紫陽花の下には

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紫陽花の下には

※Twitterタグにて 「桜の樹の下には死体が埋まってる。じゃあ、紫陽花の下には何が埋まってるんだろうね?」 という台詞をいただいて書いた話です。 梅雨真っ盛り。 今日も今日とて雨が降っている。風もなく、霧雨、というのか。静かな雨だ。僕は一人、傘を差して歩いていた。下校中。 いつも通る公園は、今日は誰もいない。雨だしな、と思って通り過ぎようと思ったら、男の子がいるのが見えた。十歳くらいだろうか。咲き乱れるいくつもの紫陽花の前で、一人立っている。雨なのに、傘も差さずじっと紫陽花を見つめていた。僕は少し気になって、男の子に近づいてみる。白い半袖ティーシャツに、紫色の半ズボン姿。普通の子に見える。後ろ姿を見ていたら、不意にその子が振り向いた。 「お兄さんも、紫陽花見に来たの?」 「……そうだね。傘、無いの?風邪引くよ」 適当に誤魔化してから、男の子に傘を差し掛ける。近付くと、男の子からは、雨の匂いがした。いや。雨だけじゃなくて、土の匂いも。 「お兄さん、優しいね」 僕を見上げる男の子の目は、優しい。小さい子のはずなのに、慈しむような包み込むような、そんな気配がある。 「紫陽花、好きなの?」 「うん。僕を慰めてくれるからね」 雨足が少し強まる。僕ら二人、何かから取り残されたような気分になった。 「紫陽花が?」 「そう」 男の子は、また紫陽花に向き直る。黙って見つめている間、僕も黙って立っていた。 「桜の木の下には」 「え?」 零れた声に、僕は思わず聞き返していた。男の子は振り向きもせずに続ける。 「桜の木の下には、死体が埋まってる。って言うよね」 「……うん」 唐突な話に、それしか返せない。 「じゃあ、紫陽花の下には何が埋まってるんだろうね。お兄さんは、何だと思う?」 男の子が振り向く。僕はその姿を見ても、初めから知っていたような気がして、さして驚かなかった。 男の子の身体はほとんど、白骨化している。顔もほとんど。でも、柔らかな目は残っていて、僕を見上げる。 「……死体じゃなかったんだよね?」 「そうだね。おまじないだったんだ。蘇りのね」 「蘇り……」 僕は暗い気持ちになった。目を伏せた僕を見て、男の子が声を出して笑う。 「お兄さんは本当に優しいね。ーー新月の晩、紫陽花の下に死者の骨を埋めて、新月の光を浴びせた水を三回やると、その死者は蘇るんだって」 男の子はおどけたように言って笑う。僕は何も答えられない。 「ここは僕がいつも遊んでた公園だったから。お母さんが決めたの。やったのもお母さん。唆されちゃったのに、僕は止められなかったんだ」 「……君に会いたいと、縋ってしまったんだね」 「ありがと、お母さんのこと悪く言わないでくれて」 雨が強まる。もう傘の意味が無くなりそうなほど。身体がどんどん濡れていくのに、不快感はさほどない。紫陽花の青と紫が、鮮やかになってきている気がした。 「お母さんは?」 つい、聞いてしまう。この子がここに、こんな姿でいる以上、答えは分かってるはずなのに。男の子は静かに首を横に降る。 「会えないと思う。しちゃいけないことをしちゃったし、魔物になったんだって」 「誰かに言われたの?」 「紫陽花に聞いた」 男の子は、普通の人間の見た目に戻っている。 「そっか」 「これが、蘇りの儀式なんかじゃないってお兄さんも分かるでしょう?」 「……うん」 僕はその先を聞くのが、怖い。 この子の母親は、確かに常識から外れたことをした。でも正直、この子の言葉を信じるなら、魔物になるほどのことだろうか、とも思ってしまう。 男の子は、悲しげで、それでいて優しい目で僕を見上げる。多分ずっと長いこと、ここに居るのだろう。 「“そういうことを本当にしてしまう人間”の魂が欲しかったんだって」 「誰が?」 聞いてはいけない。もう知っているから。それはーー 「ごめんね、お兄さん。お兄さん優しいから、喋り過ぎちゃった。また紫陽花見に来てね。ーーありがとう」 視界が真っ暗になったのに、いつの間にか優しくなった雨の感触は、最後まで残っていた。 「宗也!!」 よく知る声が降って来て、僕は目を開けた。 友人の満寛が、僕を見下ろしている。公園の東屋。 「みちひろ……?」 夢か現か、まだ分からない。雨は止んでいた。 「起きれるか?」 「うん……」 満寛が手を貸してくれて、起き上がる。スポーツドリンクを渡された。 「僕、どうしたの?」 「聞きたいのはこっちだ。帰ってたら知らない男の子が来て、友達が倒れてるとか言うから、来たら宗也が倒れてた」 「……そっか」 僕は少し離れてしまった紫陽花の方へと、目を向ける。あの男の子はもういない。 「落ち着いたら送る」 「ありがとう」 ちゃんと満寛を見て言ったら、いつもの不機嫌そうな顔で呆れたような溜息をつかれた。
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