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「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!」
川路から逃げ回って、牟児津は図書室からどんどん遠ざかっていく。気が付けば学園中をぐるりと回って、自分の教室の近くまで戻って来ていた。教室の前に差し掛かると、牟児津は葛飾と再会した。
「きゃあっ!?ど、どうしたんですか真白さん?そんなオモチャみたいな声出して」
「助けてこまりちゃん!鬼が……鬼が来る!」
「鬼っ!?」
「葛飾あああっ!!」
「あっ!おに──じゃなくて川路委員長!」
「そいつを捕まえろぉ!!」
葛飾は瞬時に状況を把握した。また牟児津が何かをやらかして、あるいは何かの犯人だと疑われて川路に追いかけられる羽目になったのだろう。自分はそこに鉢合わせてしまったわけだ。そうなれば、やることは一つである。すぐさま葛飾は持っていた荷物を廊下の隅に投げ、牟児津を後ろから羽交い締めにした。
「おぎゃあっ!!?な、な、なにしてんのこまりちゃん!!?」
「すみません真白さん。私たち風紀委員は……委員長の命令には絶対服従。逆らえないんです」
「裏切り者ォ!!」
「同情します」
「同情するなら腕ほどけぇ!!」
葛飾を振りほどこうと牟児津は暴れる。だが、少なからず人を取り押さえる心得のある葛飾相手には、悲しいほどに無意味な抵抗だった。川路がようやく追いついてきた頃には、牟児津は疲れ切ってぐったりとしていた。葛飾は、今度は何があったのか、何か風紀委員としてすべきことがあるかを、その場で川路に尋ねる。しかし川路は、
「風紀委員としてすることはない。ご苦労だった」
とだけ言って、そのまま牟児津を連れて特別教室棟の方へ行ってしまった。
「?」
風紀委員としてすることがないなら、クラスメイトを裏切ってまで命令に従った意味はあったのだろうか。自分は今、本当に牟児津を捕まえるべきだったのだろうか。廊下の隅にうっちゃられた荷物を拾い上げ、葛飾はもやもやした気持ちを抱えたまま玄関へ向かおうとして──踏み出したその足を戻した。そして、特別教室棟に足を向けた。
〜〜〜〜〜
牟児津が連れてこられたのは、生徒指導室でもなければ風紀委員室でもなかった。風紀委員室と同じ階の廊下を、さらに少し奥まで進んだところにある、妙な扉の前だ。
スモークのかかった分厚いガラスの奥は黒く、ドアの縁が鏡のように景色を反射してきらびやかに見える。ドアノブは黒い革でぐるぐる巻きに保護され、触るのもためらわれる雰囲気だ。風紀委員室が重役室のような威圧感を放っているのに対し、ここは高校生が入ってはいけない店のようないかがわしさを醸し出している。こんなものが学園内にあっていいのか。つくづく牟児津は、この学園の特殊さに呆れてため息が漏れた。
「旗日!連れて来たぞ!」
「Welcome(ようこそ)!トシヨ〜〜〜!!」
「もがっ!?」
川路がドアを開けるや否や、黒いカーテンの向こうから勢いよく人が飛び出してきた。牟児津はそれに驚く暇さえ与えられず、両手を広げたその人物の胸の中に埋もれていた。何がなんだか分からない。
「あら……どうしたの。お礼にハグしてあげようと思ったのに」
「いらん。とっととこいつを受け取れ」
「シャイなんだからもう!あ、この子がムジツさんね」
「はぶはぶはぶ」
どうやら牟児津は、飛び出してきた人物と距離を取るため川路の身代わりに押し付けられたようだ。会話を聞いている限り、どうやら川路とは親しい仲のようだが、ハグとはまた恐れ入った。牟児津には、川路が誰かと抱き合っているところなど全く想像がつかない。首根っこを掴んでいた川路の手が離され、牟児津は両脇を支えられてようやくその人物と相対した。
「ハァイ、はじめまして。広報委員長の旗日 夜よ。Nice to meet you(よろしくね)」
「えっ、あっ……?あの、む、牟児津真白です……ミートゥー?」
「あはっ!あなたカワイイわね!」
「へっ?はうぎゃっ!?」
星を閉じ込めたようにキラキラ輝く瞳、銀河を被っているような色合いのウェーブヘア、陽気に跳びはねるような声と、季節感のない半袖のシャツに紺色のネクタイを締め、下はミニスカートだ。一目見て牟児津は、それが自分の理解できる範疇を外れた人間なのだと直感した。おまけに中身が絞り出されそうなほどハグが熱く力強い。牟児津の体がおかしな方向に曲がる。川路は、
「ハグ魔め」
と吐き捨て、その場を立ち去った。牟児津は苦しみに呻き声をあげながら、黒いドアの奥へ連れ去られていった。
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