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それから一週間後、僕はA区にある雑貨屋に足を運んでいた。
生活をしていれば、必ず不足するものが出てくる。コハルに頼めば大抵のものは手配してくれるのだが、月一回という頻度と、僕が散歩をしたくなる頻度が奇跡的に合致しているのもあって、買い出しだけはいつも自分で済ませていた。
買い物カゴに石鹸や歯ブラシ、洗剤などを放り込んでいく。最近は食生活が偏っているので、サプリメントもいくつかカゴに入れた。
「いらっしゃいませ」
商品でいっぱいになったカゴをレジカウンターに置いたとき、店のバックヤードから見覚えのない従業員が出てきた。そういえば、店に入ったときに聞こえた声も、いつもの従業員とは違う声だった。
彼女は商品の値段を一つひとつ丁寧に読み上げながら、カウンターの空きスペースに商品を並べていった。いつもは年配のオーナーらしき人がカゴから袋に商品を適当に入れ、いつの間にか計算していた値段を伝えてくるのだが、今日はその芸当は見られないらしい。
「以上でよろしいですか?」
僕はいつもと違う対応に困惑しながらも同意する。すぐに彼女が商品の合計金額を読み上げた。
「お支払いはどうされますか?」
「カードで」
特にきっかけになる出来事があったわけではないが、彼女にカードを渡したとき、ふとヒィカの話を思い出す。そういえば、彼の妹がこの店の面接を受けていると話をしていた。
「お返しします」
僕は彼女からカードを受け取る。もしかすると、この女性がヒィカの妹かもしれない。そう思うと、確かに外の人間特有の雰囲気をまとっている。
「袋詰めいたしますので、少々お待ちください」
彼女は幼い見た目よりも落ち着いた声で僕に笑いかける。少しだけぎこちなく、けれど丁寧に僕の買った商品を袋に詰めていった。
「手伝おうか」
手持ち無沙汰だったので、普段はしない提案を持ちかけてみる。
「ありがとうございます」
彼女はにこやかに微笑むと、カウンターの下から大きな紙袋を一枚取りだした。僕はそれを受け取って、一緒に商品を袋に詰めていく。
「まとめ買いですか?」
彼女は当たり前のように話しかけてきた。このタイミングで話しかけてくる人間はあまり見たことがない。僕は改めて、彼女が外の国の人間だと確信した。
「うん。これで一ヶ月はもたせる予定」
とはいえ、ヒィカの妹という確証はどこにもない。いきなり間違ったことを聞いても今後が気まずくなるだけなので、少しだけ会話をつなげて探ることにした。
「確かに、ひと月しっかりもちそうですね」彼女はくすくすと笑った。
「君、新しい人?」
「はい。先々週に越してきたばかりで……」
先々週。ヒィカが引っ越してきた時期と一致していた。他の国と比べて、この国は人の流入が盛んではなない。この情報で、彼女がヒィカの妹だという可能性が一気に高まった。
「こちら袋を分けますか?」
「ううん。一緒で大丈夫」
「かしこまりました」
彼女は再び微笑んで袋詰めを再開した。
「もしかしたら、なんだけど」
「はい」彼女は手を止めて僕の方を見た。
「先々週、引っ越してきたばかりの人の道案内をしたんだ」僕は彼女の真っ直ぐな視線に驚き、思わず目をそらしてしまった。「その人が、確か妹と一緒に引っ越してきたって言ってて、ここの雑貨屋で働くかもって言ってたんだけど……」
「もしかして、レタさんですか?」
彼女は僕が思っていたよりも早く答えにたどり着いた。
「うん。やっぱり君は、ヒィカの妹?」
「そうです! わぁ、ここで会えるとは思ってませんでした」
「面接、受かったんだ」
彼女は目を輝かせてうなずいた。
「ここの方すごく良い人で、すぐに働いていいって言ってくれて……」
「そう。それはなにより」
僕は袋詰めを再開する。
「あ。すみません、申し遅れました。私、ミィといいます」
ミィは改まってお辞儀をした。僕は聞こえたよという意思表示のために軽くうなずく。
「兄がお世話になりました」
「大したことはしてないよ」
「でも、喜んでました。この国で最初の知り合いができたって」
「そっか」
くすぐったそうにミィは笑う。ヒィカ以上に人懐っこい性格に見えるが、僕の経験上、この手の人間は長くこの国にはいられない。
「このお店にはよく来られるんですか?」
「たまに。月に一回くらいかな」
「なるほど。だからまとめ買いなんですね」
「そういうこと」
ミィは機嫌よく袋詰めを続けていた。ヒィカと同様、言葉がなくともなにを思っているのかが分かる。僕には到底できそうにない、高度な意思表示の仕方だった。
「お兄さんは元気?」
先週会ったばかりだったが、ミィの表情のバリエーションを見たくなって、適当な話題を振ってみる。
「ええ。やっと自由にものづくりができると張り切っています」
「そっか」
ミィは自慢気にうなずいたあと、視線を落とした。
「ただ、張り切りすぎているのか、最近あんまり眠っていないみたいで」
「眠ってない?」
思ってもみなかった方向に話が進んだため、思わず尋ねてしまった。
「その、元々不眠症なんですけど、こっちに来てからちょっと薬の量が増えてるんです」
「なるほど。慣れない生活でストレスがたまってるのかな」
僕にしては珍しく、おそらく一般論であろうことを述べてみる。
「かもしれませんね」
ミィは儚げに笑った。抑えきれない心配が表情に出ている。
「心配なら、早めに病院につれていくといい。カウンセリング系なら、B区らへんがいいと思う」
「そうなんですね。ありがとうございます」ミィは頭を下げる。「レタさんもそういうところに行かれるんですか?」
「ううん。幼なじみがよく行ってるから、多分いいのかなって」
「幼なじみさんがいらっしゃるんですね」ミィの表情に明るさが戻った。「レタさんは、この国で育ったんですよね」
僕はうなずきながら最後の商品を袋に入れる。ミィはいつの間にか自分の仕事を終えていた。
「この国で幼なじみって珍しいんじゃないですか?」
「確かに、言われてみればそうだね」
ミィはなぜかにこりと笑って僕に紙袋を差しだした。
「手伝っていただきありがとうございました」
「ううん。そっちのほうが早いからね」
紙袋を受け取ると、途端にミィは寂しそうな表情をした。
「でも、レタさんと次会えるのは来月なんですね」
「そういうことになるね」
「もしお店に来て私がいたら、声かけてくださいね」
なぜそんなことをしなくてはならないのか分からなかったが、彼女からの要望は不思議と飲むことができそうだった。レベッタ、そしてヒィカとも違うなにかを感じる。
「忘れなければね」
できなかったときの言い訳を添えて、僕は二つの紙袋を両腕に抱えた。
「お気をつけてお帰りください」
ミィはそう言いながら店の入口まで小走りで向かい、ドアを開けてくれた。
「ありがとう」
「はい。またのご来店、お待ちしています」
ミィはお辞儀をしたあと、屈託のない笑顔を向けてきた。それに負けて、僕も微笑み返してしまう。
「ありがとうございました!」
店の外へ出た僕にもう一度お辞儀をして、ミィは店内に戻っていった。僕は紙袋を抱えなおして、自宅に向かう道を歩きはじめる。
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