第三番 ゆっくりと厳粛に Lent et grave

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第三番 ゆっくりと厳粛に Lent et grave

「あなたはいつまで、孤独でいるつもりですか?」  僕は通信端末に表示された広告文を読み上げた。目を覚まそうと声に出したが、予想通りあまり効果はなかった。あくびを一つして、ゆっくりと上半身を起こす。外は薄暗くはあったが、ひと目で朝が来たことが分かる明るさだった。  今さっき声に出した広告文が頭の中に残っている。孤独の国で孤独であることを煽って、一体なにがしたいのだろう。きっと旅行会社かどこかの広告なのだろうが、ターゲットを間違えていると言わざるを得ない。 「コハル」 「おはようございます。リタ様」 「おはよう」  天井に吊るしていたライトが灯り、ほんの少しだけ明るくなる。僕はベッドから降り、テーブルに端末を置きながら立て付けの悪いイスに腰掛けた。 「お食事はどうされますか?」  僕はテーブルに置いた端末を見る。画面には『ベーグル』『シリアル』『スコーン』と書かれていた。 「トーストはないの?」 「ただいま切らしております。C区のパン屋は営業時間ではないので……」 「分かった分かった」僕はコハルの言葉を遮る。「そしたら、ベーグルにしようかな」 「かしこまりました。具材はたまごとレタスとハムになります」 「うん。それでいいよ」 「かしこまりました。お飲み物はどうされますか」 「じゃあ、コーヒーで」 「かしこまりました」  通信端末の画面が『準備中』になったことを確認したあと、待ち時間のうちに洗濯を済ませることにした。  天気は晴れ。風も少しあるので、周辺の建物の影になりがちなこのアパートでも、すぐに洗濯物が乾きそうだった。  ベランダにある洗濯機に衣服を押し込み、洗剤を入れ、フタを閉めてスイッチを押す。洗濯機は仕事があることを喜ぶかのように駆動しはじめた。  水が流れる音と機械音が辺りに響くなか、僕はアパート裏の公園を見渡した。  初めてヒィカと会ったときのことを思い出す。あれからもう半年ほど経っていると考えると、少しだけ感慨深い気持ちになる。あのとき、ほんの気まぐれで彼のことを助けたが、結果的によかったと今は思っていた。  ヒィカとはあれ以来、二ヶ月に一回ほどのペースで会っている。  定期的に会おうと思ったきっかけは、レベッタの話からだった。ヒィカも僕と同じように、国の思想に耐えられず去ってしまった友人がいたらしい。彼は頼んでもいないのに、自分自身の経験を元に僕のことを励ましてきた。ただ、ヒィカの励ましを聞いていると、不思議と心が落ち着いた。  その他の話は基本的に創作にまつわることで、興味もなくほとんど聞き流しているが、彼の人格や雰囲気も相まって居心地はよかった。  どちらかといえば僕は、ミィのほうが苦手だった。話していて退屈しないのは彼女のほうなのだが、彼女には僕の考えていることが見透かされているような気がする。それくらいであれば、話す必要もなくなり楽だと感じるのだが、彼女はその能力を使っていつの間にか僕の価値観を変えてしまうような、そんな不安を覚えていた。  とはいえ、二人ともこの国での生活に慣れたのか、極端に干渉してくるなど、不快感を覚えるような言動は少なくなっていた。  レベッタとの関係も、もちろん続いている。月に一度届く手紙に返事を書き、翌月になるとその返事が返ってくる。すぐに書くことがなくなると思っていたが、意外にも最初の手紙ほど書くことに困ったことはなかった。  半年前、僕が初めて送った手紙を彼女はえらく気に入ってくれたらしく、涙が出るほど喜んだと返事に書いてあった。 「リタ様。お食事をお持ちしました」  部屋の中からコハルの声が聞こえた。僕は部屋に戻って玄関のドアを開ける。 「ベーグルとホットコーヒーになります」 「ありがとう」 「シロップもお付けしましたが、よろしかったですか?」 「ああ、そっか。言い忘れてた」  僕はいつもより慎重にトレイを受け取った。 「ドア、お閉めしましょうか?」 「気が利くね。