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神山は空気みたいに仕事をしている。優秀なのは誰もが分かっているから、当たり前のように仕事を回されてこなしている。プライベートの誘いは笑顔で断るから、大瀧が着任したころには神山に必要以上に話しかける人はいなかった。でも、大瀧はその壁を破ってみたかった。
「先輩、飯、行きませんか」
ある日の休憩時間、大瀧は思い切って誘ってみた。休憩前の絶妙なタイミングで消えてしまうのを知っていたから、先手を取ったのだ。
「え・・・?」
神山は心底驚いた顔をしていた。
「そういう付き合いはしないって言ったよな」
「はい、聞きました。でも行きたいです。一回でいいです。歓迎会だって来てくれたじゃないですか」
「ああいうのは職務みたいなもんだから」
「あの時連れて帰ってもらったお礼もまだしてません」
周囲が二人のやり取りにさりげなく注目していた。高卒入局から九年、誰とも距離を置いていた神山が口説かれている。あの神山が傍若無人な新人からの誘いに乗るのか否か。
「神山、行ってこい」
普段無口な係長が言った。
「ね。行きましょう。俺おごりますよ」
「は? 冗談だろ」
「いいじゃないすか。マジでおごります」
大瀧が連れて行ったのは交通管理局のそばにある、漫画本が壁一面に置いてある定食屋だった。
「こういうとこ、よく来るんだ」
神山は珍しそうに店内を見た。
「職場周りの食べ物屋はチェックしますね。ここ、とり天定食が最高っす」
「とり天。珍しいね。じゃ、それにする」
「先輩はいつも昼、何食べてるんすか」
その質問は華麗にスルーされた。小瀧は苦笑いしながらとり天定食を二つ注文した。相手と同じものを食べると、それだけで親しみが増す気がする。ましてや同じ感想を持ってくれたらなおのことだ。だから神山が思わず漏らした
「うまいな、これ」
に、大瀧は心の中でガッツポーズを取った。デートみたいじゃん、と思いながら。
「でしょ。最高なんすよ」
「あ・・うん」
と神山が照れたように笑った顔が、この人の本当の顔だという気がした。これ、恋じゃん、と思いながら。
「あとですね、ここの上の階にあるお好み焼き屋もうまいんですよ。広島焼」
「へー。俺は関西風のほうだな」
「どっかいいとこあります?」
神山が挙げた店を検索してみると、交通管理局とは離れた場所だった。
「よく行くんですか。先輩んちの近くですか」
「そういうわけじゃないよ」
一瞬神山が『しまった』という顔をした。
「今度連れてってくださいよ」
「俺はそう言う付き合いしないっていったよな」
「あ、すみません」
それっきり二人は無言で残りの定食を食べた
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