宵の口はミルクティー

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1 忘れられない。 忘れて…生きていけない。 今でもおまえを…想ってるよ。 桜が満開の時季。 俺の大切な友人が小さなレストランウエディングを開いた。 参加者は式を開いた彼等の両親と、友人が10人程度。側から見れば、小さな…小さなお披露目パーティー。 白いタキシード姿の男が2人。 手作りのウエディングケーキに手に手を取り合って一緒にナイフを入刀する。 そう…これは同性婚。 眩しい、俺が夢見た未来。 「晴弥…晴弥っ!!おいっ!大丈夫か?ボーっとして」 声を掛けて来たのは眼鏡がよく似合う洒落たスーツに身を包んだ清水大輝(シミズダイキ)。 昔から気の利く器用貧乏な奴で、大学からの友人だ。 俺は目の前の白いタキシード姿の片側から目が離せないでいた。 「あぁ…大丈夫だ」 幸せになってくれた。 涼そっくりの容姿を持った…俺が二番目に大切だった人。 タキシード姿の男、井口白(イグチ ハク)。彼は大学一年のほんの僅かな間、俺、鈴野晴弥(スズノ セイヤ)の恋人で居てくれた人だ。 高校の時、鳴海涼(ナルミ リョウ)という恋人を自殺で失ってから、生きる気力を無くしていた俺の目の前に、生き写しの姿で現れたのが白だった。 白には新井黒弥(アライ クロヤ)という幼馴染みが居て、2人は…2人だけが知らない両想いだった。 黒弥に白を渡すつもりは無かったはずなのに…白があんまりに黒弥が好きで…黒弥も相当に白が好きなのを知るたび、自分の思いを押し通す事は困難になっていった。 お節介にも彼等の友人だった大輝と俺はいつの間にか協力して2人をくっつける事になる。 見事に実を結んだ俺たちの努力はこうして目の前で幸せの花を咲かせているというわけだ。 「晴弥、見てよ」 大輝が一眼レフで撮った写真を見せてくる。 画面には、この上なく幸せそうに笑う白が居た。頰をピンクに染めて、まるで桜の花弁みたいに綺麗だった。 「写真…いるか?」 大輝はレンズを覗きながら苦笑いを浮かべシャッターを切る。 俺は鼻で笑って返した。 「人の嫁になった元恋人の写真貰って俺はどうすればいいんですか?大輝くん」 大輝はレンズから目を離して、白と黒弥を眺めると言った。 「なぁ、晴弥…俺、ホントにお前には感謝してる。アイツら馬鹿だからさ、ほっといたら今でも幼馴染みごっこ続けてたんじゃねぇかなぁってさ…」 俺は苦笑いしてタバコに火を付けた。 「ハハ…違いないな。」 呟いて吐き出した紫煙の向こうから白が駆け寄って来ると、俺の腕にしがみついた。 「大輝っ!晴弥と写真撮ってよ!良いだろ?晴弥」 透き通るようなブラウンの瞳を輝かせながらお得意の上目遣いで俺を見上げてくる。 俺はポンと白の頭を撫でて 「お姫様が言うんじゃしょうがないな」 呟いてレンズを構える大輝を見つめた。 腕に抱きついた白に身体を寄せ照れ笑いが溢れる。 タキシードを着てるのが…どうして俺じゃないんだろう…なんて思わないわけでもない。 ただ、この笑顔も幸せ一杯の空気も…俺とじゃ出せなかったんだって、良く理解してるつもりだった。 写真を撮り終わると、ゆっくり歩みよるもう1人のタキシードの男。 ハイタッチを交わし、拳を突き合わせた。 大輝と白が立食パーティーを楽しみに側を離れる。 白いタキシードの黒弥の蝶ネクタイの歪みを直してやる。 『俺…約束守ったから。