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故郷
「あら」
地球熱学研究所に足を踏み入れたマドレは、思わず声を上げた。応接室の床一面にスノウホワイトの花がまかれていたのだ。
「なつかしいでしょ。故郷の夏至祭を思い出さない?」
中田が微笑みながら言った。
「ほんとうだわ。夏至祭はスノウホワイトの花ざかりだもの。小さな空地も埋め尽くすくらいに白い花が咲き乱れて。きれいだった」
「コーヒーどうぞ」
「いただくわ」
マドレはビーカーに注がれたコーヒーを半分ほど飲んでからテーブルに置いた。
「今でも故郷の女の子たちは、この花を摘んでいるのかしら」
「さあどうだろう。旧体制の悪しき風習の象徴だったから。除草剤で国を挙げて駆除してたらしいね。うまくいったかは知らないけど」
「あんな連中の根絶やしにされるような花じゃないわ」
「うん。花に罪はない。夏至祭の他愛ないお遊びだったよね」
「そう。花が咲き始めると女の子たちは連れ立って花を摘みに行ってたわね。それを砂糖漬けにしてスパイスも降って、夏至祭の夜まで大切に瓶の中に入れて。そして、夏至祭の夜に、それを口に含んで好きな男の子にキスをする。キスされた男の子は女の子のいうことを聞かなくちゃいけないの。」
「すごいよね。デートしてくれだの結婚してくれだの、ピアス買ってくれだの・・・挙句、あたしと死んでくれなんてさ」
「あたしは娼館から出られなかったから眺めてるだけだったけど。みんな楽しそうだったわね」
「冗談じゃない。僕みたいなおとなしい男の子には恐怖の祭りだよ。まだ14歳だったし。学校の帰り道に花を摘んでる女の子達に出くわしたらどんな顔していいか分からなかったよ」
「あの子は誰にキスするつもりなんだろう、なんて考えたら夜も眠れなかったりしたの? 」
「そりゃ思春期だったからさ。メイドも脅かすんだよ。『坊ちゃま、あそこのお宅で仕込んだ花は特別よく効きますからね。逆らえなくなります。絶対にキスされてはなりませんよ』って」
「ふふふ。家のレシピによって効き具合が違うなんて言われてたわね。あなたはいい家の坊ちゃんだから、うかつにキスなんてされたらたいへんなことになるもの。厳戒態勢だったでしょ」
「まあね。三代前の当主はスノウホワイトのせいでおかしな女と駆け落ちしたらしいから、年寄の使用人はピリピリしてたな」
「あなたには、夏至祭の思いではないの?」
「思い出か・・・」
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