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序章
紙をクシャクシャに丸め、勢いよく後方に捨てる。
同じ文を書き始めては、そして同じ場所で万年筆を止め、頭を掻いて、紙をくしゃりと丸める。
後ろに放り、事前に準備していた新しい用紙に手を伸ばす。
「君、ねぇ君。PERFECTIONISMという言葉を知っているかい。今の君にぴったりな言葉だと思うのだよ」
お偉い作家さんが出来上がってもない作品を見て、優しい瞳でそう言ったのを覚えている。
自分はあまり賢くないのでわざわざ「はい、そうですか」と答えてから家に戻り、そして辞書を引いた。
完璧主義者。
そうか、そうだな。よく浴びる単語だ。耳にタコが出来るほど、それを言う人間が嫌いになるほど聞いて、浴びて、そして身に詰まった。
「君の文は綺麗だよ。だけれど、ようく考えてご覧。完璧過ぎるものには、やはり完璧過ぎると言う欠点があるものだ。欠点が、どこか完璧ではない所があるからこそそこに魅力を感じると私は思うのだがね」
今日もその作家さんはがやってきてわざわざそう言っていた。意図は分からないが、それでも「はぁ、そうですか」と答えると、彼は益々口を動かした。
「人間も同じさ。欠点があるからこそ、面白いと思うものだよ」
「……。はぁ。そうですか」
君の文は綺麗なのだがね。と付け足して、彼は書きかけの原稿を置いた。感想を頂けたからそれ以上は望まないが、結局は”それきり”なのだ。
紙をクシャクシャに丸めては捨てる。
それを勿体無いと女が言い、拾い上げるのを憎らしげに見る。そのインク滲みの出来た紙きれで何が出来るのか。ちり紙とてんで変わらないあれは、料理カスを置くためか、はたまた埃を置くためか。けれど、そう考えている時間が惜しい。
これが売れなければ死ぬしかなかろう。
なにせこれが売れなければ金の当てもない。借りるにはプライドが許さず、他の仕事はこうもひ弱だから出来そうにもない。
死ぬために一度は縄を買ったが、それを吊した時点で怖くなった。
生きるために筆を走らせるのか、死ぬために筆を走らせるのか、もはや分からない。
そして今日も彼から言葉を貰う。
「嗚呼。これはダメだよ。リアリティというものが必要なのだよ。何事にもね」
先生はそう言って、その原稿用紙を投げ捨てた。ヒラヒラと原稿用紙は舞いながら畳に広がった。書生はそれを悔しそうにしながらもかき集める。
必死に、必死に書いたのだ。それこそねる間も、食べるのも惜しんでひたすら筆を握り、丹精込めて書き続けた。それでも、ダメなのだという。ページすら捲らずに先生はそう吐き捨てたのだ。
「リアリティ、ですか」
悔しさに回らぬ舌でどうにか、理解を示したと態度に出す。はたして頭では理解しているのかと言われれば、けっしてそうではないだろう。ただ、ただ悔しかったのだ。
書生は時代劇を書く。
侍の話だ。
侍が自分の義のために生涯を貫く話。そこに甘ったるい恋愛話も無ければ、都合の良い展開もない。
ただ血と汗で出来上がった作品だ。それは、読者の心を惹きつけ、そして人生とはなんたるかを考えさせる物になったに違いない。
目の前のジジイに捨てられなければ。
「リアリティですか」
ギリギリと奥歯を噛み締め、腹の底からボソリと恩讐と共に言う。
それを先生というのは「そうだ、はたして一介のキミに分かるかね?」と笑って言った。
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