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 少しずつ詳細が明らかになるモニュメントを注視する。頭からつま先まで見えても、孤独は感じられなかった。 「なにか思うことある?」レベッタは興味がなさそうに尋ねてきた。 「これを作った人はきっと、孤独を知らない」  レベッタは僕の評論を聞いて、何度かうなずいた。 「確かに、そうかもね」  そんなことを言いながら、僕たちはひだまり公園の中に足を踏み入れた。公園の隅にあるベンチに二人組の男女が座っている。 「珍しい。人がいる」  レベッタが心の声を代弁してくれたので、その次に言おうとしていたことを口にする。 「どっか座る?」 「じゃあ、あそこで」  レベッタはモニュメントを指さした。 「座るところあるの?」 「土台のところ」 「座るところじゃないと思うけど」  僕の忠告を無視してレベッタは歩きだした。しぶしぶ僕もついていく。 「あぁ、重かった」  レベッタは身長の倍以上あるモニュメントの土台に紙袋を置いた。 「そっちはサプリメント系だから重くないと思うけど」  僕もレベッタが下ろした隣に紙袋を置いた。 「また偏食?」 「僕はそんなつもりないけど」 「コハルちゃんに言われたの?」 「そんなところ」  レベッタは小さく「まったく……」と言って土台の上に座った。紙袋と同じようにレベッタの隣に腰を下ろす。土台は僕の部屋にあるイスと同じくらいの高さだった。  改めてひだまり公園を見回してみる。名前に違わず、公園中に日の光が降り注いでいた。立ち並ぶマンションによる日照率の減少と、それに伴った緑地の減少が公害になりつつあるらしいが、だからこそ生まれる、自然光を保存するようなデザインの場所が僕は好きだった。太陽の光が当たり前になってしまったら、スポットライトのように切り取られているこの光景は見られなかっただろう。 「ここ、明るくて結構いい場所だったんだけどなぁ」レベッタはため息をついた。 「モニュメントで、影ができてるね」 「ううん。そういう意味じゃない」  レベッタは首を振った。それと同時に、彼女の短い髪が乱れる。周りに建物があるせいで、こういった緑地には風がよく吹き込む。 「レタ、あのさ」  風が強く吹いて、レベッタの声がよく聞こえなかった。 「なに?」 「私ね」  レベッタは僕の目をじっと見た。 「愛情の国へ行くことにした」  レベッタの声は、風の隙間を縫うようにしっかりと僕の耳に届いた。彼女の言ったことが聞こえたはずなのに、理解ができなかった。 「驚かないんだね」  レベッタは呆れたように笑った。 「多分……」僕の声は震えていた。「分かっていたのかもしれない」 「なにを?」 「その、こうなることが」  僕の答えを聞いて、レベッタは俯いた。 「望んでいた、じゃないの?」 「いや、それは違うと思う」 「そ」  レベッタはちらりと僕を見た。 「なんというか」僕は思わず目をそらしてしまう。「寂しいって、思った」 「本当?」  僕はうなずく。 「それなら、ちょっとだけ嬉しいかも」 「嬉しい? どうして?」  レベッタは微笑んでいた。 「だって、少しでも私がレタに干渉できたってことでしょう?」  レベッタの答えは、答えになっていなかった。どうして、寂しいと思われたら嬉しいのだろう。それとも、触れられたくない事情があって、話をそらしているのだろうか。 「愛情の国に行けば」レベッタは遠くを見ていた。「私は孤独じゃなくなる」 「愛情があれば、孤独にはならない?」 「もちろん」  レベッタはそっと、僕の太ももに手を置いた。 「レタ。最後のお願いなんだけど」レベッタの手が固く結ばれる。「私のこと、抱いてくれない?」  僕はどう答えればいいのか分からず、黙ってしまった。 「なにか言ってよ」  レベッタは笑う。恥ずかしそうな、それでいてどこか冷たい、不思議な表情だった。  