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パイプオルガンの音が聞こえている中で誰もいない祭壇を見つめながら、この数ヶ月を思い返す。
網野先生と定期的に会っているのは明らかにカウンセリングだともう理解している。私より何ヵ月か先に、ママもカウンセリングを受け始めていた。
カウンセリングの必要性はわからなかったけれど、先生が言ったように
「私は鈴になりたいのではない」
と毎朝毎晩、声に出して唱えることは続けているうちに、放棄、諦め、見切り、降参、絶念…などの言葉が時折胸に思い浮かぶような気がして、先生にそれを伝える。すると
「鈴への執着を捨てられる日が必ずくるで」
と毎回先生は言ってから、いろんな話をしてくれる。
例えば、恋愛関係でも、親子関係でも、仕事や会社、友人知人、お金や持ち物など、ありとあらゆるものが執着の対象となり得ること。執着は、強ければ強いほど対象者や仲間、生活を共にする人にとって負担や迷惑がかかるもので、自分自身にとっても、執着を手放さない弊害はあること。
‘あきらめない気持ち’と‘執着’は線引きが難しいけれど、視野の広さの違いがあること。手放せない執着は、不安に不安をどんどんと上塗りするようなものだということ。
「執着を捨てると言うてるけど、ニュアンスとしては固執していることへの思いを緩めていくってことや。それで楽になれるんや」
と何度か先生は言った。
そして分かるような、分からないような気分の中で鈴の結婚式への招待状を受け取ったとき
「…終わった…」
私はそう呟いたんだ。
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