中田

8/10

38人が本棚に入れています
本棚に追加
/189ページ
5  ☆   ☆ 「ああーー!」 重尾は頭を抱えて、ソファの前のローテーブルに突っ伏した。 「どうしたどうした」 「仕事が辛いです。好きにしたいです。自由に飛び立ちたいです。解放されたいです」 「何、何。そんな重要な事件なの?」 「いや。もう大丈夫です。すっきりしました」 重尾は顔をあげて、残りのコーヒーを飲みほした。そのまま応接室を見回して、あらためて気づいたことがあった。 「中田さん、花、飾るのやめたんですね」 「え?」 「ほら、俺が花屋でバイトしてた頃はあんなに買ってくれてたのに、ここの部屋に、花があるのを見たことがないから。あっちの温室も、花がつくものは植えてないです。」 「ああ・・・。」 中田は、本棚の方を振り返った。本棚には、乾燥した植物片が入ったガラス瓶や、顕微鏡、いくつかの専門書が並んでいる。 「ここにあるのは装飾用のものなんだけど、時々花の成分分析を頼まれることもあるんだ。ほら、ハーブ湯とか流行ってるでしょ」 本棚から一冊取り出したのは「溶媒抽出化学」と題された専門書だった。 「うわあ・・・また難しそうな・・・」 「でしょ。やっぱり仕事になると、気楽に楽しめなくなるんだ」 「あ、分かります・・・中田さんも、ちゃんと仕事してるんですね」 「失礼だな。これでも所長だよ」 「そうでした。世捨て人じゃなかったんですね」 「当たり前だろ」 花、か。 重尾は「ニエベス」の店先でシラユキと交わしたやり取りを思い出した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『その花、毒があるんですよ』 『ええ!嘘ですよね』 『いえ、本当です。毒っていうか、夢を見るっていうか・・・あ、でも見てるだけなら大丈夫です。口に入れるといろいろ・・・』 ・・・・・・・・・・・・・・・・ シラユキはそう言っていた。花屋でバイトしていた重尾でも、見たことのない花だった。
/189ページ

最初のコメントを投稿しよう!

38人が本棚に入れています
本棚に追加