星になった君。

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冬の夜は広く、空気は乾いた土と埃の匂いがした。 ゴオオオォォ…と空が震えた気がして空を見上げてみる。 市街から離れて暗闇に慣れた目には夜空はいつもより青く透き通って見えた。 星空の世界を南から北へ横断する緑と赤に点滅する小さな光を見つけた。 あれはきっと飛行機だ。 こんな夜遅くにどこに向かっているんだろう? 国際線だろうか? 飛行機は行き先が決まっていていいなぁ。 それにしても、テスト前の現実逃避とはいえ町はずれの公園まで来てしまった…。 この公園はこどもの頃に親に連れられてよく来たなぁ。 そういえば、ここには街を見下ろせる展望台があったなぁ。 よし。展望台まで行ったら帰ろう。 公園内を進んでいくと、展望台に望遠鏡を覗いている女の人を見つけた。 あれは、同級生の山崎さんだ。 僕の気配に気づいたのか、山崎さんはふと望遠鏡から目を離してこちらを振り返った。 山崎さんは僕が誰なのか分かったのか小さく手を振ってくれた。 僕も安心して手を振り返す。 山崎さんがそのまま「こっちに来て。」というように手招きしたかと思うと、再び視点を望遠鏡に戻した。 僕は石の階段を上って山崎さんのいる展望台に向かった。 「こんばんは、山崎さん。」 「こんばんは、天野くん。」 山崎さんは望遠鏡から目を離さず、脇についたダイヤルを細かく弄っている。 「星の観察?」 「うん。もうすぐ彗星が見られるから。知ってる?」 山崎さんはちらりとこちらを見上げてきた。 「まぁ、ニュースの内容くらいは。」 たしか何万年ぶりかに太陽系にやってくる彗星で、通る軌道が地球に近くて観測条件も良い、とかだったかな。 「天野くんは?散歩?」 「まぁそんなところかな。」 「そっか。」 山崎さんはそういうと再び視線を戻し望遠鏡を弄りだした。 展望台には山からの冷たい風が吹きおろし、ヒューと寂しい音が聞こえてくる。 …気まずい。 そういえば、山崎さんとは3年生のクラス替えで一緒になって以来、ほとんど喋ったことはなかったなぁ。 こういう時に気の利いた話なんか出来ればなぁ。 マズい。何か話をしないと…。 「いやぁ、でも山崎さんにこんな趣味があったなんて。勉強も出来るし将来の夢は天文学者とか?」 一瞬の沈黙。 しまった。この時期に進路の話はデリケートだったか?! 「そうだな…。私は…『星になりたい。』かな。」 「え?」 どういう意味?と聞き返そうとしたが、その前に山崎さんは僕の返答を待つまでもなく腰を上げた。 「見てみる?」 山崎さんはポツリとつぶやき、僕に望遠鏡を覗くように促した。 「あ、うん。」 僕は腰を屈めて望遠鏡の小さなレンズを覗き込んだ。 そこには美しい輪を纏った淡黄色の大きな星が見えた。 「すごい!これ土星?こんなに輪っかって綺麗なんだ。」 「その輪っかのほとんどは氷の粒で出来てるんだよ。それに輪っかが縞々に見えるでしょ?それは間隙っていう粒子の疎密の違いでできてる模様なんだって。」 「へぇー。ホントに星に詳しいんだね。」 「そうでもないよ。」 「ねぇ。他の星も見られる?」 そのあとも、山崎さんにお願いして星を色々と見せてもらった。 その度に山崎さんは星のことや星座のこと、それにまつわる神話のことなどたくさんのことを話してくれた。 僕は山崎さんの知識には驚かされたし、ふだん大人しいイメージだった山崎さんが楽しそうに星について話しているのを見ているのがなんだか嬉しかった。 ふと時間を気にしてみると、時刻は明日になっていた。 僕は望遠鏡を仕舞ったケースを持ってそれを公園の駐輪場まで運んで行った。 「山崎さん、家は近いの?」 「自転車だから15分くらいかな。天野くんは?」 「僕は歩いて来たから40分くらいかな。」 「天野くんも気を付けてね。じゃあ、またね。」 「うん、じゃあ。」 山崎さんは望遠鏡の入ったケースを背中に掛け、そのままノシノシと自転車を漕ぎはじめた。 山崎さんが見えなくなるまで見送ると僕も家路についた。 熱放射で夜はますます冷え込んで感じたが、夜空は来た時より鮮明に、そして詳細に映っていた。 翌週。 今日で今年の定期試験は全て終わった。 期末テストはお世辞にも納得のいく内容とは言えなかった。 こりゃ、休み前に色々言われそうだなぁと気を揉んでいると向こうの席から山崎さんがやってきた。 「天野くん。ちょっと良い?」 「ん、何?」 山崎さんはここではなんだと小さく手招きして僕に退室を促した。 僕は山崎さんに連れられるまま非常階段のバルコニーまでやってくる。 山崎さんはこちらを振り返るも言葉が詰まった様子でマゴマゴした様子で手遊びをしている。 なんだこの緊張感?!こっちもソワソワする…。 