僕は何度も思考を逡巡させて、最後に大きくため息をついた。 「抱きしめるくらいなら」 「それじゃあ駄目」  レベッタは煙草に火をつけ、深呼吸のように吸って、吐いた。 「煙草、美味しい?」 「全然」 「そう」  風向きのせいで、煙草の煙が僕の方へ流れてくる。僕は妙に居心地が悪くなって、遠くを見ようとさっきまで人がいたベンチを見た。そこにいた男女二人は、もうどこかへ行ってしまったらしい。 「レベッタは、どうして僕が好きなの?」 「気付いてたんだ」 「なにが?」 「私がレタを好きだってこと」  レベッタは煙草を指で弾いて器用に灰を落とした。そのおかげかは分からないが、ほんの少しだけ、煙が遠くなる。 「気付いてたよ」 「じゃあ、なんできっぱり断ってくれなかったの?」 「レベッタがいつまでも言わないから」 「言わなくても分かるでしょ?」 「でも僕は、言葉以外に気持ちを伝える手段を知らない」  レベッタの細い手が、僕の手の上に覆いかぶさる。 「私は、言葉以外であなたに伝えていた」 「僕は、言葉しか扱えないよ」 「そうね」  レベッタは触れていた手を離して、前に向き直った。 「レタはさ、どうして私を愛してくれないの?」  その声は今まで聞いたどの声よりも、無機質なものだった。  なぜだろう。  僕もそれが知りたくなった。  レベッタのことは苦手ではない。価値観も、孤独のことを除けば、誰よりも近しいはずだ。同じ国で、同じ学校で、同じように育ってきた。きっと僕のことを誰よりも知っているし、見てきたはずだ。  それなのになぜ、僕とレベッタはお互いに歩み寄れないのだろうか。僕は、そうまでしてこの生活を守る必要があるのだろうか。その価値は、本当になによりも代えがたいものなのだろうか。  なぜレベッタはこんな僕を好きになったのだろう。彼女の望みを叶えてあげられない人間を、どうして。  選択肢がなかったからだろうか。もしそうなら、レベッタは他の世界を知らないだけで、僕よりも彼女を幸せにできる人がいるのかもしれない。そもそも、レベッタにとっての幸せとは、なんだろう。  僕の幸せは、一人でいること。  レベッタの幸せは、僕といること? それとも……。  この先、お互いがお互いの幸せを叶えられないことが分かっているから、レベッタのことを受け入れてやれないのかもしれない。唯一違う、幸せの価値観のせいで、僕たちは結局離れ離れになるような、そんな気がした。  今考えたことをレベッタに伝えようと言葉を探す。僕が気持ちを伝えられる、唯一の道具。  しかし、今まで見聞きした言葉たちを総動員しても、答えられる気がしなかった。自分の気持ちに嘘をつくことも、かと言ってレベッタをいたずらに傷つけることもできない。  たくさんの言葉が喉から出かけて、それをたくさん飲み込んだ。それを何回と繰り返して、不意に喉を震わせた言葉は、 「レベッタのことが、好きだから」  だった。  僕の言葉を聞いたレベッタは、頭を垂れて、何度もうなずいた。 「ずるい……」  レベッタの言っていることは尤もだった。けれど、僕はレベッタが好きだからこそ、僕に歩み寄ることでレベッタが変わってしまうのが嫌だったのだ。  たくさんの矛盾を抱えたこの答えが、世の中にある言葉のなかで、一番僕の気持ちに近いものだった。 「でも、分かった。ありがとう」  レベッタは顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を見て、胸が痛くなる。 「私、レタのこと忘れないから」 「うん。僕も忘れないよ」  レベッタは短くなった煙草を捨てた。 「レタはこの先もずっと、この国で生きていくの?」 「そのつもり」 「じゃあいつか、会いたくなったらこの国に来ればいい?」 「うん」 「そっか」  レベッタはにこりと笑った。頬に涙が伝う。
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