お願い」  コハルは一礼したあと、ゆっくりとドアを閉めてくれた。僕はコーヒーとシロップをこぼさないようトレイをテーブルに置いて、イスに座る。  ベーグルを頬張りつつ、通信端末から僕宛ての郵便が届いていないかを調べた。最近はこうして、朝にレベッタからの手紙が来ていないか確認をするのが日課になっていた。  このあいだレベッタに送った手紙には、ヒィカのことを書いた。僕に知り合いがいるだけで驚く彼女のことだ。定期的に会う人ができたと聞いたらもっと驚くだろう。  それに僕の記憶が正しければ、レベッタは学生時代、登校してくるときにはいつもイヤホンで音楽を聞いていた。もしかするとヒィカのことも知っているかもしれないと思い、聞き流していたヒィカの経歴を断片的ながらも思い出して書いた。  端末の画面に、僕宛ての郵便が一通あるという通知が出た。今朝この国に届いたばかりのようで、届くのは明日になりそうだった。  レベッタがどんな返事をくれるのか、今から楽しみで仕方がなかった。アパートに届いたらすぐにでも持ってきてもらうようコハルに頼もうとしたとき、外から大きな物音が聞こえた。  嫌な予感がしてすぐに部屋をでる。外廊下には誰もいない。ただ、なにかが落ちたような音だったので、念のため階段の方まで見に行ってみる。 「……コハル!」  階段の下には、コハルが部品をばらまいて倒れていた。  僕は階段を駆け下りる。コハルは口元を一生懸命に動かしながら、なにかを訴えていた。 「足を滑らせたの? こっちから話せない?」  僕は持っていた通信端末をコハルの視界に入れる。本体からは無理でも、端末のスピーカーからなら話せるかもしれない。  しかし、コハルの声は聞こえてこなかった。  僕は急いで大家が住んでいる部屋をノックする。まだ早朝だからか、なかなか出てこない。もう一度だけノックをしようとしたとき、ドアがゆっくりと開いた。 「なんですか?」  不快そうな表情をした初老の大家が顔を出した。 「あの、コハルが……」 「コハル?」 「あ、えっと、あのアンドロイドです」 「ああ……」  大家はドアから顔を出して、僕が指さした先を見た。 「さっきの音はこれかい」 「直してあげないと……。どこの会社で作られたんですか?」 「さぁ、もう二十年前に買ったものだから」  そう言うと、大家はドアを閉めはじめた。 「ちょっと」  僕は慌ててドアを抑える。 「なに?」大家は舌打ちをした。 「だって、直さないんですか?」 「いいんだよ。もう古いし、捨てて新しいの買うから。一日ぐらい我慢して頂戴」  大家は早口で言い切って、僕の手をはねのけるように勢いよくドアを閉めた。これみよがしに鍵を閉められる。一日ぐらい我慢しろ、と言われたのは、僕がアンドロイドがなくて不便だと言っているように思われたからだろうか。  もつれそうになる足を引きずりながら、コハルの元へ戻る。足元で寝そべっているコハルは、すでに動かなくなっていた。 「コハル」  分かっていたが、コハルからの返事はなかった。  コハルの隣に座り、頭をなでてやる。コハルは、僕がここへ引っ越してきてからできた初めての知り合いだった。当時からすでに古い型だったが、頑張って僕の言葉や傾向を学習してくれて、今では誰よりも簡潔にコミュニケーションが取れるようになっていた。  悔しいけれど、僕にコハルを直すことはできない。所有者の許可なく持ち出したとしても、製造会社は修理してくれないだろう。  突然訪れた別れにどうしていいか分からないまま、僕はそっとコハルの上体を起こした。とても重く、仮に修理してくれる場所を見つけたとしても、僕一人では連れていくことはできなさそうだった。  それでも僕は、精一杯の力でコハルを近くの壁にもたれ掛けさせた。床に散らばったままでは、あまりにも可哀想過ぎる。ほんの少しでも、コハルの尊厳を守ってやりたかった。  僕は改めてコハルの前に座って、ゆっくりと頭を下げる。 「ありがとう。コハル」  通信端末から一瞬だけ、ノイズ音が発せられた。僕にはそれが、コハルからの別れの挨拶に聞こえてならなかった。
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