8人が本棚に入れています
本棚に追加
「久しぶり。レタ」
「レベッタ……」
「来ちゃった」
「仕事があるって言ったじゃないか」
「だって、会いたかったんだもん」
僕はこれみよがしにため息をついた。
「やっぱり、まずかった?」
「あんまり良くないね」僕はパソコンのモニターを確認する。画面に表示された休憩時間が一秒ずつ減っていた。「だけどまぁ……、今さっき休憩とったから、その時間分なら大丈夫だよ」
「そっか。よかった」
レベッタはするりと僕の部屋に入った。
「靴はここで脱ぐんだっけ?」
「うん」
「レタの家にくるの久しぶりだから忘れちゃった」
レベッタは淑やかに笑った。彼女には似合わない、他人行儀な笑い方だった。
「確か、前に来たのってレタが引っ越した日じゃない?」レベッタはふらつきながらヒールを脱いだ。「そしたら、もう二年か」
「そうだっけ?」僕は玄関脇に置いていたスリッパをレベッタの足元に移動させた。
「ねぇ、レタ」
彼女の呼びかけに僕は頭を上げる。
「私、髪切ったの」
「随分とさっぱりしたね」
僕は適当に相槌を打ってベッドに座った。この部屋は来客を想定していないので、無理なく座れる場所といえば、さっきまで使っていた立て付けの悪いイスとベッドくらいだった。
「相変わらず寂しい部屋ね」
レベッタは無表情になっていた。この方がずっと彼女らしい。
「僕はそうは思わないけど」
「ショールームのほうがまだ生活感ありそう」
彼女はそれが常識だと言わんばかりに堂々と僕の部屋を評価した。
「床も、壁も、真っ青なタイル貼りで、台所も居間も寝室も全部一緒のワンルーム」
「僕の部屋について語りにきたのなら、また今度にしてくれないかな」
「あ、いや、そういうつもりじゃないんだけど……」
彼女は明らかに別のことを話したがっている様子だった。しかし、その話題に行き着くまでの自然な会話の流れを読んでいるのだろう。
「それで、話って?」
ただ、僕はそういった遠回りな会話が好きではない。単刀直入に彼女の話を聞きだすことにした。
「ちょっと待って。喉乾いちゃった」
「冷蔵庫に水があるよ」
レベッタは一瞬だけ眉間に皺を寄せたが、すぐに穏やかな表情に変わった。以前までの彼女であれば、文句の一つや二つあったかもしれないが、いつの間にか感情をセーブする技術を身につけたらしい。
「水しかないんだけど」
冷蔵庫を開けたレベッタは、不満そうにつぶやいた。
「それしか入れてないからね」
「食事は?」
「ルームサービス」
「あっそ」
ジョークを言ったつもりだったが、彼女には伝わらなかったようだ。レベッタはそっと冷蔵庫を閉める。水の入った瓶を持っていたので、結局飲むことにしたらしい。
レベッタは僕の様子を見ながら器用に蓋を開け、ゆっくりと水を飲んだ。僕の部屋に入ってきたときから、彼女は妙な緊張感をまとっている。
「落ち着いた?」僕は問いかける。
レベッタは半分ほど飲んだビンを、コトン、とテーブルに置いた。
一歩、彼女は僕に近づいた。
また一歩。
もう一歩。
ついには、ベッドに座っている僕の目の前までやってきた。ほのかに香水のような、人工的な匂いがする。
「座りたいなら、これ使っていいよ」
僕はテーブルの方にあるイスを見る。
しかし、レベッタは動かなかった。
「座らないの?」
僕が尋ねるのと同時に、レベッタは僕の上に覆いかぶさった。僕はベッドの外に足を投げだして、仰向けに倒れる。
「……なに?」
「ねぇレタ。私たち、一緒に住まない?」
「またその話?」
「私の話はいつだって、この話」
僕は面倒になってレベッタから視線をそらした。だらしなく垂れ下がった彼女のTシャツからは、派手な色の下着が見える。
「一緒になったら、好きにしてもいいよ」
僕は再びレベッタと目を合わせた。
「悪いけど、僕の答えもいつだってノーだ」
レベッタはにこりと笑った。
「私、あなたしか知らないの」
「それは、知る機会がなかったって話?」
「あなた以外知りたくないってこと」
「意味が分からないんだけど」
「これから、たくさん教えてあげる」
そう言うと、レベッタは僕に顔を近づけた。
「もうすぐ、コハルが来るから」
レベッタの動きが止まる。
「コハル?」
「ルームサービスしてくれるホテルマン」
「ああ、あのアンドロイドね」
僕はレベッタの両肩を掴んでゆっくりと起き上がろうとする。レベッタは観念したのか、潔く立ち上がった。
「これのために、そんな格好できたんだ?」
「そんな格好って?」
「扇情的」僕は彼女の服を顎でさした。
レベッタはTシャツの袖をひっぱって右肩を露出させた。
「実力行使ってやつ?」
「訓練でもしたの?」
「試してみる?」
「ノー」
レベッタは両手をひらひらとさせて、お手上げだという意思表示をした。
「リタ様、お食事をお持ちしました」