いや…今からだな…ここがスタート…絶対…幸せにするから…白の事、ちゃんと…守るから』 俺はバンッと黒弥の背中を叩いた。 「なぁに固い顔してんだよ!!そんなの当たり前だろっ!……頼んだぞ。泣かしたらすぐ迎えに行くからな。」 『…おぅ…』 「大事にしないと、貰いに行くから」 『お、おぅ…』 「いらなくなったらいつでも」 『なんねぇよっ!!要らなくなんかなりませんっ!!』 「ふふ…だったら心配ないな」 黒弥を激励してタバコの煙りを空に吐き出した。 『あ、そうだ…おまえ店は?どんな調子よ?』 黒弥がポケットからタバコを取り出しながら呟いた。 タバコの火を分けてやるように、先端同士をくっつける。 『サンキュ…フゥー…』 火がついたタバコを吸い込み煙りを吐き出す黒弥。 俺は白と大輝が皿一杯に食べ物を盛り付けて笑い転げるのを目を細めて見つめた。 「まぁまぁかな…大輝が写真作って広告つーか…ホームページ的なの作ってくれたし…まぁ…もともと賑わう商売でもないからな」 スーツの裾を軽くまくり上げ、彫り上げられた刺青を見つめた。 『綺麗なもんだなぁ…』 黒弥が俺の刺青を眺めて呟いた。 腕の中で、桜が龍と戯れている。 「初めて自分で彫ったヤツだからな…」 『こんな事言うの…変なんだけど、桜が白に見える。…すげぇ綺麗だ。』 「ふふ…ノロケんじゃねぇよ。この桜は…そんなんじゃない」 黒弥が苦笑いして 『だな…呑めよ!』 そう言って白の方へ歩いて行った。 この桜は、白じゃない。 この桜は…涼なんだよ…。 2人はソックリだから…黒弥がそう感じてもおかしな事はないんだよな…。 苦笑いしながら溜息が溢れた。 大学を卒業して、それぞれに就職していき、俺は彫り師の道を選んだ。 理由はそんなに深いもんじゃない。 絵を描くのが好きだっただけ。 たまたま描いた絵が、友人伝いにその道の方に渡り、是非描いて欲しいとお願いされたのがきっかけだ。 卒業間近の在学中に何人かの刺青の下絵を描いた。 それを実際に背中一面に彫られた写真を見た時、自分で仕上げたい欲求に駆られ、現在の師匠になる人の門を叩いた。 支援してくれたのは関東圏では頂点にいるだろう組の方で、駅の近くで良く栄えた街のど真ん中にある有名な神社の横に立つビルのマンション部分を与えてくれた。 職場にすると良い…そう言って金を払ってくれたっきり俺と彼は会っていない。 それくらい俺に信用を置いているのか… そこは窺い知れないが…。 ただ、途絶える事なく一枚物の刺青を彫りにくる組員は絶えず訪れた。 毎日、毎日、ただ人の肌に絵を彫る日々だ。 サラリーマンになるより、うんと俺には向いてるように思えて、今のところ何の不満もなく過ごしている。 俺はまるで粉雪みたいに降り注いで来る桜吹雪を見上げた。 涼…今日は、素敵な日だよ。 あんなに嬉しそうに笑う白が見られて 俺はただ…幸せなんだ。 寂しくは ないよ。 今のところ… おまえの面影を忘れては居ないから。 今のところ… 俺はそれだけで ………生きて行けそうだから。 ゆっくりと過ぎた時間もお開きに近づいて、薄っすら日が暮れた頃、桜が舞う中、黒弥と白は誓いのキスをした。 幻想的な空間で、愛に溢れて、俺は静かに涙が流れるのを感じていた。 黒弥が俺との約束を守った事。 白が本当に幸せになった事。 やっと 解放されたかのように… 俺の身体が軽くなった事。 「晴弥…」 大輝がハンカチを手渡してくる。 俺は情けない顔をしていただろう。 作り笑いが崩壊して、大輝の肩に顔を埋めていた。 