しばらく待っていると山崎さんはポツリポツリと口を開いた。 「あの、山崎くんってさ。今週の土曜日空いてる?」 「え?うん。特に予定はないけど。」 「その、凄く頼みにくいことなんだけど…。良かったら、その…。」 え、待って、なにそのイントロ?! ドクッと心臓の高鳴りを感じて背筋が伸びる気がした。 「…ウチ、来てくれないかな?」 年末。 僕は姉の車に乗せてもらい山崎さんの家を目指した。 山崎さんからもらった住所はあの日の公園の近くにある高級住宅街の一角にあった。 西洋風の大きな家にはこれまた大きな前庭があり、綺麗なライトが玄関までのアプローチを照らしていた。 「おっきい家だね~。」 姉は物珍しそうに家の外観をじろじろと眺めていた。 「ここで待ってて。」 「ええー。私も努の彼女の家見たいなぁ~。」 「だからそうじゃないって言ってるだろ。」 助手席のドアを荒く閉めて玄関に向かう。 呼びベルを鳴らしてしばらくするとカチッと施錠が回る音がして扉が開いて山崎さんが顔を出してきた。 「こんばんは、山崎さん。」 「こんばんは、天野くん。上がって。」 僕は靴を脱ぎ、ピカピカなマホガニー調の床の上を歩いた。 広い家はまるで誰も居ないかのように静かで人気がないように感じられた。 「お父さんとかは?」 「居ない。私、いまひとり暮らしだから。」 山崎さんはボソッと話すとそれっきり黙ったままだった。 一人暮らしにしては家が大きすぎる。 両親は仕事かなにかだろうか? 案内された部屋は書斎だった。 壁際に建てつけられた本棚には大量の星や宇宙に関する本が並び、天井には大小さまざまな宇宙船の模型らしきものが吊るされていて、なんだか宇宙の中にいるような気がした。 「凄い部屋だね。ぜんぶ山崎さんが集めたの?」 「ううん。ほとんどはお父さんの。」 そうか山崎さんが星好きなのはお父さんの影響なのか。 それにしても凄い量だ。 お父さんはもしかして学者か何かなのかな? 「これなんだけど。」 山崎さんが指さした先には大きなケースが3つ置かれていた。 先日、山崎さんから公園のときに話に出た彗星の観測の手伝いをお願いされた。 先日の望遠鏡より大きなものを持っていきたいらしく、距離も遠いため手伝ってほしいと。 それを聞いて僕は安堵の気持ちとチョット残念な気持ちを感じた。 だがしかし、僕らだけで天体観測をするというのはやっぱり少しドキドキする。 「オッケー。任せてよ。」 山崎さんは「よろしくお願いします。」とお辞儀をした。 僕らは荷物を担いで玄関まで運んだ。 外に出ると姉が後ろのバックドアを開けて後部座席の片方を倒して待っていてくれた。 「こんばんは。」 「あら、こんばんは。姉の恵美です。」 「山崎薫です。よろしくお願いします。」 「任せといて~。」 荷物を積み込むと何とかギリギリ入った。 「山崎さんは助手席に乗って。」 「2人で後ろの席でも良いんだよぉ?~」 「乗れないでしょ。」 「なんなら荷物、前に持ってこようか?」 「もういいから!山崎さんは助手席に座って。僕は後ろに座るから。」 「うん。ありがとう。」 姉のイジリを無理やりねじ伏せ車に乗り込んだ僕たちは、目的地に向けて車を走らせた。 車を走らせること1時間弱。 僕らは山道の中腹にある駐車場までやってきた。 この辺りは有名な天体観測所があり、観測のために遠方から人が来るほどの有名なスポットになっている。 そのためか、僕らがやって来た頃にはもうすでに何台もの車が止まっていて、大きな荷物を担いだ大人のひとたちが沢山いた。 「はい、到着~。」 「ありがとうございました。」 車外に出るとふもとよりもまた一段と寒かった。 空気は透き通るほど綺麗で、向こうの山の音も聞こえてくるような気がした。 さっそく荷物を降ろし、僕と山崎さんはそれを背負い込む。 「じゃあ、時間になったら迎えに来るから。」 「え?姉ちゃん一緒に見ないの?」 「そこまで空気は読めなくないってぇ~。努のことよろしくね。薫ちゃん。」 姉ちゃんはそのまま車を走らせて駐車場から出て行ってしまった。 姉ちゃん、狙ってたなぁ…。 忘れていた緊張感が体の底から上ってくるのを感じた。 「なんかゴメンね。」 「ううん。良いお姉さんだね。」 「そうかなぁ。」 「じゃあ、行こっか。」 僕は山崎さんの後を追って林道を進む。 僕らと同じようにいくつかのグループが僕らの先を歩いていた。 山崎さんは足を止め、前後の人を気にし始めた。 「どうしたの?」 周りに自分たちのことを見ている人が居ないことを確認すると山崎さんは林道から外れた藪の中に入っていった。 「山崎さん?!」 「こっち。」 そういうと山崎さんはズカズカと草をかき分けて森の中に入っていった。 マジか…。 僕はどうしようかと迷っていたが、山崎さんを独りにすることも出来ないため勇気を出して藪の中を分け入っていった。 