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 それきり、レベッタはなにも言わなくなった。いつものように、僕も話すことなく黙って周りの景色を眺めた。  見渡すかぎり人はおらず、この公園を囲むマンションにも、人の気配はなかった。本当に、このマンションの数だけ人が住んでいるのだろうか。  その人たちはみんな、孤独なのだろうか。 「この国の人は、本当に生きてるのかな?」  僕は独り言のようにつぶやいてみる。 「どういうこと?」 「前にレベッタが言ってた、この国の人は死んでいるって話を思い出した」 「そんなこと、話したっけ?」 「この国には刺激がないって」 「ああ、言ったかも」レベッタは涙を拭った。 「確かにこの国での生活は、刺激がないかもしれない。誰かに会うわけでもなく、誰かに見られるわけでもなく、ただ一人で生きて、死んでいく」 「どうしたの? レタがそんな話をするなんて」 「あれから、少し考えたんだ」 「どれから?」 「このあいだの、僕の誕生日のとき」 「そう」  手慣れた手つきで、レベッタは煙草に火をつけた。 「聞かせて」  煙草の煙がこの国の灰色にほどけていく。 「僕は、孤独でいることが好きなんじゃなくて、自分の性質を変えることが怖いんだと思う。だから、自分が誰にも歩み寄らなくていい状態が、たまたま孤独だったのかもしれない」  レベッタは煙をゆっくり吐いた。 「分かんない」 「うん。多分、そうだと思う」僕はうなずいた。 「でも、レタの言葉が嘘じゃないのは分かる。レタの頭の中では、レタの価値観では全部が合致してて、納得がいってるんでしょう?」 「そうだね」 「じゃあ、それでいいんだと思う」レベッタは微笑んだ。「もう少しだけ、早く気付いてればよかったかもね」  レベッタは息を漏らすように笑った。 「人は影響し合って生きている。私はずっとそう思ってる」  きっとこれは僕が話したように、レベッタ自身の考えなのだろう。僕は真剣に彼女の言葉に耳を傾ける。 「他人との干渉からは、逃げることができないの。食べ物だって、住む場所だって、アンドロイドだって、人が作っているんだから」  レベッタの表情は穏やかなものだった。 「孤独を望んだって、それは嘘。望んだフリをしているだけ。結局、どこかで人の姿を探してるの」 「僕も、そうなのかな」 「レタは特別。だから不思議だって思うの」 「特別……」 「本当に、最近まで疑ってなかったんだから。口ではこの生活が好きって言ってるけど、実は寂しいんだって」  レベッタは笑いながら、寂しそうな目をしていた。それは、ヒィカの笑顔にそっくりだった。 「でもね、レタの誕生日の日に確信した。あぁ、この人は孤独が似合ってるなって」 「それは、褒められてる?」  レベッタは鼻で笑った。 「本音と皮肉が半分半分」 「そっか」僕は彼女の正直さに思わず笑ってしまった。「レベッタらしい」 「それは褒められてる?」 「僕は全部本音、かな」 「そう」  僕の笑顔に釣られたのか、レベッタは嬉しそうに笑った。 「レタはこの国のこと、どう思ってる?」 「どうって……」  僕は浮かび上がった答えを、伝わりやすいような言葉で口にする。 「僕にとっては、理想郷だよ」  僕の答えにレベッタは吹きだした。 「変かな?」 「ううん」レベッタは首を振る。 「じゃあ、どうして笑ったの?」 「私が思っていたよりも、ずっと気に入っているんだなって思って」 「それが当たり前だと思ってた」 「うん、そうだね」  レベッタは空に向かって煙を吐いた。 「でもね、他の人はそう答えないと思うな」 「そうかな」 「うん。だって寂しいもん。この国で生まれた私がそうなんだから、人とのふれあいを知っている人は、もっと寂しいはず」 「じゃあ、どうしてこの国にやってくるの?」 