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 コハルが故障した翌日の朝、仕事を始めようとパソコンを開くと、不意にインターホンが鳴った。この時間のインターホンはおそらく郵便物だろうと思い、慌てて玄関のドアを開ける。  するとそこには、見たことのないアンドロイドが立っていた。 「はじめまして。郵便物が届いております」  アンドロイドは俊敏に頭を下げたあと、手紙を差しだしてきた。 「えっと、ありがとう」  僕の怪訝そうな表情を見たからか、アンドロイドは声のトーンを少しあげて話しはじめた。 「本日よりこのアパートに配属となりました。よろしくお願い致します」 「え?」 「今日からここで働くことになりました。よろしくお願いします」  アンドロイドは今言った言葉を少し簡単にして、ゆっくりと話した。 「いや、そういうことじゃなくて」 「と、言いますと?」 「今日からここで働くの?」 「はい」 「コハルは?」 「もうすぐ冬ですから、小春はすぐそこまで来ているかもしれませんね」 「違う違う。昨日までここで働いてたアンドロイドのことだよ」 「登録しました。以前のアンドロイドは欠損のため廃棄処分となりました」  僕は言葉を失った。思っていたよりもずっと早く、コハルは処分されてしまったらしい。 「登録をしたいのですが、お時間は大丈夫でしょうか」  コハルとの思い出が頭をよぎる。昨日はこんなことなかったのに、急に胸が締め付けられるように痛くなった。 「体調が優れませんか?」  僕は首を振る。 「それでは、お名前を教えてください」  僕は呆然としながらもアンドロイドからの質問に答える。気持ちが落ち着くころには、質問はすべて終わっていた。 「レタ様」  コハルと違って、このアンドロイドは一回で僕の名前を正確に覚えた。 「最後に端末を同期させますので、バーコードのご提示をお願いします」  僕は通信端末の裏にあるバーコードを見せた。 「ありがとうございます。端末の登録が完了しました」  目の前にいるアンドロイドの声が、通信端末から聞こえた。 「レタ様。改めまして、よろしくお願いします」  アンドロイドはゆっくりと頭を下げる。 「君の名前は?」 「登録名はありません」 「じゃあ、型番は?」 「jupiter-af587chです」 「じゃあ、ジプタは?」 「申し訳ございません。ジプタという名称の特定ができませんでした。お手数ですが、他の言葉での表現をお願い致します」 「違う違う。君の名前」 「登録しました」 「それ、言わないようにできないかな」 「かしこまりました」 「よろしく、ジプタ」 「よろしくお願い致します」  ジプタは改めて、深々と頭を下げる。 「郵便物、ありがとうね」 「もったいないお言葉です」 「それも、やめられないかな」 「かしこまりました」  僕は郵便物の送り主を確認して、ドアノブに手を掛けた。 「もう大丈夫だよ。朝ごはんは自分で済ませたから。またお昼に連絡して」 「かしこまりました」  ジプタは軽々とした足取りで外廊下を歩き、階段を降りていった。あの様子を見るに、昨今のアンドロイドはついに階段を克服したらしい。ジプタが去っていく姿を見送って、玄関のドアを閉めた。今度、暇があればジプタにコハルのことを教えてやろう。  このままだと気持ちが落ち込みそうだったので、僕はレベッタから届いた手紙を読むことした。中には手紙が二枚入っていたので、それをテーブルに広げながらイスに座る。  練習をしたのか、文字は前よりも綺麗になっていた。文章も変わらず読みやすく、彼女の身の回りで起きたことが明るく、そして多少愚痴っぽく書かれていた。同居していた人が部屋を出て行ってしまったという報告からはじまり、一人暮らしになることを国に申請し直さなければならないことと、同居人への罵詈雑言が綴られていた。どうやら愛情の国では、愛し合っている人を支援する制度の一環として、同居をしている人間は、していない人間よりもいろいろと優遇されるらしい。愛情の国らしい決まりごとだが、レベッタの様子を見ていると、愛情が先立って支援を受けている人はあまり多くはなさそうだった。  次の手紙には、ヒィカのことが書かれていた。どうやらレベッタは、ヒィカのことを知っているらしい。一時期、好んで彼の楽曲を聞いていたこともあったらしく、レベッタが国を出て行く少し前に知り合ったという僕の報告に対して、どうしてもっと早く紹介してくれなかったのかと、かなり強めの筆圧で書かれていた。  最後はいつものように、僕の健康を願う文章で締められていた。  手紙をパソコンの横に置きながら、時刻を確認する。いつもはもう少ししてから仕事を始めるのだが、手紙を書くほどの時間の余裕はなさそうだったので、返事の内容を考えながら仕事をすることにした。  会社へ勤務開始の申請をしようとしたとき、一件の未読メッセージがあることに気が付く。どうせ広告だろうと思ったが、送り主はヒィカだった。メッセージの返信ならば、微妙に空いた時間には丁度いい。