通信端末からコハルの声が聞こえた。
「うん。今開けるよ」
僕は立ち上がって玄関へ向かう。
「アンドロイドと話してるの?」
鼻で笑うレベッタを無視してドアを開ける。外廊下には、紙に包まれたハンバーガーとコーラをトレイに載せたコハルが待っていた。
「ハンバーガーとコーラでございます」
「ありがとう」
「朝食でお渡ししたトレイのご返却にご協力ください」
「ああ、そうだね。忘れてた」
僕はコハルの勤務時間をいたずらに延ばさないよう、足早にテーブルを行き来した。
「ご返却承りました。ありがとうございます」
コハルは恭しく礼をした。
「注文いいかしら」
後ろからレベッタの声がしてすぐ、僕の右肩に手が置かれた。コハルはすぐに頭を上げて僕の右肩ごしにレベッタを見る。
「B区4丁目のコーヒー、いれてもらえる?」
耳元で聞こえるレベッタの声は機械のように無機質だった。
「材料がありませんので、少しお時間をいただきます」
「えぇ、どれくらいかかるの?」
レベッタは僕の肩を叩いた。まるで意味のない行為だが、それが却ってレベッタらしくて笑みが溢れる。対してコハルは、レベッタの声色に警戒をした様子で慎重に答えた。
「すでに配達手配をいたしましたので、十分少々でお持ちできます」
「ま、それならいいか。じゃあ、持ってきて」
「かしこまりました」
コハルはもう一度、恭しく礼をして外廊下を歩いて行った。
「コハルが可哀想だよ」
僕は玄関のドアをそっと閉める。
「可哀想? 機械が?」
レベッタはさっきと同じように鼻で笑った。
僕は肩に置かれた手を優しく振りほどいてイスに座った。レベッタに譲ってもよかったが、コハルと話しているのを笑われたこともあって、そこまで譲歩する気にはなれなかった。
「ねぇ、レタ」
レベッタは僕の思惑を知ってか知らずか、何食わぬ素振りでベッドに座った。
僕はなにも答えずハンバーガーの包み紙を開いた。
「寂しくない? この国での生活」
「べつに」
「どうして?」
僕はハンバーガーをコーラで胃に流し込んだ。
「それは、こっちのセリフだけど」
「信じられない」
「右に同じ」
レベッタはベッドのスプリングで勢いをつけて立ち上がった。
「この国には刺激がない。退屈がずっーっと続いてる」
「僕はそうは思わないけど」
「退屈じゃないの?」
「べつに」
レベッタはテーブルに置いていた飲みかけの水を飲む。
「この国の人たちはみんな、死んでるみたいな顔してる」
僕は一瞬だけレベッタの表情を伺う。
「それには、僕も含まれてる?」
「含まれてない、かな」レベッタは首を振った。「レタだけは、特別」
「じゃあ、レベッタは?」
「そうね」
レベッタはテーブルにもたれかかって、ガラス戸越しに裏手の公園を眺めた。
「死んでいるのかもしれない」
それきり、レベッタは電源を落とした機械のように動かなくなってしまった。僕は彼女から目を離して、ハンバーガーを食べ進めた。
レベッタが言った、〝僕は特別〟という言葉にはどんな意味が込められているのだろう。
言われてみれば、物心ついたときから今の今まで、瞳を輝かせるという経験をしてきた覚えはない。それはきっと、この国で生まれた人たちはみな同じだろう。
だけど、それでなにか不満があるわけでもなかった。むしろ、こうして安全に、文化的な毎日を過ごせる時点で幸せだ。と、すら思っていた。これ以上、なにを望むことがあるのだろう。心の底から欲しいものなど、この静かな生活以外なにもなかった。
特別というのが少数派、という話であれば、むしろレベッタのほうが特別なのではないかと思えた。この国において、寂しいという感情が沸き起こることなんてない。そう思わないからこそ、この国にいるのではないだろうか。
ハンバーガーを食べ終えて包装紙をたたんでいるときに、通信端末から声が聞こえた。
「コーヒーをお持ちしました」
「コハルだ」
僕はレベッタに視線を送った。自分の分は自分で取りに行けというジェスチャーだった。
レベッタはなにも言わずに玄関のドアを開け、コハルからコーヒーを受け取った。僕はコハルが怯えてないか心配だったが、杞憂だったようだ。
コハルが恭しく一礼をしようとしたところで、ドアは閉められた。
「休憩時間、もうすぐなんじゃない?」
レベッタはそう言いながらベッドに座った。僕は端に寄せていたパソコンを見る。彼女の言うとおり、休憩時間は残り三分を切っていた。
「私のせいでごめん。せっかくの休憩だったのに」
「いや、いつもご飯食べたらすぐ仕事に戻るから」
レベッタはコーヒーを一口飲んだ。
「もう少し、居てもいい?」
「いいけど、退屈だよ」
「退屈しないんじゃないの?」
「僕はね」
レベッタの返事がなかったので、そのまま休憩終了の申請をして仕事を再開した。
最初のコメントを投稿しよう!