おっかさんの忘れもの

1/1
13人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

おっかさんの忘れもの

 二年が経ち、中学に上がろうかというとき、正守は腎臓を壊して、長期休養を余儀なくされた。正守の考えるようには、正守のこころと身体は強くないようだった。 そのとき一度だけ、母が黒岩の家を訪ねてきた。 「お母さん、里心がつくけえ、来んで、って言うとったがやき」  幸恵姉さんの声が聞こえた。 「ほんでも、病気だったら仕方がないすけ。正守の忘れ物を届けに来ただけらすけ」  必死な声で母が言うのが、寝ている正守にも聞こえる。久しぶりの母の声に、布団を被ってむせび泣いた。 「忘れ物? 二年も経ってからに?」 「ええから。これはおっかさんが正守に直接渡すすけ」  やがて母が幸恵に連れられてやってきた。 「正守! 大層な病気して、どこが痛いんか?」  正守の顔を見るなり、母は泣き出しそうになった。正守もその顔を見て、涙をこらえるのに必死であった。 ―――おっかさん、おら、もう帰りてえ―――  その言葉は言わずに終わった。 母の持ってきた「正守の忘れ物」は、見覚えのない新品の筆箱であった。 正守は驚いたが、顔には出さなかった。 母が帰ったあと、筆箱を開けてみると手紙と飴玉がいくつか入っていた。 手紙には 「正守、つらくなったらいつでも帰ってきていいすけね  母」 と拙い文字で書いてあった。正守は布団に潜って、嗚咽を漏らして泣いた。    それから十年後、正守は東京の大学を出て、サラリーマンになった。 あの筆箱と手紙は、いまも大事にしまってある。 〈おしまい〉
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!