フェスティバル

9/17
前へ
/189ページ
次へ
どういうことなんだよ。神山は、タブレットを叩き割りたい衝動にかられた。 神山には懐かしい母国の言葉だった。まだ内容を理解することができた。 表面上は敵意のあるやり取りだ。 でも防犯カメラから見える表情やマイクを通して聞こえてくる声は、それ以上のものを神山に伝えてきた。しかも神山はあの男を覚えていた。マドレの窓辺を眺めていた子供の頃、よく来ていたお客だ。 マドレにはたくさんのお客がついていたけど、あの男だけは違うと感じられた。子供にもそういうことは分かる。一度聞いてみたことがある。 「あの人、恋人なの?」 マドレは笑って答えなかった。 どういうことだ。どういうことなんだよ。 「お兄ちゃん。お兄ちゃん!」 必死に自分をよぶシラユキの声がイヤホンに入ってきて、神山は我に返った。 「お兄ちゃん。搬入口。もうすぐ搬入口につくよ」 「分かった」 神山の頭は、反射的に、ニエベスまでの最速ルートを計算した。 何とか『ニエベス』までたどりついた。   二人はマドレを3階の部屋に運び込んだ。地下室のほうが間違いなく安全なのだが、マドレがどうしてもあそこは嫌だと言った。あそこはイスラ・コン・ティキから脱出したコンテナ船の中を思い出させるからだ。あれは地獄だった。虐殺の夜が目まぐるしい地獄だとしたら、あそこは閉ざされた地獄だった。とてつもなく暑くて、逃げ場がなくて、弱い人から死んでいった。だから、日本の港に着いたときマドレの目には空の青さが美しくて瞼に焼き付いた。  それからはずっと日本の夜と暗闇をうごめくことになったのだが。  それでも、地獄よりはずっと良かった。  マドレを部屋に担ぎ込んでベッドに寝かせた。外傷はないが衰弱している。まだスノウ・ホワイトの残り香がするから、体力のすべてをつぎ込んだのだ。もう、回復しないのかもしれない。言葉も出ないような有様で横たわるマドレの姿に、神山の心には暗くたぎるようなが湧いてきた。あの男に会うために、こんなことをしたのだ。死んでも構わないと思って、ここまでしたのだ。 何のために?憎しみ?復讐? もちろんそれもあるだろう。でも、それだけじゃあなかったな。言葉にならない表情や、言葉の間ににじむ息遣いに、本音が駄々洩れだったよな。  神山は、虐殺の夜にマドレの首についていた紫色のあざを思い出した。きっと、あの男につけられたものだ。同じものを今度は俺がつけてやろうか。 「復讐が終わったね。今、どんな気分?」 マドレは大儀そうに首を動かして、神山の事を見た。 「エドは地獄に堕ちたかしらね」 エド。あいつのことをそう呼んでいたのか。 憎しみが、口からあふれてきそうだった。
/189ページ

最初のコメントを投稿しよう!

40人が本棚に入れています
本棚に追加