第1話「じゃあ真白さんですね」

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第1話「じゃあ真白さんですね」

   「あれ、真白さん。残ってお勉強ですか」  ある放課後、葛飾(かつしか) こまりは、珍しく居残り勉強をしている牟児津(むじつ) 真白(ましろ)を見つけた。牟児津は眉をこれでもかというくらいにひそめて、赤いシートを被せた単語帳を睨みつけていた。二つに結んだざくろ色の髪をガシガシかいて、うんざりしながら答える。  「うりゅが委員会だから、終わるまで英単語の勉強しててだって。そろそろ単語テストに合格しないと、お母さんに言いつけるって」  「ははあ、それで。瓜生田さんはしっかりしてますね」  「いやひどくない?お母さんにチクられたらマジでヤバいよ。塩瀬庵の新作お菓子もあるってのに!」  牟児津はカバンからチラシを取り出して、葛飾の鼻先に突きつけた。一面にでかでかと掲載されているのは、食欲をそそる黄金色に輝く饅頭だ。くどいほどの広告装飾と宣伝文句が散りばめられて、商品を押し出そうという商魂を強く感じる。  「わっ、金ぴか」  「期間限定・数量限定の黄金饅頭!去年はお小遣いなくて買えなかったんだよね。一年待ったんだから!こんなん食べなきゃウソでしょ!」  「美味しそうですねぇ。でも、もう発売されてますよ。間に合うんですか?」  「次のお小遣い日ならギリ。開店ダッシュすればいける、はず!」  「そのためには単語テストで合格点を取らないといけないと」  「マジでさぁ……本当に、今のままじゃ小遣いカットじゃ済まないかも。返上まである勢いだよ」  「自分でそう思うってことはよっぽどですね。ちなみに先週の単語テストは20点中何点だったんですか」  牟児津は人さし指を一本立てた。  「さすがに0点じゃなかったんですね」  まあ範囲も20単語でしたけど、と言いそうになったのを、葛飾はすんでのところで堪えた。  「全部同じの書いたら1個当たった」  「実質0点じゃないですか。むしろよく丸もらえましたね」  いくらなんでもひどすぎる。が、それも仕方ないと言えば仕方ないのかも知れない。牟児津は、この学園で起きる色々な事件に、なぜかやたらと巻き込まれる。葛飾が知っているだけでも3つの事件で容疑者になり、その全てを解決して自らの疑いを晴らしてきた。いずれもその日のうちに解決したものの、近頃は休みの日まで事件解決のために奔走しているらしいから、単語テストの勉強どころではないのだろう。  それでも、牟児津と一緒に事件に巻き込まれている1年生の瓜生田(うりゅうだ) 李下(りか)は、聞いた話では学年トップクラスの成績を維持しているらしい。それを考えると、単純に牟児津が勉強を怠けているだけなのかもしれない。  「瓜生田さんの委員会が終わるまで勉強してれば、少なくとも実力で1点は取れるようになりますよ」  「こまりちゃん。さすがに志が低過ぎる」  本当は1点も取れる気がしていないのを、せめて希望が持てるように盛ったつもりだった。志が低いとは言うが、単語の勉強をしながら菓子を食べている姿からは、いまいち本気さが伝わらない。  牟児津の今日のおやつは、チラシに乗っていた黄金色の饅頭とは似ても似つかない、焼き印の入った一口サイズの団子だ。それを、1ページめくるごとに食べている。見開き1ページの単語を覚えるのにどれだけ糖分を必要としているのか。  「なに食べてるんですか?」  「これはやっすい黒糖団子。30個入り200円(税別)」  「ひとつ頂いても良いですか?」  「いいよ」  「ありがとうございます。はもぅ……あ、おいしい」  口に放り込むと、ほんのり黒糖のまろやかな甘みを感じた。値段の割に美味しい。確かに、食べれば勉強を頑張れろうと思えるくらい、優しい甘さに溢れていた。しかし牟児津の進捗は芳しくないようだ。そんな絶望的な状況を打ち砕くように、牟児津のスマートフォンが震えて音を立てた。瓜生田からの連絡だった。まだ終わるには早いが、暇なので図書室で一緒に勉強しようという誘いだった。  「ゆるいですねえ、図書委員。いいなあ」  「風紀委員はこういうのとは真逆っだよね」  「本当ですよ。今の委員長は特に厳しいですから、命令には絶対服従です。逆らえません」  「同情するよ。じゃ、私は図書室行くわ」  牟児津は荷物を持って教室を出た。まだ部活が始まったばかりで、グラウンドからは活気のある声が聞こえてくる。空き教室では、部室を持たない部や同好会が自由に活動していて、廊下を歩いているだけで文化祭のような賑やかさだ。  教室棟から渡り廊下を通って、特別教室棟に移る。瓜生田が待つ図書室や職員室など、教室以外の学園生活に必要な部屋が集まった建物だ。牟児津がいる階には、生徒会室や各委員会の執務室などがある。  「イットサウンズほにゃらら……ほにゃららに聞こえる。イットルックスほにゃらら……ほにゃららに見える」  牟児津は図書室までの時間も無駄にすまいと、単語帳を見ながら歩いていた。さながら二宮金次郎である。のろのろ歩いていた牟児津の前方で、扉の開く音がした。生徒会室しかないこの場所で扉が開くのが珍しく、牟児津はつい前方を見て、思わず足を止めた。  生徒会室から現れたのは、美しい金髪を首の後ろで結んでまとめ、細い足がスカートの下から床まですらりと伸びるスタイルの良い生徒だった。ナイフで切ったような鋭い目と全身にまとうオーラが、全方位に威圧感を放っている。伊之泉杜学園風紀委員長にして牟児津の天敵、川路(かわじ) 利佳(としよ)その人であった。  「あヒ……」  「んっ?」  川路が牟児津に流し目をくれる。全身の血流が止まったような気がした。学園生の中にはこれで興奮する人もいるらしい。奇特な趣味を持つ人がいるものだ。牟児津には心臓が破裂するようにも、硬直して停止するようにも、いずれにせよ体に悪い影響しか感じない。その眼に捉えられた牟児津は、しかしいくらか落ち着いていた。今日はまだ何もしていない。何もしなければ川路が追いかけてくることはない。刺激せず落ち着いて対処すれば危険はないはずだ。  「あっ……す……」  そうして牟児津は、野猿と同じ対処法で川路をやり過ごそうとした。通り過ぎざまに軽く会釈をして、そそくさとその場を立ち去ろうとする。が、  「おい待て」  呼吸を止めて一秒。川路は真剣な眼をした。そこから何も言えなくなった牟児津。次の瞬間──。  「待て牟児津!!待てえええっ!!!」  「ぎゃああああああっ!!!なんで!!?なんで追っかけてくるのォオオオオオオッ!!?」  牟児津と川路は同じ方向に全力で駆け出していた。  「逃げるな!!話を聞けっ!!聞かんかあああっ!!!」  「ど゛う゛し゛て゛な゛ん゛だ゛よ゛お゛お゛お゛!゛!゛!゛」  絶叫しながら牟児津は逃げた。すさまじい足音を轟かせ、二人は廊下の奥へと消えていってしまった。  「あら……利佳さんがお叫びになっていらっしゃいますわ。どうなさったのでしょう?」  「ムジツって聞こえたぞ。さっき言ってたムジツじゃねえか?」  「ふうん……あはっ!She looks interesting(おもしろそうね)!」  生徒会室の奥から、生徒会本部員の面々がその様子を眺めていた。
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