「それは、人に会わなくてもいいから」 「矛盾してるよ」 「そう。ここは矛盾している人が住む国なの」  レベッタはにこりと笑った。その笑顔には「レタ以外はね」という意味を込めているように思えた。  この国へやってきた人は、みんな孤独を望んでいるのではないのだろうか。僕のように他人との過剰な関わりが煩わしいと思う人間が偶然、他の国で生まれてしまって、本来自分が持っている思想を思い出したときに、この国へやってくるのだとばかり思っていた。 「どんなに頑張ったって、人は、一人にはなれない」  レベッタは手元から落ちていく煙草の灰をじっと見つめていた。 「だから、この国の思想がそもそも矛盾している」 「そうなのかな」 「レタ以外は、ね」  レベッタはまたにこりと笑う。さっきの笑顔の答え合わせだ、と関係のないことを考えた。 「さっき、レタが言ってたことだけど」 「さっきって?」 「この国の人たちは生きているのかって」 「ああ……」 「私は、この国の人間は生きてると思う」  僕はレベッタの言葉を待った。 「だけどそのまま、死んでいる」 「どういうこと?」 「生きているけど、死んでいる。生霊っていうのかな、使い方あってる?」 「……多分、本来の意味とは違う」 「そっか。残念」  レベッタは嬉しそうに微笑んだ。 「でもね、それに気付いたとき、私はこう思ったんだ」  先ほど吹いたような風が、再び僕たちの間を通り抜ける。 「この国は、生霊の棲むゴーストランドだ。って」  レベッタは吹きすさぶ風にのせるように、煙草の煙を吐いた。  僕にはあまりピンとこない答えだったが、彼女にとってはこの国を的確に表す言葉なのだろう。 「僕も、ゴーストの一人?」  レベッタの表現を尊重しながら、質問を投げかける。 「どうだろう。でも、やっぱりレタは特別って思いたい」 「そっか」 「強いて言うなら、未練のないゴースト」 「未練がなかったらゴーストにはならないと思うけど」 「確かに、それもそうだね」  レベッタが笑ったので、僕も釣られて笑う。このあいだの誕生日のときのような、少し浮ついたような気持ちになっていた。 「そういえば、レベッタはいつ愛情の国に行くつもり?」  何気なく話題を切り替えたつもりだった。しかし、レベッタはゆるやかに表情を変え、真剣な眼差しを僕に向けた。 「今日出て行く」 「え?」  僕は、耳を疑った。 「このあと、この国を出るつもり」 「え、だって……。そんな、急じゃないか。親には言ったの?」 「うん。三ヶ月くらい前に」  平然と答えるレベッタに、僕は言葉を詰まらせてしまった。 「レタには内緒にしてたの」 「どうして?」 「言って、レタの態度が変わるのが嫌だったから」 「そんな……」  目眩がした。僕はレベッタに悟られないよう、ゆっくりと目を覆う。 「私の考えが変わるのも嫌だったし」 「親は、なんて?」 「別に……。あんたの好きにすればって」 「そっか」  ゆれる視界をこらえながら、なんとかそれだけ絞りだした。 「いてもいなくても一緒みたい。私」  足元にレベッタが捨てたであろう短い煙草が転がってきた。 「一番心配してたのは、今日レタと会って気持ちが揺らぐことだったけど、大丈夫そう」 「そっか」  僕は機械のように、もう一度同じ台詞を言った。  レベッタがいなくなることを知って、どこかの感情が一つ死んでしまったような感覚になった。  もっとなにか言いたいのに、言いたい言葉が見つからない。ただ、もうレベッタは僕の言葉なんか求めていない。僕自身のために、なにかを言わなければならないと思った。 「さっきさ、レタの家に行ったの」  僕の気持ちをよそに、レベッタは別の話をはじめる。 「そのときにコハルちゃんに会ったんだけど、なんかこないだと態度が違ってた」 「態度?」  考えていたことを一旦端に追いやって、僕は尋ねる。