第四番 ゆっくりと  をもって Lent et blanc

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第四番 ゆっくりと  をもって Lent et blanc

 僕はふと思い立ち、パソコンを立ち上げた。ミィが故郷に帰ってからもずっと仕事を休んでいたので、おそらく二週間ぶりの起動になるだろう。  パソコンの操作が可能になるまで画面を見つめる。これまで積み上げてきた僕の生活は、この国を包む静寂のように、音もなく崩れ去っていた。  操作が可能になってすぐ、あるコードを表示させる。これは、生前のヒィカから貰った、楽曲の視聴コードだった。確か、僕たちが通っていたA区の喫茶店で流れていた曲だと言っていた。  音楽を再生するソフトを起動させ、そこにコードを読みこませる。すると、ゆっくりと音楽が流れはじめた。  わざわざ音楽を聞くためだけに時間を使うのは初めてだった。でも今は、それしかできない。  スピーカーから流れる旋律は、なんの派手さもなく、感情の起伏もなく、淡々と、たが退屈ではない、不思議なものだった。  そしてそれは、この国で流れている静寂と、よく似ていた。  ありとあらゆるものを排した、シンプルな作品。だが、その奥にあるのは不安でも、恐れでもない。  僕はこの楽曲が持つ魂に、この上なく惹かれた。それはきっと、僕が持っていないものをこの作品が持っているからだろう。  ひたすらに、静かに流れる音楽を聞きつづけた。そうすることで、決して埋まることのない喪失感が、少しずつ小さくなっていくような気がした。  音楽を聞き終えて、少しだけ気力が戻った気がする。 「ジプタ」 「いかがなさいましたか?」  いつも邪険に扱っているのに、ジプタは変わらず僕の呼びかけに応えてくれた。 「ご飯が食べたい」 「時間外の食事となってしまいます」 「構わない」 「いかがなさいましょう」 「E区の二丁目のバーのカクテルと、ピクルスが食べたい」 「ただいま問い合わせ中です」  数秒ほどの間が空いて、通信端末の画面が切り替わった。 「こちらがメニューになります」 「どっちもおすすめで」  一瞬間が空く。再度問い合わせているのだろう。 「二十分ほどお時間をいただきます」 「分かった」 「では、ご注文を確定いたします」 「あ。あとケーキも食べたい」 「ただいま問い合わせ中です」  今度は一分ほど時間かけて、ようやくジプタの声が聞こえた。 「ケーキと一緒ですと四十分ほど掛かってしまうとのことですが……」 「いいよそれで」 「では、ご注文を確定いたします。しばらくお待ちくださいませ」  僕は終わってしまった音楽をもう一度再生した。この曲を流しているときだけは、傷が癒えていくような気がした。 「ジプタ」 「いかがなさいましたか?」 「聞きたいことがある」 「なんでしょう?」 「孤独ってなに?」 「孤独とは……。仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。です」 「国ってなに?」 「国とは……。国家。また、その占めている地域。国土。です」 「孤独の国って、なに?」 「孤独の国とは……。十二番の国の俗称。掲げる思想は他人からの非干渉。です」 「その国にいる人は、孤独?」 「統計的には多いと予想されます」 「ジプタはどう思う?」 「分かりません」 「ジプタは寂しい?」 「そのような機能はありません」 「今は働いてないだけかもよ」 「プログラムには、そのような記載はありません」  僕はそのあとも、ジプタに質問を投げかけ続けた。子どものころにやった遊びを久々にして、なんだかとても楽しくなり、つい止まらなくなってしまった。 「それじゃあ、ゴーストランドってどういう意味かな」 「幽霊の国です」 「違う違う、さっき言った、ゴーストタウンと同じ意味だよ」 「人の居ない国」 「そういうこと。じゃあ、生霊は?」 「生きながら死んでいる人」 「その通り」 「どちらも辞書には載っておりませんが」 「そりゃそうだよ」  僕はずっと笑い続けていた。ジプタの反応が面白くて、懐かしくて、もっともっと話し続けたい気分だった。 「レタ様」 「なに?」 「先ほど頼まれたお食事が到着しました」 「じゃあ、僕の部屋まで持ってきて」 「かしこまりました。それと、郵便物が届いております」 「え? 本当?」 「はい。一緒にお渡し致します」 「ありがとう」  僕はすっかり上機嫌になっていた。ケーキを頼んだのは他でもない、今日がレベッタの誕生日だったからだ。  ケーキの写真に祝いの言葉を添えて、手紙を返してやろう。レベッタへの返事を考えていると、部屋のインターホンが鳴った。僕はもう一度、終わってしまった音楽を再生して、玄関のドアを開ける。 「お食事と郵便物になります」  僕はジプタから紙袋を受け取った。 「郵便物は袋の中に入っております」 「分かった、ありがとう」  すぐに玄関のドアを閉め、紙袋をテーブルに置いた。まずはカクテルとピクルスが入った容器を取り出す。そして次に、ケーキが入っているであろう大きな箱を取り出して、それぞれをテーブルの上に並べた。  最後に、封筒を取り出そうと紙袋の中を確認する。  その封筒は、先日僕がレベッタに送ったものだった。  理解が追いつかず、しばらく固まってしまった。どうして僕が送った郵便物が、僕の元に届くのだろう。まさかとは思うが、間違って自分宛てに送ってしまったのだろうか。  封筒を手に取って、送り先の住所を確認する。住所は間違いなくレベッタの住んでいる場所だった。  しかし、その住所の上には〝長期不在により配達不可〟という印がくっきりと押してあった。  それを最後に、愛情の国から手紙は来なくなり、  僕は、孤独になった。
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