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おっかさんの忘れもの
二年が経ち、中学に上がろうかというとき、正守は腎臓を壊して、長期休養を余儀なくされた。正守の考えるようには、正守のこころと身体は強くないようだった。
そのとき一度だけ、母が黒岩の家を訪ねてきた。
「お母さん、里心がつくけえ、来んで、って言うとったがやき」
幸恵姉さんの声が聞こえた。
「ほんでも、病気だったら仕方がないすけ。正守の忘れ物を届けに来ただけらすけ」
必死な声で母が言うのが、寝ている正守にも聞こえる。久しぶりの母の声に、布団を被ってむせび泣いた。
「忘れ物? 二年も経ってからに?」
「ええから。これはおっかさんが正守に直接渡すすけ」
やがて母が幸恵に連れられてやってきた。
「正守! 大層な病気して、どこが痛いんか?」
正守の顔を見るなり、母は泣き出しそうになった。正守もその顔を見て、涙をこらえるのに必死であった。
―――おっかさん、おら、もう帰りてえ―――
その言葉は言わずに終わった。
母の持ってきた「正守の忘れ物」は、見覚えのない新品の筆箱であった。
正守は驚いたが、顔には出さなかった。
母が帰ったあと、筆箱を開けてみると手紙と飴玉がいくつか入っていた。
手紙には
「正守、つらくなったらいつでも帰ってきていいすけね 母」
と拙い文字で書いてあった。正守は布団に潜って、嗚咽を漏らして泣いた。
それから十年後、正守は東京の大学を出て、サラリーマンになった。
あの筆箱と手紙は、いまも大事にしまってある。
〈おしまい〉
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