの子に……シロに出逢わなかったら。  会社を出て、ハイヒールを打ち鳴らしながら自宅への道を急ぐ。 ――きっと私の人生は、いつまでも灰色のままだった。……心から何かに満足することなんて、きっとなかった。
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