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「ほら、これくらい近くないと見えないじゃん」
「――っ、そんな近づいてないから」
耳のすぐ近くに落ちてきた声に、足が半歩ほど下がる。なんの気もないからするのだろうが、妙な気分になりそうになるので、やめてほしい。
「本当に?」
「本当に」
この顔は、完全におもしろがっている。溜息を呑み込んで、篤生はスマートフォンをポケットにしまった。こちらが勝手にしているだけだとわかっているが、やたらと胸がドキドキしている気がして、心臓に悪い。
……なんなんだろうな、本当。
おかしな感情に蓋をして、改めて準平に目を向ける。
「どっかごはんでも行く?」
「ねぇ、篤生くん。俺、もう呑める年なんだけど」
そう言われて、篤生は目を瞬かせた。にこにことほほえむ瞳を見つめて、そうか、と思う。もう、そういう年なんだな。
「強いの?」
「そこそこ。篤生くんは?」
「俺もそれなりには」
めちゃくちゃ強いとまで思ったことはないものの、酔いつぶれたことはないし、記憶をなくすような呑み方をしたこともない。頷くと、準平がうれしそうに目元を笑ませた。
「じゃあ、俺がよく行くとこでもいい?」
「もちろん」
自然と笑って、缶コーヒーを持ち上げる。やっぱり、好きだな、と思う。カウンセリングを勧めたほうがいいのだろうことはわかっているし、近々きちんと話したほうがいいとも思っている。
でも、やっぱり、準平とこうして過ごす時間が、好きだし、楽しい。
――本当にたまたまだったけど、声かけてよかったな。
本音を言うと、あのときは、ちょっと面倒だなぁ、と思ってもいたのだけれど。今となっては、自分の判断に感謝しているくらいだ。
そうでなければ、準平との思い出は、後味の悪いもののままになっていたかもしれない。
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