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 僕はレベッタに手を引かれながらしばらく歩いた。いつものことだが、道中で誰ともすれ違うことはなかった。 「見えてきた」  レベッタはちらりと僕の方を見たあと、また前を向いた。道の先には、懐かしい建物がマンションの隙間に隠れるようにして建っていた。  老朽化が進んでおり、ところどころにヒビが入っているコンクリートの外装。この国ではすでに珍しくなっている二階建ての建物で、周りに立ち並ぶ高層マンションのせいで月明かりも届かず、唯一の明かりである街灯も管理が行き届いていないのか切れかけていた。 「ほんの数年前まで、ここに通ってたんだよね」  レベッタはため息混じりに言った。その言葉をきっかけにして、自分の学生時代を思い出す。  入学して半年ほどは、生活をしていくうえで必要最低限の知識と教養を教え、そのあとは、生徒が一番得意なことを中心に学ばせるというのがこの学校の方針だった。僕は早い段階で語学の能力が長けていることが分かり、その代償なのか、国のなりたちや歴史への興味関心が極端に薄く、加えて芸術等の表現をすることが苦手だということも判明した。  担当だった教師は僕の傾向を知るやいなや本来必修であるはずの授業を減らし、語学の授業ばかりをするようになった。後々レベッタから聞いた話によると、その教師は小説家を目指していたそうで、僕を使って半分趣味のような授業をしていたらしい。  ただ、僕自身それで不満はなかったし、それが今の仕事につながっていることもあって、感謝の気持ちのほうが強かった。  恐らく平均的な家庭、少なくともレベッタの家庭よりかは厳しい僕の両親から、授業と知識の偏りを隠し通せたのは、ひとえに対面形式、登校という形をとっていたからに他ならない。授業は在宅でも受けることはできたのだが、皮肉にも僕の両親、とくに母親がそれを許さなかった。  初めて教室に入ったとき、六つある机には誰も座っておらず、授業が始まっても誰も来ることはなかったので、この国の子どもは自分しかいないのだと思っていた。しかし、これもあとからレベッタに聞いた話だが、余程の理由がないかぎり、登校を選ぶ生徒はいないのだそうだ。加えて、登校も在宅も自分の都合で、自由な時間に受けられるらしく、それを知らされていなかった僕は、毎日のように同じ時間に授業を受けていた。  ただ、そんな毎日を送っているうちに、気付けば隣の席にレベッタがいた。学校に行き始めてから一ヶ月も経たないうちにレベッタと会った気もするが、ほとんど覚えていない。  レベッタはどちらかというと理系に特化していたが、本人の希望で語学を選考していた。僕が語学の勉強を本格的に始めたときも、彼女はずっと僕の隣にいた。学校が終わったあと、レベッタが分からないと嘆いていた問題を、時間を掛けて教えていたことも、今では懐かしい記憶になっている。彼女に言わせれば、これも思い出なのかもしれないが。  レベッタと同じで、僕の記憶にもいつもレベッタがいた。彼女にそう言われるまで、考えたこともなかった。 「懐かしいね」  レベッタがつぶやく。 「覚えてる? 私が初めて登校した日から、卒業するまで、ずっとレタと一緒だった」 「そうだね」 「なんで私が語学を専攻したか、知ってる?」  僕はレベッタを見る。レベッタはじっと僕を見つめていた。 「レタと別々の授業になるのが嫌だったの」 「そうだったんだ」 「うん。家でもほとんど一人なのに、学校でも一人は嫌だから」  レベッタは昔も今も、実家ぐらしのはずだった。それも僕が尋ねたわけではなく、彼女の話から知った断片的な情報だった。 「一人になりたくないから、語学を専攻したの?」 「うん」 「本当は数学が得意だったのに?」 「うん」 「将来の仕事が変わってしまうかもしれないのに?」 「うん」 「ついこの前、ライターの仕事もやめたじゃないか」 「うん」 「本当は、こっちの道に進みたくなかった?」 「うん」  僕は今日一番の深いため息をついた。 「呆れた……」 「どういたしまして」 「レベッタにとって、人といることはそんなに大切なこと?」 「もちろん」  レベッタは入り口のドアまで歩いた。つないでいた手は、いつの間にか解かれていた。 「鍵かかってる」 「当たり前だよ」  僕はレベッタのところまで歩いて行く。ここまで来ると、街灯の僅かな光も届かない。 「まぁ、それもそっか」  暗がりのなか、目を凝らしてレベッタの表情を見ようとしていると、突然ライターの火がついた。レベッタが咥えていた煙草に火が点る。 「煙草、いつ始めたの?」 「最近」 「美味しい?」 「全然」  レベッタはゆっくりと煙を吐く。 「この国さ、外からどう呼ばれてるか知ってる?」  僕は黙って彼女の言葉を待った。 「孤独の国、だってさ。笑えるよね」 「でもそれは、この国が掲げている思想だよ」 「他人からの非干渉って、そもそも国としてどうなの?」レベッタは吐き捨てるように言った。「ほんと、馬鹿みたい」 「僕はいいと思うけど」 「私はそうは思わない」 「過干渉な人間といるより、こっちのほうがいい」 「それって私のこと?」 「なにが?」 「過干渉な人間」  僕はレベッタを傷つけないように言葉を選ぶ。 「レベッタは、丁度いいくらい」  咄嗟に選んだ言葉だったが、それが一番しっくりくる表現だった。 「そう」  レベッタは短く答えて煙草を吸った。僕はガラス張りのドアに寄りかかって、コンクリートの壁に切り取られた夜空を眺める。周りが暗いせいか、星がよく見えた。
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