山崎さんに追いつき後ろをついていく。 歩いてみて分かったが、どうやら山崎さんは闇雲に歩いている訳ではないらしい。 辺りの草は僕たちの腰丈ほどまでに伸び、枝垂れているが足元の草は明らかに短い。 もしかしたら、ここにはむかし道があったのかもしれない。 そうこうしていると突如、森の開けた場所に出た。 そこは一帯を森に囲まれた湖だった。 物音ひとつしない世界。 静寂の水面には夜空を鏡合わせにしたような景色が広がり、無数に光の結晶が芽吹いていた。 そしてひと際目を引く大きな光。 青白い光の尾を引くふたつの大きな彗星が空を、大地を駆けていている。 現実とは思えない幻想的な空間に僕は心奪われていた。 「綺麗でしょ。」 「ああ、とても綺麗だね。」 「昔、お父さんに連れてきてもらったの。」 そういうと山崎さんは湖の時計回りに歩き出したため、僕もそのあとをついていく。 しばらく歩くと山崎さんが立ち止まり荷物を置いた。 「そこに置いてくれる?」 「ああ、うん。」 僕は指示された場所に荷物を置く。 さっそく山崎さんは荷ほどきをすると望遠鏡を組み立て始めた。 「持つよ。」 僕は望遠鏡を支えて作業がしやすいようにする。 「ありがとう。」 山崎さんは慣れた手つきであっという間に望遠鏡を組み立てて見せた。 山崎さんはそのまま望遠鏡を覗き込むと彗星に向けてダイヤルを弄り始めた。 僕はその隣で美しい彗星の姿を眺めていた。 ふとこの前の質問の答えを思い出した。 あれは一体どういう意味だったのだろうか…。 「この前。山崎さん、星になりたいって言ってたの覚えてる?あれってどういうことなの?」 前のように一瞬の沈黙のあと、山崎さんは静かに口を開いた。 「天体をはじめて見つけた発見者にはその天体の名前をつける権利が与えられてるんだけど。知ってる?」 「そうなんだ、はじめて知ったよ。」 「あの彗星。私のお父さんが見つけたんだ。」 山崎さんは望遠鏡を覗いたまま夜空を彗星をゆび指した。 僕は驚いて再び彗星を見上げた。 まさか、あの彗星が山崎さんのお父さんが発見したなんて…。 「お父さんがまだ私たちくらいの時。すごいよね。今よりも全然星を見る技術も発展していないのに独りで見つけちゃうんだからさ。」 山崎さんはダイヤルを微調整する。 「あの彗星は300年に一度だけ地球にやってくるの。だから今日は300年で一番お父さんが近くに来てくれる日。」 山崎さんは望遠鏡から目を離し、その大きな瞳で彗星を見上げた。 「わたしね。お父さんみたいに星になりたいの。そうすれば私は何時でも宇宙のどこかにいる。私が死んで星屑に戻って誰もが私のことを忘れたとしても、私の星に思いを馳せてくれる人がいる。宇宙を見上げればどこかに私がいる。」 山崎さんは彗星から目を離し、僕を見つめてきた。 その瞳に映る星の輝きが僕を離さなかった。 「見てみる?」 僕は「うん。」と頷き望遠鏡を覗き込む。 そこには青藍の星の海に光の波をたて、300年の月日を経て山崎さんに会いに来た彗星の姿が鮮明に捉えられていた。 「凄く綺麗だ。」 僕たちは時間が許す限り、彗星の軌跡を目に焼き付けた。 二月末。 僕は山崎さんが引っ越すことを知った。 山崎さんは祖母の家と一緒に住むこととなり、なんと海外に行くらしい。 そのためこちらの家は引き払ってしまうとのことだ。 おそらく、受験が落ち着くまではそのことは伏せておいてくれたのだろう。 そして三月末。 僕は今日、山崎さんの引っ越し作業を手伝いに来た。 荷物は全て積み、引っ越し業者の見送りを終えたため、後は山崎さんが車に乗り込むだけとなった。 山崎さんと親交を深めたのは去年の冬の終わりだというのに、なんだかとても長い時間一緒にいたような気がする。 その感覚が僕に僅かな空虚感を与えていた。 「あの、コレ。」 山崎さんは大きなケースをひとつ渡してきた。 中身を確認してみるとそれは望遠鏡だった。 「もらってくれる?」 「いいの?」 山崎さんは「うん。」と頷いてみせた。 「ありがとう、大切にするよ。」 「あと、これも。」 そういうと山崎さんは一枚の折りたたんだ用紙を渡してきた。 そこには英数字で書かれた文字の羅列が書かれていた。 — P/20xxA1(KAORU) — 「これって…。」 山崎さんは質問を待たずに車に乗り込んだ。 「また会おうね。」 「…うん。きっと会いに行くよ。」 僕は強く頷いてみせる。 きっとこの一続きの文字列が僕たちを再開させてくれるだろう。 山崎さんを乗せた車はゆっくりと走り出す。 桜並木を抜ける彼女の車を、僕はその姿が見えなくなるまで見送った。 -fin-
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