ヒィカは不思議と、こういう手持ち無沙汰な時間に連絡をくれることが多かった。そういう偶然も重なって、関係が続いているのかもしれない。 【件名】おはようございます! 【内容】今週末また会えると嬉しいのですが、いつ頃なら大丈夫そうですか?  僕とやりとりをするなかで学習したのか、彼のメッセージは届く度に簡潔になっていた。ただ、それでも丁寧さが伝わってくるのが彼らしい。僕も同じように簡潔に予定が空いてる日時を送った。すると、すぐに返事が返ってくる。 【件名】RE:RE:おはようございます! 【内容】ではまたいつものところでお会いしましょう。あと、前々からレタさんに聴かせたかった曲があったので、忘れない内に添付しますね。いつものカフェで流れている曲です。  メッセージには音楽のギフトコードが添付されていた。とはいえ、僕自身はあまり音楽に興味がないので、とりあえずパソコンに保存だけした。  約束も取り付けたので、メッセージソフトを閉じて勤務開始の申請をした。今日のペース配分を決めるためにざっと業務の一覧を確認をしていると、年末の業務報告書作成のタスクが目に留まった。そこで僕は、一年がもうじき終わることに気が付く。  この一年、というよりこの半年は僕の人生のなかで最も濃い期間だったかもしれない。もしかすると、これから先の人生でもこんなにたくさんの出来事は起こらないかもしれない。  レベッタとの別れ。ヒィカやミィとの出会い。コハルとの別れ。ジプタとの出会い。  それにはすべて、誰かが関わっている。レベッタは思い出のことを、誰かと一緒になにかをすることで生まれるものと表現していた。僕が濃いと感じるのも、他人と会ったり、会わなくなったりしたからなのだろうか。  もし、レベッタの言っていることが正しければ、この国では毎日どれくらいの思い出が生まれているのだろう。人に会うことを避けながら、いつも同じことを繰り返している僕の一生には、どれだけの思い出があるのだろう。やはり思い出は、人と会わなければ生まれないのだろうか。  いや、それだけではきっと、思い出にはならないだろう。  思い出の正体は、変化だ。日常に転がっているほんの些細な非日常こそが思い出になる。  朝起きて、アンドロイドに挨拶をして、家事をして、食事をして、仕事をして、風呂に入って、布団に入る。この日常のサイクルに些細な変化をもたらすのが他人なのだ。だからこそ、人に会うことが思い出になりやすい。  どれだけ朝に起きたって、どれだけご飯を食べたって、どれだけ仕事をしたって、それらはいつもと同じ。変化がない。膨大な数をこなしているはずのそれらの行為も、起床、食事、仕事という簡単な言葉で済ませることができてしまう。それらは、日常として上書きされていく。そうして、どんどん自分の人生は日常に希釈されていく。  もしかすると、レベッタはこの薄く伸ばされたような毎日から抜け出したかったのかもしれない。寂しさや愛についての話はただの口実で、死ぬまで同じような生活を続け、死ぬ間際に振り返る瞬間を想像してしまったのかもしれない。  いや、それこそ僕の想像の域を出ない。今となっては、意味のない仮説だ。  ただ一つ確かなのは、僕はそんな希釈されたような毎日に満足しているということだった。変化もなく、静かに毎日を過ごしていく。余計な感情の起伏もなければ、命の危険に晒されることもない。当たり前に起きて、当たり前に寝る。それだけで、僕は幸せだと思えた。  しかし、それならばどうして僕はレベッタと文通をしているのだろう。どうしてヒィカと会っているのだろう。余計な思い出はいらないはずだ。一人取り残されたような、この国の静寂が好きなのに、そんな世界を守りぬいてきたはずなのに、どうしてそれを自分から壊そうとしているのだろう。そうしないと得られないものを、気付かないうちに欲しているのだろうか。  この半年で、僕は、変わってしまったのかもしれない。  これが、孤独という感覚なのだろうか。  分からない。  ふと、ひだまり公園でレベッタに教えられた言葉を思い出す。それは、僕が初めて口にした、〝口づけ〟という言葉。  思えば、あの瞬間から僕の本質的な何かが変わってしまったように感じる。父や母と過ごした時間のなかで積み重ねた関係よりも、あの一瞬の口づけのほうが、人生で最も深い干渉のように思えた。  それほどまでに深く干渉されたからこそ、僕はもう戻れなくなってしまったのかもしれない。半年前の僕であれば、きっとレベッタを恨んでいただろう。しかし今は、少しもそんな気は起きていない。感謝、とはまた少し違うが、彼女が以前よりも身近に感じるような、親近感に近いものを覚えていた。  パソコンからの警告音が聞こえて我に返る。考えに耽りすぎて、作業の手が止まっていたらしい。僕は咄嗟に適当な嘘をついて、仕事を再開させた。  レベッタとの口づけをこの国の言語で翻訳したとき、一体どんな言葉になるのだろう。  そんなことを考えながら、僕は残りの仕事をこなしていった。
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