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「っ、一夏!」
近づいてきた一夏に腕を取られて、声が大きくなる。けれど、よろめいた身体があっさりおさまってしまうと、もうなにも言えなかった。
そんな場合じゃないとわかっていても、一夏の匂いに胸が詰まる。本当にどうしようもなくて、自分がひどく惨めだった。最近の自分は、こんなことばかりだ。
自分のことなのに、なにひとつままならない。
「だから無理すんなって言ったのに」
先ほどまでとはまったく違う、優しい声だった。
「篤生のとこ、今日もおばさん遅いんだろ? 泊まっていったら?」
「いや、……でも」
「ひとりにするの心配だし。――な?」
間近で見下ろしてくる瞳から目を逸らせないまま、頷く。だって、そうすれば、意を汲めば、一夏は喜んでくれるし、褒めてくれる。
「よかった」
想像したとおりの柔らかなしぐさで髪を撫でられて、篤生はそっと目を細めた。気持ちが良くて、ふわふわとして、指先の震えが止まったことを自覚する。
――一夏のSubなんだな、俺。
事実がどうであれ、自分の心は、今、そうなっているのだ。満足そうにほほえんだ一夏が、「そういうことだから」と自分ではない誰かに向かって、勝ち誇ったように告げる。
「篤生、泊まるけど。邪魔すんなよ」
「ちょ、……一夏」
その台詞で、篤生はようやく準平の存在を思い出した。一夏のことばかりでいっぱいだった頭が、急激に冷えていく。
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