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8 ☆ ☆
実習に使われているハウスの他は、入り口を施錠しているようだ。では露地の畑だろうか。露地の畑には、ホレさんの趣味のような植物が植えられていて、いつも見事な花を咲かせている。
その日も桐島の足元には母の日に売れ残ったカーネーションが植え直されて、今が盛りのように咲いていた。ツルバラがむせるようなにおいを漂わせている。ホレさんも、渡辺先生のような緑の指を持つ人なんだろう。一瞬庭に見とれてしまった。
だから、その光景も、美しい庭の一部分のように思えた。
山田サラが、キスをしていた。初めて見る男だった。背の高い、きれいな横顔を見せて、山田サラを抱き寄せて、彼女の唇に自分の唇を押し当てていた。
山田の顔は見えない。のけぞった首筋と、男の背に回した腕が、山田サラはこんな形をしていたのかと不思議な気持ちになるくらいに、型にはまった美しさを見せていた。
我に返って声を掛けようとした瞬間、男は山田サラから離れて、庭の奥に消えた。
「おい、待てよ」
男を追いかけようとしたが、山田の様子がおかしいことに気づいた。目を大きく見開いて、動かない。空洞のように光を宿していない黒目と、キュッと結ばれた唇。
いつもの山田サラの表情ではなかった。
「山田。山田。どうした。しっかりしろ」
しばらく体を揺さぶると、山田は表情を取り戻した。
「先生、どうしたの?」
「どうしたってこっちが聞きたいよ。何してんのお前」
「ちょっと散歩しようと思って」
「で?」
「で?って言われても。散歩してたんだよ」
「そのあと。そのあとだよ」
「そのあと?」
「あいつ、誰なんだよ」
「あいつ? あいつって?」
「いや、さっきここにいたやつだよ。」
「ここにいたやつ?」
サラは周りを見回して、不思議そうな顔をして俺の顔を見た。
「誰もいないよ」
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