「次はおまえだな…幸せにならなきゃ…なっ!」 大輝がポンポンと俺の背中を叩いた。 ズズッと鼻を啜って 『善処します』 と泣きながら苦笑いする。 そんな素晴らしい一日があっという間に過ぎ去った。 俺は1LDKの職場の黒い革張りのソファーで、毛布に包まって眠っていた。 まだ少し肌寒くて、暖房を入れず寝た事に少しの後悔を覚えていた。 薄っすら瞼をあけて、テレビの下のデッキの時計を確認する。 まだ朝8時… もう少し もう少しだけ… 微睡んだ意識をクリアにする事は難しく、開いた瞼はゆっくりと閉じていった。 ガタンッ!! ガタッガタンッ! 『っ…ンだよ…』 オートロックのマンションなのに玄関先で妙な物音がする。 ソファーからゆっくり身体を起こした。 テーブルの上に置かれた携帯で玄関に設置した防犯カメラの映像を確認する。 『なんだ?…この黒い固まり』 うちは7階の角部屋だ。 エレベーターを出てすぐの部屋。そこが俺の職場…兼、仮眠室となっている。 どうやら、エレベーターを出てすぐ地面に倒れ込んでるらしい人影…と…ギター? 黒い何かが人影に覆いかぶさる様に倒れている。 俺はエレベーターの出入り口を塞ぐソイツを仕方なく見に行く事にした。 近隣に妙な迷惑はかけられない。 商売柄そのあたりには気を遣っていた。 上着を羽織って玄関扉を開く。 ガッ! 『マジかよ…』 扉は数センチの隙間を解放して何か固い物にぶち当たった。 『おいっ…おいっ!起きろっ!』 寝てるかどうかも怪しい黒服の男に声をかける。 相手はピクリとも動かなかった。 『おいっ!大丈夫かよっ!もうっちょっと!』 もうちょっと開けば、俺が外に出れるんだっ! くそっ!何が引っかかってやがんだ! 俺が悪戦苦闘して扉と格闘していると、ガタンと音がして、つっかえていた物がズレた。 ガチャっと向こう側に出て、やっと全体像を捉える。 『ギターケース?…っておいっ!おいっ!おまえ大丈夫かよっ!』 「ゔぅ…んっ…」 揺さぶる身体が軽く動いた。 『大丈夫か?』 顔を覗き込むと、どこかで一発食らって目を腫らした男が俺を片目で見つめ返してきた。 「大丈…夫じゃ…ない」 『はぁ?…おいっ?ここで寝るなっ!おいってば!!』 男はクタッと俺の腕に頰を預け目を閉じた。 『冗談だろっ…チッ…俺はっ!まだっ…寝てたんだっぞっ!!』 男の両脇に手を入れ足を引きずるようにして玄関の中へ投げ込んだ。 脱力した男の身体は決して軽くない。 廊下に転がったギターらしきケースもついでに引き入れる。 『ったく…何なんだよ…』 玄関に男とギターを放置して、ソファーに座りこんだ。 仰向けでスヤスヤ眠る男を見て呆れて溜息が漏れる。 ただの酔っ払いが誰かに紛れてオートロックを通過。 自分の家と間違えて扉の前で力尽きたってところか? にしても、随分派手にやったんだな… 白いTシャツは鼻血と口を切った血でドロドロだし、襟元は掴まれてだろう、ヨレヨレに生地が伸びていた。 顔面に三発は食らってんな… まぁ…見るからに弱そうだ。 白い肌に華奢な身体。黒いカーディガンは肩幅が合っておらず袖が無駄に長かった。 バンド小僧か… 腫れた片目と血塗れのせいで顔の造りがよく分からない。 俺は膝に手を突いて立ち上がりキッチンでタオルを濡らし、玄関で胡座をかいた。 『きったねぇツラ…』 冷えたタオルで顔面の血をソッと拭う。 眠っていた男は突然バチッと目を開いて俺のタオルを持つ手をギュッと握ってきた。 『なっ!何だよっ!起きたのか?