頭を上げると、目眩はもう収まっていた。 「なんというか、恭しい? 他人行儀な感じじゃなかった」 「ああ……」僕はその理由を思い出す。「それは多分、僕がレベッタのことを登録したから」 「登録?」 「コハルがレベッタのことを警戒していたみたいだから、悪い人じゃないよって」 「ふぅん」  レベッタは口を尖らせた。 「それだけ?」 「え?」 「私を登録するとき、どんな風に登録したの?」  コハルにレベッタのことを伝えたときを思い出す。まず年齢や性別、住所などを聞かれ、最後に僕との間柄を尋ねられた。 「ご家族のレベッタ様ですね。って言われた」  僕はどうしようもなく恥ずかしくなり、俯いた。 「私のこと、そう思ってくれてたんだ」 「だって、小さいときから一緒にいたし……」  僕の声は、隠し切れないほどに震えていた。 「でも、そんな深い意味はないんだ。なんとなく、思ってたことを言っただけで」  レベッタは意地悪そうな声で笑った。 「ばかみたい」  僕は言い返そうと頭を上げる。 「だって――」  その瞬間、レベッタは僕に口づけをした。  突然のことに頭が真っ白になる。レベッタを突き放すことも、かといって抱きしめることもできなかった。  しばらく僕たちはモニュメントの一部のように、そのままの体勢で固まった。  やがて、レベッタの唇がそっと離れる。口紅を塗っていたのか、離れる瞬間にほんの少しだけ唇が引っ張られた。 「これは、レタが知らない言葉」 「ことば?」  僕は唇に手を当てた。 「どんな言語よりも、気持ちが伝わる言葉だよ」 「今のが?」 「うん」  そう言うと、レベッタは勢いよく立ち上がった。 「よし、それじゃあ私、もう行くね」  僕はただ、レベッタをじっと見つめた。 「私、レタの家族でいられて嬉しい」  返事に窮している僕を見たあと、レベッタはまた顔を近づけてきた。 「ちなみに、私はお姉さん? それとも妹?」  僕は少し考えて、口を開いた。 「どっちが上かは分からないけれど、双子のつもり」 「そっか」  レベッタは満足そうに微笑んだあと、僕に背中を向けた。 「ねぇ、レタのアパートって郵便受け付けてるよね?」 「うん。だったはず」  レベッタは両手を空に向けて背伸びをした。伸びを終えて、両手を勢いよく下ろしながら、僕の方へ振り向く。 「それじゃあ今度、手紙書くね」 「手紙って手書きの? メッセージじゃ駄目なの?」 「うん。端末も変えるだろうし、それにメッセージじゃすぐ終わっちゃうから」 「そうかな」 「そうだよ」レベッタは深くうなずく。「自分の送信メッセージを見れば分かると思うけど」  ここ数日で自分が送ったメッセージが頭をよぎる。 「……分かった。そしたら、手紙と一緒に住所も書いてよ。返事書くから」 「本当かなぁ」  そう言いながら、レベッタは歩きはじめた。  彼女にかけるべき言葉が見つからない。さっきのように、土壇場でなにかが出てくる気もしなかった。遅れてきた感情の波に飲まれて、頭が回らない。  このままレベッタは、僕の知らない国へ行ってしまう。ただ、僕に引き止めることはできない。きっとそれは、今更レベッタも望んでいないことだろう。  レベッタは軽やかな足取りで公園の出口まで歩き、振り返った。 「レタぁ! 今までありがとね!」  辺りに響くほどの大声でレベッタは言った。僕が見つけられなかった言葉を、彼女はいともたやすく言ってのけた。  僕はとても悔しくなって、レベッタに負けないくらい大きな声で叫んだ。 「僕のほうこそ、ありがとう!」 「またね!」 「また会おう!」  子どものように笑いながら、レベッタは公園を去っていった。  レベッタの姿が消えてしまったあとも、僕はしばらくそこを動けなかった。
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