ぅわぁっ!』 掴まれた手首をグイッと引っ張られる。 バランスを崩した俺は男の身体に乗り上げてしまう。 「ぅわ…本物っ!!」 『ハァ??!!おまえ何言って』 「俺っ!春(ハル)!」 『だぁかぁらぁ!!』 男はガバッと上半身を起こして、俺の腕にかかる袖を捲り上げた。露わになった腕に桜と龍が現れる。 「彫り師のっ…鈴野晴弥だろ?」 『ぁ…あぁ…何で俺の事…』 「雑誌に一回だけ載ってただろ…あれ見て、絶対この人に頼もうって…ってて…」 みぞおちを押さえながら俺の腕ごとうずくまる男。 『俺の手は離せ!』 「あ、悪りぃ…っ痛…」 『大丈夫かよ…ったく…喧嘩か?弱いならするんじゃねぇ』 「ちげぇよ…コレは…」 男はしょぼんと肩を落とす。 『まぁいい…おまえが喧嘩しようと、うちにこんな迷惑かけてこようと、俺には何の関係もないからな。』 俺は立ち上がり、タオルを男に渡した。 『それ、やるから帰れ』 「え?」 『え?じゃねぇよ…タオル、返さなくていいから帰れ』 男は手にしたタオルを見つめて腫れた片目にそれを当てながら立ち上がった。 「絵…書いて欲しいんだ。」 『聞いてたか?…俺は子供の相手が出来るほど暇じゃない。帰れ』 「…子供って…俺もう20歳回ってんだけど」 『えっ?!』 俺は背中を向けようとして驚き思わず男に振り返ってしまう。 男はニッコリ笑って上目遣いに呟いた。 「…書いて」 『チッ…調子乗ってんじゃねぇよ。…書かない!帰ってくれ』 「ヤダよ!…やっと見つけたんだ…ずっとあんたの事探してたんだよ!」 はぁ〜っと深く息を吐き捨てる。 『春だっけ?何で…何で俺なんだよ』 「…たまたま近所のコインランドリーに置かれてた雑誌を見たんだ…その腕の刺青がちょっとだけ映ってた。色んな所が千切られちゃってて、あんたの記事も殆ど破れてた。ちゃんと映ってなかったけど…それでも俺には十分だった。桜と龍…見た事ないような何つーかな…上手く言えないんだけどさ、身体の芯が熱くなる感じ!ジワァって…ほら!寒い時、熱いお湯に浸かったらジワァってすんだろ?」 俺は半目状態で春を見下ろした。 『人の彫りもん銭湯の湯加減みたいに言ってんじゃねぇわ!ボケ!帰れ』 「はぁ〜っ?!褒めてんだろっ!わっかんねぇかな!」 『あぁっ!もう!キャンキャンるせぇなっ!俺はあと一眠りするとこだったんだよ!! バカみたいにこんな朝っぱらから人に迷惑かけてるうちは彫りもんなんか入れてたまるか!』 吐き捨てて、腕組みすると、返事が何も返って来ない。 俺は玄関先に座り込んでいた春に視線をやる。 肩を落とした春は動かない。 背中が妙に切なく見えて苛々した。 『春…』 「…どうやったら…」 『え?』 「どうやったら…彫ってくれる?」 振り返った表情は片側が腫れて分かりにくかったが、潤んだ瞳に一瞬だけ怯んでしまった。 ガシガシ頭を掻いて視線を泳がせる。 溜息を深く吐いてから呟いた。 『とにかく…怪我みてやるから上がれ。』 「うん!」 クソ…何でこうなった… 俺は汚い捨て犬を風呂に追いやりソファーで頭を抱えた。 あんな目で見るな。 希望とか、夢とか、キラキラしてそうなもんを抱えた願うみたいな目…。 『はぁ…厄介なもんが転がり込んで来たぜ…』 春は、桜が舞う季節の終わりに 突然現れた。 涼の面影を白に重ねながら、ようやく何かが薄れ始めた、春の終わりに。
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